ひびきとノイエンが部屋に入ると、まずその存在感を放っている老女に目がすいつけられた。岩から削りだされたような荒削りの、だが透き通った水晶のような岩の一部が、椅子のように削られて、そのくぼみに小柄な老女は座っていた。白く長い髪の間の額に、サークレットがわずかに見えている。多くのしわの刻み込まれた顔。首には歌姫の首飾りをしている。ゆったりとした長衣をまとっていて、腰から下は見えないようショールをのせている。手はひじ置きにあったが、ひじ置きに触れている部分は石と同化し、左腕は石と同様に透き通っている。 「お2人とも、ようこそ。なにからお尋ねかねぇ。 フランシスカ。飲み物をお願い。私にもね。」 ひびきとノイエンの後ろで扉を閉じ、その位置に控えていた歌姫に老女は指示した。 「承知いたしました。少々お待ちください。」 戸がなく、続き間になっている小部屋へ、フランシスカは消えた。歩いていく彼女を目で追って、ようやく老女以外の部屋の調度などが、ひびきの目に入る。石のブロックで組まれた壁に、キルトや刺繍などのあでやかな布がさげられ、部屋を飾っている。 「私が歌術だけで作ったものだよ。糸と針を手で扱うのと同様に動かして、編んだりするのじゃよ。暇つぶしじゃがの。」 そういって、老女は細い声でかすかに笑った。それに対して、ノイエンがようやく、という感じの声で言った。 「ま、まえ来た時・・・あ、お会いしたときは、奥の岩から動けなかったのに。」 座っている岩と一体化しかけているように見える老女の、異常さに驚いていたひびきだったが、ノイエンの声に正気へ戻り、彼女の言っている事も認識できた。ノイエンは、ポザネオ島の外に出たことがあることに、ひびきは気づいたのだ。 「そのとおりじゃ。このように奥の<隠者の洞>から出られたのは、こうなってから初めてじゃよ。それも最近のことじゃ。自分の未来は見ぬから、存外のことで嬉しいことよ。 こうしても大事ないと調べてくれたクアリッタと、切り出しをしてくれた、あやつの連れてきた英雄には、感謝せねばなるまいて。」 老女は満面の笑みを浮かべて、そう応えた。目が細くなって、笑顔のしわの中に埋もれてしまう。 「ちょっと、ちょっと待って。あなたが隠者様でいいんですよね?」 ひびきは、場の主導権をとろうと、仕切りなおしとなる質問をした。 「さよう。私が『隠者』と呼ばれる歌姫じゃ。歌により、過去、現在、未来を見通す。 さて、何を知りたい。それに答えとなる風景を見てやろうて。」 「ホントの名前は?なんて呼べばいいの?」 老女はにこやかなまま、ひびきの質問に答えた。 「名なぞ、とおの昔になくしたよ。わしはいまや『隠者』でしかない。星と歌と糸の力で、時をまたいでことを見る。そしてそれを授けるのさ。 だが見るだけじゃ。その意味や、善悪は、授かった者が判断するしかないということは、心しておくれよ。 私の力は、占いの類と思われておる。話を聞いた者が解釈を間違ったり、他の要因で未来が変化した時、私の占いは『はずれて』しまうのじゃよ。 逆に固定された過去の出来事は、かなり確実に教えられるはずじゃ。」 「どんなことでも見えるの?私の元の世界とかは?」 「おぬしから見通せる範囲でなら、見えるとも。 御空ひびき。コウコウセイ?学校?学ぶ者か。ニホン?世界という意味かの。風変わりな建物と、やけに整った石造りの町を、自動的に走るノリモノ?不思議なところから来られたの。 異界については、さすがに見えても理解ができぬ。痛いところを見抜くの、ひびき様は。 ソルジェリッタとミリアルデ・ブリッツ。稲妻と風の組み合わせは、さらなる力となろうな。 いまは白銀の歌姫について宿縁の歌姫と意見を異にし、宿縁はない萌黄の歌姫ノイエンとさまよっているところ。元の世界からの知人、英雄も同行してくれなんだな。」 「そうなの。」 ひびきの脳裏には、隠者が言った人々が次々と浮かんでは消えた。 「さよう。いま聞かれているような些細な事は数に入れぬが、肝心な質問は限りなく答えられるわけではない。心してたずねられよ。」 ひびきはその老女の言葉に、直球を投げ込んだ。 「白銀の歌姫が言ってたことは、本当なの?」 「さよう、過去に起こったことについて言ったことは真実じゃ。」 「じゃあ、機奏英雄はアーカイアにいると奇声蟲になっちゃうのね。」 「その通り。それがこの世界に『男性』がいない理由でもある。幻糸には歌術や奏甲という『力』としての側面の一方で、男性には致命的な『病』じゃ。どういう原理で、人間が奇声蟲になってしまうのかまでは、わかっておらんがの。」 「召喚された人間でも、女は奇声蟲にならないの?」 「蟲にはならぬ。だが『女性』の機奏英雄は、歌姫、奏甲との調律の深度が、同じ期間ではなにゆえか男性に劣りがちじゃ。時があれば縁も深まって行くようじゃが。」 「評議会や黄金の歌姫が、昔の英雄を追放したっていうのは?」 「ほぼ真実じゃ。誰が決を下したかはわからぬがな。最高評議会の議員や黄金の歌姫が秘を語る場所は結界されておるから、私の力をもってしても見えぬ。 じゃが、歌姫大戦の英雄たちが1人残らず召喚の門を通して、アーカイア以外の世界へ放逐されたのは、まことじゃ。」 「評議会が隠していたっていうのは?」 「黙っていたことが隠したということであれば、そのとおりじゃ。知っておって召喚したとなれば、最高評議会を構成する十二賢者たちは、確信犯と言えるじゃろう。 とはいえ、白銀、闇蒼、赤銅の3人の筆頭歌姫、『三姫』と呼ばれる者たちも、それぞれ自力の調査研究でその結論を得ておった。いまの黄金の歌姫は奇声蟲化についてはご存知で、以前、白銀の歌姫が治療、防止のめどが立ったと進言したこともある。」 「それじゃ、白銀の歌姫は正しいことを言っているのね。」 「なにが実現できるかという点ではな。だが、どこへ向かおうとしているのかは、言っておる通りかどうかわからぬぞ。おぬしにとって正しいかどうかもな。」 「どういうこと?」 「白銀の歌姫は、評議会を相手に戦っておる。思い出すとよい。白銀の方は評議会を批判したが、黄金の歌姫は弾劾しておらぬ。それは単に今、眠っておられるからということではなく、十二賢者に対して弓ひいておることを意味する。黄金の歌姫に対峙しては、アーカイアに住むものは誰も味方してくれぬ可能性が高いからの。」 「黄金の歌姫が眠ってる?」 「さよう。召喚の歌は次元を超えた現象を引き起こす壮大な織歌じゃ。歌った者の消耗も激しく、黄金の歌姫はその消耗のために、深い眠りについておるのよ。」 「じゃあ、じゃあ・・・黄金の歌姫が眠りから覚めたら、状況は変わるのね?」 「その通りじゃ。変わらざるをえんじゃろうて。複雑になるだけのような気もするがの。」 隠者は軽く笑った。 「おかげで未来が揺らいだままで、かなわんわい。」 「未来・・・。えと、私はどうしたらいいの?ソルジェリッタとはケンカしたまんまだし。」 「それはおぬしが自ら決めて、自ら起こす出来事。心のままにいけばよい。それが事態を動かしていく。おぬしが風の女王と宿縁であるゆえの定めでもあろう。 おぬしの判断のために、いくつか見えたことを授けてやろう。」 そういうと、隠者は目をつぶって、なにかをつぶやいた。すると、ひびきはまぶたの裏に自分が登場する場面を、次々と見た。 多くの歌姫が倒れたのを見て絶望にとらわれている。元に戻ったミリアルデ・ブリッツを演奏しつつ叫んでいる。空中からミリアルデごと転落する。響に剣を返す。みたことのない青い奏甲と、空で戦っている。再び、ポザネオ島で戦っている。そして、ソルジェリッタの笑顔がまぶしい光の中にかき消える。 いつの間にか閉じていたまぶたを開けると、再び隠者の姿とその部屋を見ていた。隠者は言った。 「先にもいうたとおり、善悪はおぬし自身の判断じゃ。その行動の結果は、後にならねばわかりはせぬ。アーカイアの行く末を見届けよ。」 「はい。」 ひびきは、ノイエンも隣で同時に答えたことに気が付いた。ノイエンも同様らしく、ひびきを見つめている。 「2人とも、私との問答を忘れずにな。」 ノイエンは驚いた顔で、ひびきと隠者の顔を交互に見比べる。ひびきの方も、ノイエンが今の同じ時間のあいだ、隠者と対話をしていたのだと悟った。2人で同じことを話したとは思えなかった。 ひびきは、自分もノイエンのように驚いた顔をしているのだろうと思う。 「さあ、フランシスカの淹れてくれた茶が冷める。 ああ、お互いの話したことを、お互いに話す必要はないぞ。話してもかまわんがな。どちらに転んでも、さだめじゃて。」 隠者は細い笑い声を短く発した。いつの間にかフランシスカがティーカップを運んできて、隠者が飲めるようにカップを口に添えた。隠者は一口、茶をすすった。 フランシスカが来た方を見ると、テーブルにティーセットがそろい、ポットからは湯気が上がっている。 「この石にへばりついてから、生き物としてはすっかり怠け者じゃ。本来はこの幻糸結晶が力を失うまで、飲み食いせずとも済むでな。力を求めた結果で、すでに人としての生活といったことはできんがの。代価といったところじゃて。 おぬしらは、まだ怠けるでないぞ。杯を空けたら出立するとよい。それぞれの運命の道を究められるとよかろ。」 ひびきとノイエンは、フランシスカに促されてテーブルのいすに座り、それぞれがした隠者との話を頭の中で整理しようとしながら、ゆっくりとカップを空けていった。 | ||
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