世を忍ぶ者の想い  - The ambition from hide herself from the world. −


ミリアルデ・ブリッツが切り通しを出て行くのを、4本腕の奏甲の視界を通して隠者は見送る。
赤銅の歌姫から譲渡された試作の奏甲と、奏甲と結び付けなければ命を永らえることのなかったフランシスカの機奏英雄。隠者は、フランシスカの代わりに奏甲の起動歌を歌い、隠者と同じように幻糸の結晶状態の物質−隠者の石座は結晶で、奏甲では幻糸鉄鋼−と結びついている英雄とのケーブルを通して、ひびきとノイエンを見送ったのであった。
「よろしいのですか?お2人にベーゼン商会まで紹介されて。
いつもの『おうかがい』の際の隠者様のお答えと、ひびき様、ノイエン様への物言いが、ずいぶん異なっていたように、わたくし思うのですが。
よもやノイエン様ともなれば、ベーゼンと赤銅の方のつながりには、お気づきになるかと。」
「そうじゃとも。闇蒼はなにもできんかったようだが、白銀、赤銅の三姫や評議会の十二賢者、各国の女王や、中規模のギルドの長たちまでが、母姫様がおられない今、野望を燃やしておるのじゃ。それらに対して、私も思うところあるのだよ。
今回の召喚で、黄金の歌姫が評議会の決定に従ったように見えるのがまずいのじゃ。力があれば黄金の歌姫を左右し、アーカイアそのものを動かすことができるという気になる。易く言えば、連中は世界を手に入れることができると思うておる。
そのような邪な思いはけしからん。じゃが、世界にバランスを持った統治は必要じゃ。それは未来を遠くまで見ずともわかる。評議会は、その統治の力を弱めたが、どのみちこの戦乱は歴史として見たとき、そう長くは続かぬ。
それよりも、10年のち、15年のちじゃ。揺らめく未来には、さまざまなものが見えよる。
対立する歌姫たち。崩れる幻糸の恵みの均衡。お互いに力がないゆえの平和な時期がやってこよう。そののち、異界の知識と技術によって変わっていく絶対奏甲。母姫不在の世界。コンダクターとしての資質を持ったアーカイア人。黄金の歌姫によらず、たった1人召喚される少年。その子の業までもが、知られぬうちにアーカイアを、そして多くの人々の運命を決するであろう。それはこの大戦の結末と、大事さに変わりはないのじゃ。
それに備えて、私ができることをすこしだけ、しておくだけじゃて。」
「ひびき様は特別なのですね?いつもより饒舌にされることから、わかりますわ。」
「そうじゃ、私にはそう見えた。この戦いでは、世界そのものが綱渡りをしているようなものでな。あの者がいなければ、アーカイアは次の出来事さえ迎えられない方向へ転落してしまいかねん。表の統治は最高評議会と三姫じゃ。じゃが旋律も柱も3本で安定するもの。その均衡ための副柱の一本と宿縁となれば、そのたどる道、ただではすまぬて。
ノイエンもそうじゃ。すでに本人は色々知っておって、想いがあって動いておろうが、まだまだ風は吹く。クアリッタが伝えてよこすわけじゃて。それにソルジェリッタも苦労するの。ほほほ。」
切り通しの中にもミリアルデの姿が見えなくなり、隠者は4本腕の奏甲との調律を終わらせた。一般起動なのに奏甲を基点に広がっていた五感が、自分の体の本来の感覚に戻る。幻糸結晶と結びついた不自由な体。だが、それゆえの力である。
隠者は深いため息をついた。
「宿縁でもない英雄と、<ケーブル>を調律するのは疲れるわい。さぁて、おしゃべりも過ぎたようじゃ。少し休むことにするよ。」
身体的な課題は、ほぼ幻糸結晶が解決してくれていたが、精神的なものはそうはいかない。精神活動と占術には、睡眠が必要であった。
「さようですか。では、場所を移しまして、お休みなされませ。」
隠者とフランシスカは、ひびきとノイエンを迎えてお茶をふるまった、そのテーブルについていた。テーブルの上に乗っている物は違っていたが、隠者は変わらず、幻糸結晶の椅子に座している。
フランシスカは歌いながら、隠者のいすを動かした。彼女の周りで幻糸が細く発光し、隠者が座っている幻糸結晶の塊の下へ伸びていった。

一般起動したミリアルデ・ブリッツを歩かせながら、ひびきはノイエンの無口が気になってしょうがなかった。以前は白銀の歌姫の城からポザネオ市まで、ほとんどしゃべり通しだった彼女が、いまは奏甲の起動のために短く歌ってから、一言も話しかけてこない。
ひびきも考えることは多いから、いつものように話しかけられたら、逆に気に障ったかもしれない。だが、現在のノイエンの無口はそれを通り越して、ひびきが心配するほどであった。
隠者に自分とは違うことを言われたに違いない。と思ったひびきは、自分でも話しかけずにミリアルデを南へ歩かせて街道へ至り、海岸沿いの大街道を北東へ向かう。隠者の勧めにしたがってベーゼン商会というギルドに連絡を取ってみるか、いずれかの陣営に参加するにしても、その場へ行かなくてはならない。ひびきは、やはり白銀の歌姫に会ってみたかった。そしてツムギや響にも会い、機奏英雄としての危機を伝え、どうするかをたずねたい。
ひびきは、隠者から聞かされたことが自分の力が及ばないこととしか、思えなかった。この世界の乱れが納まるのをどこかで待つのか、それとも自分が積極的に何かをできるのか。隠者には自分の心のまま、判断のまま行けばよいとは言われたが、その判断をする勇気も考える材料も、ひびきにはなく、心細いばかりだったのである。


<< 45 戻る 47 >>