人知れぬ混沌の前奏 - The chaos prelude which no one knows. -


「ノイエンが、どこかで歌っていますわ。」
夜の帳の落ちたポザネオ市の街灯の下で、クアリッタがいっとき足を止めて耳をすませた。
「ノイエン?あのやかましい萌黄の歌姫か。どうしてわかる?」
隣を歩く男、つまり機奏英雄が尋ねる。
「『歌姫の首飾り』が、ソルジェリッタ様からいただいた、そろい造りの銘品ですから。
彼女は、まだ歌姫の力が及ばず、気づいていないと思いますけど。」
2つの月が昇ってきたのを見ながら、クアリッタは答えた。それはポザネオ市の街灯が少ない町外れにある、古びた公園でのこと。2人は、市内でも特に古いことで知られているこの公園の、その中央に鎮座した石碑の前に来た。それは人の等身大ほどの、台座に立てられた木の葉型の石碑であった。
「彼女は『弦』の一本なのです。」
クアリッタが小さな声で言った。
「『弦』?なんだそれは。」
「わたくしが命名した存在で、自らは意識せずに歴史の転換点たる人物のことです。」
「偉いのか?」
「いえ、別に。利も公の権限もありません。組織もなければ指揮官も部下もありません。
ですが、その人たちを奏でることで世界は変わるのです。
私が手が届く『弦』である人物が、数人います。私はその人々を振るわせることで、戦を終わらせるだけでなく、過去、現在、未来までのアーカイアを、可能な限りにわたって知りたいのです。」
クアリッタは、そう言葉を並べつつ、彼女の身長と同じくらいの高さを持つ石碑の回りを1周し、もとの側から観察する。
「歌姫にとって英雄は楽器か。かき鳴らされるより、俺はまず、元の世界に帰りたいんだがね。」
「今はまだ無理です。ですが、あなたは今の戦乱の『弦』ではなくて・・・。」
クアリッタは唐突に口をつぐんだ。だが機奏英雄は聞き逃さなかった。
「隠者に言われたことだな。俺に関するなにを聞いたんだ?宿縁でもない俺なんかを使いっ走りに使っても、世界は変えられないぜ。」
「未来の旋律が乱れることになりますから、話してはならないといわれています。あなたも、隠者から別のことを知らされたのでしょう?お互いに、言えないことは黙っていましょう。」
英雄は、直立で腕組みをしたまま黙った。クアリッタは石碑に近づき、今度は手を触れて調べ始めた。だが、暗がりの中では、そう簡単には知りたいことが見つからない。歌術による街灯が整えられたポザネオ市ではあったが、いまいる静かな暗がりはさすがに居心地が悪く、クアリッタは話題をそらして会話を続けようとした。
「この世界であれば、頼りにしていただいて結構ですのよ。奏甲や船といったものの手配から、ご自身用の武具や家庭用品まで、必要であればそろえます。ご参加したい陣営があるのなら、口利きもできるかもしれません。」
そこまで言ったクアリッタは、石碑の台座の部分にしゃがみこんだ。
「古いとはいえ、施された歌術は高度なまま・・・。碑文はこれね。」
石碑の裏の下方に、手で凸凹を感じなければ、わからない碑文が彫られているのを発見したのだ。
「あんたが一番おっかないのは政治力だぜ。響とひびきっていう英雄2人が、この町で会わないように働きかけたのは、あんただろ。」
「さあ、存じませんわ。」
クアリッタは振り向かないまま答えた。
「そうかい。『幻糸炉狩り』の連中はさすがに違うんだろうが、ミリアルデ・ブリッツの応急処置の速さは、尋常じゃなかった気がするがな。」
クアリッタは、この機奏英雄に対して、気分のために不用意な会話を続けることが危険なことであることに、いまさら気づいた。想像以上に独自の情報を持っていて、それと結びつけることで、核心に迫るテクニックを身に着けているのがわかったからだ。
「いまはこの石碑が相手です。歌いますから、話しかけないでくださいませ。」
クアリッタは石碑の正面にあらためて立つと、胸の前で手を握り合わせ、背をまっすぐに伸ばし、歌う姿勢を取った。
「おいおい、こんな暗闇で織歌を歌ったら目立っちまう。警務官が飛んでくるぜ。」
クアリッタは、精神集中する姿勢をとったまま、目だけを男に向けて言った。
「イゾルデなら、この島にはもういませんわ。グリュンデ評議員を殺した犯人を探すのに張り切っていたのですけれど、演説のために、彼女を含めた白銀派はこの島にいられなくなりました。白銀の暁と同行したでしょう。」
「十二賢者の間者がいて、ばれないか?」
英雄は食い下がった。
「心配性ですね、あなたは。今晩は2つの月が共に満ちています。評議会のお婆様方は、調律空間の歌を用いて、深夜まで、外界から隔絶された意識同士だけの、閉じられた調律による会議を行います。その警護のために、ほとんどの人手は最高評議会の建物に集中しています。このような市井の公園など、目の端にも置いていないでしょう。さ、邪魔しないでください。」
会話を打ち切ると、それでも声は潜めてクアリッタは歌いだした。すると、かすかに光る極細の糸が彼女の周囲を漂いだす。その中から数本がより合わさり、彼女から石碑へ伸びていった。その光る糸が石碑を一周半ほど取り巻くと歌が終わり、糸の輝きも消えた。
「これで入れます。行きましょう。」
クアリッタは、ためらいなく石碑に突っ込んでいった。そして石をすり抜けて消えた。
「あっ!?」
さすがの機奏英雄も声を上げて驚いたが、とっさに後を追った。彼が自分の歌姫に託された努めは、クアリッタの護衛なのであった。
石碑を抜けて、飛び降りる形になった内部は、レンガ造りの地下道となっていた。まっすぐ続く向こうに、小さく出口らしい明かりが見える。
英雄は振り向いて飛び降りた空中を見たが、反対方向へ続く暗い通朗が伸びているだけだった。
「もどれないのか。」
「そうですね。ですが、私の予想がただしければ、道は例の村への片道です。」
「俺の奏甲は?」
「あの紋章が入っているフォイアロート・シュヴァルベなら、おいそれと手は出しませんよ。
それに、まもなく赤銅の歌姫が新型の飛行型奏甲をお披露目して、世代交代が起こります。シュヴァルベは何体も倉庫に眠るでしょう。あなたが必要であれば、そこから調達することもできますわ。さ、まいりましょう。」
英雄は、クアリッタのその方面の有能さを知っていたので、とりあえず納得し、彼女と共に通路を用心しつつ進みだした。

通路の端へ到達すると、2人はしっかりした建物の通路に出たのに気づいた。今までところと異なり、等間隔に明かりが灯っている。通路の外をうかがってみるが、人の気配はない。
「どこの建物だ?」
「アウトリテート議事堂の様式ですわ。おそらく地下です。」
「目的地なのか?」
「議事堂か、評議会の建物のどちらかと考えてましたので、半々で正解ですね。」
「この先は?」
「わかります。こちらへ。」
クアリッタは、通路から出て明るくて広い廊下を、堂々と歩きはじめた。英雄が続く。
別の通路に入り、とある部屋に入ると下り階段がある階段室であった。埃くさく、何年も人が訪れた様子がない室内には、様々なガラクタが転がっていた。クアリッタは、それらには目もくれず、階段を下り始める。
「ここからは様子が変わります。すこし降りれば、幻糸鉱石のためにかすかに明るくなっています。明かりは不要です。」
階段も壁もレンガ組みであったが、すこし降りると壁は石肌となり、大人1人がやっと通ることができる大きさの通路は、唐突に広くなり、洞窟の様相を呈し始める。
「どこまで降りる?」
「あそこに、丸い台のようになっている大きな岩が見えますか?」
「ああ。なんとか。」
「あれはポザネオ市の歌術の力を支えている、巨大な幻糸炉です。だれも解体したり、整備したりしたことがないため、私たちが知っている意味でのアークドライブなのかは、いまだ不明です。
それでもあの岩は、市内の街灯や動力を動かす力を、歌術として供給しているのです。」英雄は、その巨大さに言葉がなかった。奏甲に積まれているアークドライブは、奏甲の大きさを考えれば、せいぜい大人二人が並んだ程度の大きさと思われる。それが、10mの巨人を人のように動かしたり、彼のシュヴァルベのように飛行さえさせてしまう。だが、いま見下ろしている大岩は、3階建ての建物くらいのサイズなのである。その出力は、想像を絶する。
「さ、急ぎましょう。あの脇に奏甲が一体あります。朽ちているのか、封印されているのかわかりませんが。その近くに扉があります。そこが目的地です。もうついたも同然です。」
クアリッタはいままでより優しげに言った。それはその扉で行く先が、いま連れている英雄が、望んでいる場所であることをわかっていたからだ。
「さ、参りましょう。あなたの歌姫も、向こうでお待ちでしょう。目を覚まされていればですが・・・。」
黙ったままの機奏英雄を連れ、クアリッタはアウトリテート議事堂の地下に広がる、幻糸鉱の薄明かりの中へ降りていった。


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