たき火にかけた鍋から、玲奈とカレンがうつわに料理を盛って、それぞれひびきとディーリに手渡した。 「これでようやく、ゆっくり食事ができますね。」 玲奈が言って、カレンがうなずいた。まだ日は高く灯火制限される時刻ではない。そのあたたかい陽光の下で、料理はヴァッサァマインでよく食卓に登る、シチューのような煮込み料理であった。 ひびきたちが奇声蟲の女王を倒し、紫月城は取り戻された。だが城への突撃を敢行したハルフェア部隊の損害は大きく、死者こそ少なかったものの、多くの絶対奏甲が戦闘不能に陥っていた。3つあった部隊は2部隊に再編され、その編成で「翡翠の峰」の防衛部隊として、交代任務についた。前線はいまだ戦力を保持しているトロンメル、シュピルドーゼ2大国の部隊である。 そして、ひびきたちは非番である時間に食事と休息をとっている。当番で敵に備えているのは、響が率いる部隊であった。 ポザネオ島に残る奇声蟲との戦いは、2大国の部隊規模をもってすれば、時間の問題であった。だが、野営地へ帰還した者たちは、人程度の大きさのものから衛兵種までの奇声蟲が、多くはないもののアーカイア各地の山間部や人の少ない荒野などに出現し、被害が出ているとの噂を耳にした。 指揮官のカノーネからはまだ説明はない。ハルフェアに限らず、英雄と歌姫たちは、女王が倒されたことだけでは戦勝気分に高揚することもできず、紫月城周辺の奇声蟲掃討をトロンメル、シュピルドーゼ両国軍を中心に続けている。 さらに、ひびきは女王に止めを刺したときのビジョンのために、ふさぎこんでいた。 コーダ・ビャクライのキューレヘルトが去り、ハルフェア軍が紫月城の中庭から撤退する騒動の中でひびきは、そのことについて他の英雄や歌姫に話さないほうがよい、と響にクギをさされ、彼女自身、ソルジェリッタに相談する気分も沸かず1人で悩んでいた。あのビジョンの意味するところが何で、奇声蟲は何者であるのかと。 カレンが、鍋から別の食器に料理を盛り付け、リフィエに渡した。その間に玲奈はさらに1つよそって、カレンに渡す。そして彼女自身の分を持って、全員に食事がいきわたった。 みなが食べ始めると、その輪に少年が1人やってきた。そのかたわらには、ちょこちょこという雰囲気で、歌姫がついて来ている。 「有加津さん。奏甲の支給はないんですね。」 玲奈が英雄の名を言った。奏甲を失った有加津 和司を、紫月城の天守閣から片腕を失った奏甲の、残った手に乗せて助けたのは彼女である。 「城ではありがとう。 そうなんです。おかげで防衛任務も手伝えない。我ながら不甲斐ないです。 こんにちは、みなさん。」 「有加津さんも、お食べに・・・」 「あなたの部隊の、ミリヌっていう歌姫は?お城で英雄がやられたとき、倒れたって聞いたけど。」 玲奈の言葉をさえぎって、ディーリは質問を和司に投げつけた。 和司は顔をしかめ、となりのエレナハは和司の腕にしがみついた。だが、カレンが横に首を振って言った。 「容態が良くないそうです。意識が戻らないとか。食事も取れませんから、このままでは衰弱してしまいます。」 「この世界じゃ、点滴ってわけにもいかないのか。無茶できないわね。」 ディーリはリフィエを見ながら言う。 「この島で退治が終われば、それこそ自国を守るために、ハルフェアへ帰らないといけないわけです。また温泉と、おいしい食べ物や料理で、元気になれますよ。 ミリヌもきっと元気になります。」 リフィエがディーリを励ますかのように、明るく言う。 「リフィエが言うとおりです。しばらくすれば黄金の歌姫も目覚められます。人々も体勢を立て直し、奇声蟲の根絶方法や、現世へ戻りたい英雄のための歌も用意されるでしょう。それまでは、もう少しお力をお貸しください。」 そう、カレンも脇から言った。玲奈が和司とエレナハに料理を、さじと一緒に渡した。 「・・・ありがとう。いただきます。 ところで、戻ってからの黄金の工房の人たちが変な感じなんです。うまく言えないんだけど。修理や補修も時間がかかってて、前線を担当しないからって、ハルフェアの奏甲は後回しにされてます。 一生懸命やってくれてる整備士もいるけど、響のブリッツなんて、角が折れっぱなしはともかく、外板は再出撃できない奏甲からはがしたものの転用とかで間に合わされてます。 いま見てきたけど、玲奈さんの奏甲も腕が直ってませんでしたよ。」 言った和司は食器に視線を移して、食べ始めようとした。その横で突然、エレナハがうつわを取り落とした。地面にスープや具が散らばるが、エレナハは空を見たまま凝固している。 「エレナハ?エレナハっ、どうしたの!?」 だが、同じようにその場にいたもう2人の歌姫、カレンとリフィエも、その身を硬くして何かに心奪われていた。 「リフィエ?カレン!?」 ディーリの呼びかけにも、2人の歌姫は応えない。 その騒動に、ひびきも我に返った。ソルジェリッタの様子を知ろうと、ミリアルデ・ブリッツへと走る。だが、奏甲に乗るまでもなかった。自分の奏甲がすぐ近くにあるひびき、ディーリ、玲奈にも、歌姫たちへ届いているものが認識できたからだ。いや、それは認識させられたというべき強制の力を感じさせた。ひびきはミリアルデ、ソルジェリッタとの調律の向こうに、波打つ銀髪の美しい女性と、詰襟の学生服にマントをかけた凛々しい青年の姿が見えた。その学生服姿を、ひびきは見たことがあった。 「あれは・・・蕪木先輩?」 それは白銀の歌姫の呼びかけ、演説であった。 『全世界の歌姫に真実のうたを!英雄たちに選択を!』 それはアーカイアで歌姫の首飾りをつけている、すべての歌姫が聞く、黄金の歌姫が使われるべき「黄金の玉座」からの、究極の遠話の歌術によって振りまかれた、世界を震撼させる告発となった。そして多くの英雄も、歌姫と奏甲を介して同じように聞かされることになった。 英雄が、このアーカイアにいるとどうなるのか、事実を隠していた支配者たちへの批判と、そこからの離脱の宣言。 『私は評議会議長を辞し、こころざしを同じくする人々とともに「白銀の暁」の一員として、歌姫大戦以来、独善に満ち、閉鎖的で、黄金の歌姫がご不在なのをよいことに、なにも解決しないまま横暴をふるう評議会に立ちむかいます! 都のフェァマインには、奇声蟲化を抑える手段も用意されます。『召喚の門』についても研究を続けています。 いとしき歌姫の姉妹たちよ、正しき道を求める英雄たちよ、ともに立ち上がってくれるヴァッサァマインへ集え! これよりアーカイアは、新しい時代を迎えます。その中で私たちは手にするのです!真実を求める力を!真実の歌を歌う勇気を!さあ、奏でましょう!』 歌姫たちは、そのほとんどの者が涙していた。自分たちにとって恵みである幻糸が、宿縁のパートナーにとっては毒であるという皮肉。それを100年以上にわたって隠してきたとされた評議会への、そして黄金の歌姫への信頼の揺らぎ。 英雄たちは、もっと単純にパニックを起こす寸前だった。帰る方法はわからないまま、いつか奇声蟲となってしまうという恐怖。そして、かつては人間だった奇声蟲を屠ってきたことへの嫌悪感を持つものもいた。 そして、ひびきもつぶやいた。 「私たちは使い捨てってこと?元の世界に戻れないってこと?」 | ||
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