ひびきと萌黄の歌姫ノイエンと、絶対奏甲ミリアルデ・ブリッツののんびりした旅は、街道に出てからはとても楽になった。ノイエンによれば、街道を北にたどってヴェストリッヒトーアという都市へ至るということだった。トロンメルという国は、都エタファを中心とした南の平原を広く指す「中原」と、東西に走る北氷山脈で区切られた北トロンメルに二分される。その行き来が可能とされている街道の関門、ノイン・パスの北口に位置する町がヴェストリッヒトーアで、北から来ても、南から来ても、旅人は必ず寄る町となっていると言う。 長い一日の時間のなかで、歩くミリアルデに揺られつつ、ひびきはノイエンから、そのようなアーカイアの地理、各地の風習や食べ物に音楽の話を聞かされた。その会話からひびきは、ノイエンがアーカイア全国の温泉と食べ歩き地図を本気で作ろうとしていると知った。 「アーカイアでは歌は伝えるんだけど、文字とかで記録する習慣はあまりないの。 だから、誰もが見てわかる解説がついた地図をたくさん作って売り出せば、売れると思うの。 つったって、自分で行かなきゃいけないから、大変大変。」 そう言いつつも、ノイエンが披露した各国の温泉と料理についてのおしゃべりは、今すぐにでも記述すれば、十分な案内書になりそうだと、ひびきが思わされるほどである。 その旅路で、ひびきはふと、日数を数えておらず、異世界であるアーカイアの暦も知らないことに思い至った。 「暦?"月奏暦"だよ。トーァとシュリュッセル、2つの月が奏でる12句のカレンダー。月の満ち欠けに対応した区切りがあって、12の星座がそれに割り当てられて、その星座名で呼ばれてる。」 「ふーん。それで、今日は何月何日なの?」 「あはははは。ゴメン、数えてない。うん。夜に月を見れば大体わかるかも。 アーカイアでは、正確な日付を知りたがるなんて、役人と軍人くらいだよ。あとは学者。 一般の人たちは月の区切りから、季節の移り変わりを気にするくらいなの、なの。 作物の時期とか、季節のお祭りの時期とかがわかればいいんだもの。 時と季節は途切れない世界を形作った黄金の歌姫の唱歌。そこには旋律の流れがあるのであって、細切れにする休符はそんなにいらないのよ。」 月と曜日と時間割で区切った生活が当然だったひびきは、「のんびり生きる」という意味が、わかるような気がした。 道中、そう多くはない村を訪ねても、その地にいた歌姫や、あるいは街道筋に多い吟遊詩人や旅人により、ポザネオ島で奏甲が大地を揺るがしつつ戦い、奇声蟲を撃退したことは、人々に知れ渡っていた。 そのため、ひびきとノイエンは、歌術で地味な色に変化しているミリアルデ・ブリッツであっても、奇声蟲撃退の英雄として歓迎された。北トロンメルでは、豊かな中原とは離れており、街道筋といってもそれほど発展はしていない。そのため目の前に料理が山盛りに積まれる、というような事はなかった。それでも、ミリアルデのコクピットに備え付けられていた路銀や、ノイエンの持ち合わせからほんの少しの代金を出すだけで、衣食就寝に困ることはなかった。 様子が違ったのは、街道の両脇がほぼ見渡す限り草原であるところを進んでいるときだった。その草原の真ん中にたき火の煙が上がっていた。気候はひびきが感じている季節は、"湿気の少ない日本の初秋"で、朝夕は程よく涼しく、昼の日の当たる場所は少々暑い、という時期である。昼間にたき火で暖をとるほど寒くはない。だが、確かに火の回りには幾人かの人々が座り込んだり、食事を用意しているところだった。奏甲は見当たらない。 ミリアルデが街道からそれて、そのキャンプに近づくと、人々は呆然とした顔で奏甲を見上げた。仕事をしていて、立っていたり歩いていた者の中には、その場にへたり込むものもいる。いままでの街道沿いにあった村や町の人々とは、まったく違う反応であった。 「ねぇノイエン。なんか、みんな怖がってない?」 「そうだね。おろして。話してみるから。」 ミリアルデの手が地面に向かって動き出し、コクピットの前にいたノイエンが離れていく。ミリアルデは片ひざを突いて姿勢を低くし、手の上のノイエンを地面に下ろした。ひびきは、ミリアルデを立ち上がらせないで、そのままの姿勢を維持した。 地面でノイエンが声を張り上げ、呼びかけた。 「みんな、どうしたの?ここのかしらは誰?」 「あんた、歌姫か。どこのだ?」 張りのあるノイエンの声に対し、近くにいた中年の女性が問い返した。 「わたしは萌黄の歌姫ノイエン。ハルフェアの生まれよ。」 ノイエンは背をまっすぐに伸ばし、両手を腰に当て、胸を張って名乗った。 「歌姫は、大地を壊す奏甲を歌うな!機奏英雄は自分の世界へ帰れ!!」 「だまらぬか!!愚か者。『萌黄』となれば、一朝一夕でなれる階位はない!本物の歌姫であるぞ。」 見かけの年からは想像できない怒声が響いて、ノイエンを非難した人を黙らせた。 一人の老婆が進み出て、ノイエンの前で頭をたれた。 「若い者が、失礼いたしました。平にご容赦を、歌姫様。」 杖に頼って歩くその姿は弱々しく、着ている物もくたびれて汚れており、しばらく着替えた様子もない。だが、その声は凛としていた。 「多くの、英雄の気高い心をかけらも持たぬコンダクターと、歌姫とはいえ橡(つるばみ)ごとき未熟な者たちが、軍と一緒になってあい争い、大地を荒らしておるのです。」 「評議会と白銀の暁の戦争のことを言ってるの?」 「いかにも。白銀の歌姫のお言葉が、黄金の玉座によって歌姫全員に届いてから、瞬く間に戦いは広がり、ポザネオ島から本島へ飛び火しよった。 我々はそれを見まして、中原が戦に覆われてしまう前に、シュヴェレからノイン・パスを越えて避難してきたのでございます。」 「そんな!ノイン・パスを越えてまで、逃げてこなきゃいけなかったの!?」 ノイエンが驚きの声を上げた。 「さようでございます、ノイエン様。」 ノイエンと老婆が話しているのを聞こうと、周囲に人だかりができつつあった。 「まさに、そうするしかなかったのでございます。地は奏甲という戦いの巨人の行進と戦いで踏み荒らされ、織り歌で祝福された大街道の敷石さえはがれたと聞いております。農地や放牧地は言うまでもございません。 また、奏甲が戦えば、その足元では人は踏み潰されましょう。逃げておれば家屋や財産が踏み潰されます。」 「それにしたって、こんなこんな、ヴェストリッヒトーアを過ぎて、こんな歩きじゃ何日もかかる場所まで・・・。どうして?」 「戦いが北上してきたからでございます。白銀の暁はヴァッサァマインを目指して移動し、評議会軍が追撃しております。戦の波は北氷山脈に打ち寄せ、いまどきはノイン・パスか、それを越えてしまってヴェストリッヒトーアが、戦火に焼かれておるかもしれませぬ。」 「そんな。赤銅の歌姫は?残る三姫は赤銅だけとなれば、なにか手を打つはずよ。」 「赤銅の歌姫は、黄金の工房の大半を率いて評議会から独立しようとしている、とのもっぱらのうわさでございます。いまや赤銅の歌姫は、歌術のからくりや絶対奏甲を、白銀、評議会の両者に売ったりしている有り様。商業ギルドと手を組んでいるとも言われておりまする。 こうなっては、高位の歌姫様方は、いくさに目の色が変わってしまっておられるとしか思えませぬ。 お早く、黄金の歌姫がお戻りにならぬかと、そればかり願っております。」 老婆の話す内容に、ノイエンは声もないらしい。ひびきは、そのノイエンと老婆の様子をコクピットで見て、会話をミリアルデを通して聞いていた。 平和さえ感じていたノイエンと2人での、のんびりした旅が、北へ進むにつれて戦いに脅かされることに、ひびきも気が付いた。 「まことの英雄と歌姫であれば、いくさであろうとも求めておられるものを追って、すすまれるのでしょう。 それをお止めはいたしません。とはいえ今宵はここにとどまり、真の歌姫の歌声をお聞かせてくださいませぬか。まもなく日も傾いてまいましょう。たいした歓待もございませぬが。」 ノイエンがミリアルデを見上げた。奏甲のコクピットから出て、生身の目でノイエンを見る。ひびきは地面からでもわかるように、大きくうなずいた。 数百人にも上るシュヴェレからの避難民を前に、ノイエンの歌声がやさしく広がっていく。祈るように手を掲げ、声を出すために高みに視線を遊ばせながら歌い上げるノイエンに、ひびきは陽気なはっちゃけ娘では見せない、女らしさがあふれているように感じた。 たそがれ空を背に始まった独唱は、彼女を星と2つの月が飾るまで続いた。終わり近くには、聞きほれて眠ってしまう者がいるのを受けて、ノイエンは「花びらの子守唄」でこのコンサートを締めたのだった。 | ||
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