隠者の声 − The voice of the hermit. −


ミリアルデ・ブリッツが行った度重なる踏み込みに、四つ腕の奏甲から返される重い一撃を、ミリアルデが両手持ちの剣でさばいた。だが、それたハルバードに続いて、敵のもう一対の腕が戦斧をたたきつけてくる。ひびきはたまらず、ミリアルデを数歩後退させ、剣を正眼に構えて体勢を立て直した。
リーゼ・タイプの巨体のためか、四つ腕の奏甲はそれほど素早くはなかったが、攻撃の重さと、2組の腕による2度の攻撃は難物だった。ミリアルデが持っている剣−それは響のブリッツ・ノイエが備えていた奏甲用サイズの、ハルフェアの宝剣である−であっても、まともに受けたとき、刀身が無事ですむとは思えない。
「くっ。」
声が漏れるとともに、ソルジェリッタの心配そうな顔が脳裏に浮かぶ。だが、ひびきの意地が、彼女に助けを求めさせない。
ノイエンとの歌の調律の中、ひびきは考える。
「リーチの長い武器なら、懐に飛び込めば・・・。」
『気をつけて。相手は元がリーゼ・ミルヒヴァイスだから、武器を手放した素手で殴られても、中級以下の奏甲はひどいことになるよ。』
ノイエンが<ケーブル>を通して警告する。
「わかってる。」
ひびきは、ミリアルデに片手で肩に担ぐ形で剣を振り上げ、四つ腕の奏甲から見えにくい位置で、もう一方の手に元からの装備であるルーンソードを隠し抜いた。
すると、唐突に調律が緩んだ気配がした。ノイエンの歌はなにも変わっていない。だが相手からの圧迫感のようなものが失せていた。そしてノイエンのものとは、また別に歌が聞こえ、声が届いた。
『剣を引きなさい。あなたが勝ちます。風の女王の剣の奏者と、萌黄の歌姫ノイエン。
そのルーンソードを抜く決断をした瞬間に、一歩先の未来は、あなたがたが勝つ方向へ、限りなく収束したのです。』
それは歳ふりた声を感じさせる<ケーブル>での意思の声だった。四つ腕の奏甲は、すでに敵意なくたたずんでいる。
「どう思う?ノイエン。」
『信じたほうが前に進めそうだよ。いまの調律は、多分だけど隠者様当人と思うし。』
「あの洞窟に入るのよね。ミリアルデはどうしよう?」
『降りておいでなさい。もうその奏甲は、敵対しません。それにここ数日に、あなたがた以外には、来訪者はないですから。』
<ケーブル>を通して、相手にノイエンとのやり取りが筒抜けになっていた。ひびきはミリアルデに剣を納めさせ、降りられるように低い姿勢をとらせた。奏座から降りると、ノイエンがやってくるのを待って、洞窟へ向かう。
四つ腕の奏甲は斧を腰に戻し、ハルバードを地面に立てて、歩哨のような姿勢でたたずんでいた。

隠者の洞窟に入ると、外の光が届かなくなるほども進まぬうちに、岩のままの床から、タイルを張った平らな床を持つ回廊になり、天井も高く、広くなっていた。床がかわってすぐのところに、鉄柵と門が構えられている。左右の壁には、明かりが揺らめいているが、なにかが燃える臭いなどはしない。
門のところに、足首までのスカートになっている紺色長袖のワンピースに、フリルの付いた白いエプロンと頭飾りという姿の女性が、ひびきとノイエンに向けて、軽く頭を下げて立っていた。スカートのさらに下に、少しだけ見える足先はショートブーツらしい。
「ようこそ。ひびき様、ノイエン様。
わたくし案内をいたします、フランシスカと申します。」
そう言ってから頭を上げた彼女の襟元には赤いリボンが結ばれ、首には歌姫の首飾りが光っている。
「あなた、フランチェスカ・リグモンじゃないんだ?」
ノイエンが、ぶしつけに言った。知っている人物に似ているらしい。
「はい。血縁の者ですが、もう何年もお互いに音沙汰なく過ごしております。
それでは、隠者様の所へご案内いたします。」
案内のために門の内側へ振り向こうとしたフランシスカに、ひびきが尋ねた。
「待って。外の4本の腕の絶対奏甲の歌姫って、あなたなの?」
「さようですが。それがなにか。」
「あんな・・・4本腕なんて、英雄も歌姫も、普通に扱えるの?」
「いえ。暴走の一歩手前くらいまで持っていきませんと、4本の腕をそれぞれ使いこなすことはできません。そのため、わたくしのコンダクターは、武器を4つではなく両手持ちの2つにしておられます。」
「その人は?降りてこなかったけど。」
「それは・・・。降りられない事情があるというところまでで、お許しください。」
ひびきの問いにそう答えると、フランシスカはもう待たずに、なかへ向かって歩き出した。
「参りましょう。隠者様をお待たせしてはなりません。」
きっぱりとした言い方に、ひびきとノイエンは黙って従った。床だけでなく、天井も人工的にアーチとなっている通廊を進んでいく。3人の後ろで、鉄柵の門が静かに閉じた。

フランシスカの案内で進んでいく廊下は、ひびきからみると、ヨーロッパ風の城としてイメージを持った造りとなっている。茶色地に白いアーチが組み合わさった天井。決まった間隔で、同じように白い石で立てられた柱と、石のブロックが壁を構成している。床は大理石のような模様の石でタイル張りされていた。壁の高い位置には天井に向かって明かりがともされており、反射によるやさしい明かりが、廊下を満たしている。
石張りの床に、3人の靴音が響く。いくつかの交差点を過ぎ、角を曲がり、ひびきが覚えきれなくなったころ、ひときわ大きな扉の前で、フランシスカは立ち止まった。
「こちらです。」
そう言ってから、フランシスカは歌いだした。彼女の周囲の幻糸が発光し、極めて細い光の線条として目に見える。かすかな光を帯びたその糸の先は扉へ伸び、触れたところで彼女の歌はやんだ。扉へ寄り、両開きの戸を手前へ引いて開ける。
「どうぞ、中へ。」
部屋の中はじゅうたんが敷かれている。ひびきはノイエンと一緒に部屋の中へ踏み込んだ。


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