ひびきとノイエンは、戦乱を避けるためにノイン・パスを越えてきた避難民のもとを、一夜明けても出立していなかった。 朝、すでに起きだして寝床にいなかったノイエンをひびきが見つけたとき、ノイエンは歌っていた。それも織り歌で、なにか歌術を行使しているところだった。朝の澄んだ空気の中、ノイエンの声が広がる。突風平原のやむことのない北からの風が、朝方の冷え込みをしのぐために旅装のマントを羽織っているノイエンと、その髪をなでている。 ごく細く輝いている幻糸がノイエンの周囲に浮かんでまたたき、歌声とともに歌術が行われていることが傍目にもわかる。だが輝く幻糸は、風に飛ばされたりはしない。 ひびきは、彼女が歌い終わるのを待った。あいさつの声はノイエンの方が早かった。 「おはよう、ひびき。」 「おはよう、ノイエン。なにを歌ってたの?」 一瞬、ノイエンは考えてから応えた。 「このあたりの安全を確認するのと、遠くの知り合いと話す歌。」 そう言うノイエンの表情が冴えないのに、ひびきは気づいた。 「なにか良くないことがあるの?」 「うん。なにかね、近くにやなものを感じるの。だから歌術で調べてみたんだけど、特に何もなくて・・・。だけど、私の勘て当たるの、当たるの。」 「じゃ、用心しよう。知り合いとは、連絡取れたの?」 「そっちはバッチリ。」 「どんな話を・・・」 「歌姫様!英雄様!」 ひびきが問おうとしたとき、別の声が割り込んだ。その声の主がひびきとノイエンの方へと走ってくる。その女性は、厚手の生地の服装にブーツ、体の各所に木か皮製の防具などをつけていて、弓矢とナイフを携えいる。みたところ「狩人」という言葉がぴったりな姿だ。大柄でショートカットのその人物は2人ともが知らない人物だったので、黙って待つ。 「朝から申し訳ございません。長はご迷惑をかけてはならないとおっしゃったのですが、我々で手に負えないと思われることがありまして。 わたくし、フェニタと申します。狩りを生業にしておりまして、避難行に出てからは、一行の警備と食料の調達に関わっております。」 2人のところへ来て、その狩人姿の者は言った。それに対して、ノイエンが普段は見せない歌姫の威厳を見せてたずねた。 「どうなさったのです?」 「今朝の狩りの際に、草深いなかで人の亡骸を見つけたのです。」 ひびきはぎょっとしたが、ノイエンは動じなかった。フェニタは続ける。 「わたくしの仕事からすれば、生き物の死骸は珍しくもありませんし、町や村の周辺の森などでは、迷ったり野生の動物に襲われて命を落とした者の遺体が見つかることも、ないわけでもございません。それに今朝の遺体は、わたくしたち一行の者ではありません。」 「それで、気になったのはどのようなことなのですか?」 「わたくしが思うに、その遺体は奇声蟲が孵った跡ではないかと思うのです。」 この言葉に、ノイエンも息を呑んだ。 「周囲には、人よりも大きな何かが這い回ったような跡や、自然の野生の動物がつけるのとは異なった様子の獣道がありました。厳しい突風平原の万年風の中で、巨体の生き物はそうそういないはずで、噂に聞くリーズ・トカゲがいるような地域でもありません。 わたしたちは当分はこのあたりで避難生活をする予定です。そのため周囲の安全を確保することが重要なのです。ですが奇声蟲となると手に余ります。武器を手に取れる者さえ、数人とはいないのです。」 「お話はわかりました、フェニタ。ひびきと私とで、ミリ・・・絶対奏甲を出して、周囲を調べましょう。 永続的なことはお約束できませんが、出立する前に一宿の恩をお返しすることにもなりましょう。」 「ありがとうございます。わたくしが案内いたします。長に伝えてきます。」 狩人は頭を下げた。そして続けた。 「出発はいつになりましょう?」 「私もひびきも、朝食はとらせてくださいな。」 「承知しました。ご用意が整われましたら、声をかけてください。それでは失礼します。」 深く頭を下げて挨拶をすると、フェニタと名乗った狩人は立ち去った。 「ひびき、手伝って。人を助けるのも、歌姫の務めなの。 それに急いで出発して、戦の最中のヴェストリッヒ・トーアにつきたくないし、すこしここで考えてからにしよう、ね、ね。」 口も挟めず、勝手に決められた形になったひびきだったが、隠者に会ってからの旅の目的はあいまいなものだったから、反対する気分も強くはなかった。 「わかった。人助けだし、いいよ。 ところで、奇声蟲と人の死体って、なんの関係があるの?」 「それは朝ごはんの後にしよ。あんまり気持ちのいい話じゃないから。 まずは、朝ごはん。それだけは譲れないねもんね!ぺこぺこだよ、ぺこぺこ。」 朗らかに言ったノイエンからは、フェニタに見せていた歌姫の威厳は、すっかり影を潜めていた。 | ||
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