破れた結界 − Force protection broken. −


  ルリルラ宮のベランダに居ながらにして、女王ソルジェリッタはポザネオ島の状況を把握していた。ミリアルデ・ブリッツを自分の代わりの中心として、歌術を行使していたからだ。そしていま彼女は、闇蒼の歌姫の城である紫月城の天守閣で繰り広げられている、奇声蟲の女王との決戦を、パートナーであるひびきの支援の歌を歌いながら認識していた。
  状況は最悪というべきところまで到達していた。玉座の間に奇声蟲がいることは、知識と結界を司る闇蒼の歌姫の城において侵入を許すほど、ありとあらゆる結界がほどけてしまっている事を意味するからだ。ひびきたちが女王を倒さなければ、島内各地で善戦したにもかかわらず、島は遠からず奇声蟲の島と成り果てるだろう。
  天守閣に至った6機の奏甲に対し、奇声蟲は女王と衛兵が数匹。天守閣にいた歌姫たちを餌食にした衛兵に加え、女王が怪奇な奇声によって編んだ次元の裂け目から現れた新手もあった。だが、それらは瞬く間に倒された。
  中でもミリアルデは華燭奏甲にふさわしく、その装甲の下の幻糸鉄鋼からは輝きが放たれ、いつもは片方しか使わない剣を、両方抜刀し二刀流で戦っていた。ひびきと、ほかでもないソルジェリッタ、2人の怒りをうけ、唸りを上げて稼動する同機のアークドライブのパワーがなせる業である。
  ソルジェリッタは、事前からのさまざまな手段によって、このような事態が避けられたはず、という自責、女王が持つ施政者としての責任、そして彼女が1人の歌姫として黄金の歌姫から託されたことからの思いを重く感じていた。それは、奇声蟲の餌食になるよりはと自ら命を絶った歌姫たちへの哀れとともに、怒りとして奇声蟲の女王へ向けられていた。
  ソルジェリッタが知覚している実際の戦場の状況において、奇声蟲の女王は衛兵種を召喚する隙はなく、一方の奏甲部隊は一度は打ち込んだものの、女王の強靭さの前に手をこまねいた。両者は短い時間、にらみ合いに陥った。
『歯が立たないよ。なにか手はないの?』
  ひびきが誰にともなくたずねた。
  それをさえぎったのは、か細い歌声だった。ソルジェリッタは、それが闇蒼の歌姫のものであることに気づき、ルリルラ宮のベランダで戦慄した。

  天守閣に突入し、その惨状を見てひびきは怒りで破裂しそうだった。それ以上にソルジェリッタの怒りが、<ケーブル>を通して途切れることのない川のように流れ込んできた。それがミリアルデに注がれ、両手に持つ剣に乗って敵にたたきつけられている。
  まるでひびき自身の体のように思い通りに、だが運動能力としてははるかにすぐれた巨大ロボットとして戦闘稼動するミリアルデにとって、すでに衛兵種などは敵ではない。
  だが、奇声蟲の女王は違った。災難と不条理の元凶ともいえるこの敵は、人間の怒りなど介さないかのように奏甲の攻撃を避け、命中してもその厚い甲殻に傷をつけるくらいしかできない。玉座の段から前へ降り、ひびきたちの前に立つ女王蟲が感じさせる不敵さと傲慢さは、ひびきの神経を逆なでする。
「歯が立たないよ。なにか手はないの?」
  誰ともなく問う。そのとき、か細い歌声が聞こえた。奏甲を支援している歌姫たちとは、別の旋律だ。
「だれ?どこから?」
  目の前で、奇声蟲の女王も動きを止め、頭部を左右に振り、戸惑っているようにみえる。
『この声は闇蒼の歌姫です。ですけど・・・。』
  ソルジェリッタの遠話は震えている。
「なんの織り歌なの?」
『奇声蟲の行動を鈍らせています。歌の聞こえる範囲が結界となります。強力です。おそらく奇声も効果がないでしょう。彼女にしかできないか、あるいは闇蒼流の奇声蟲封じですわ。』
「いまがチャンスね。強い歌姫が手伝ってくれるうちにやっつける!」
  ミリアルデが打ちかかっていく。なにも言わずとも、響、ディーリ、コーダの奏甲が遅れずに攻撃に入る。和司と玲奈は一歩後ろで、前衛を補助する位置につく。
  ミリアルデと響のブリッツの輝く剣が外皮に傷をつける。ディーリのシャルラッハロート2とコーダのキューレヘルトは、当てたものの女王の漆黒の表皮に痕もつかない。
『ちっ、自由民の女どもの武器じゃ、こんなもんかよっ!』
コーダが吐き捨てるように言った。それは彼が、自由民を称する歌姫たちからキューレヘルトを強奪してきたゆえの言葉だったが、だれもそのようなことにかまっている余裕はない。
  打ちかかった奏甲は、敵から離れて態勢を立て直す。細い歌声が、天井に穴が開いているにもかかわらず、天守閣の中の音響で広がり、その声量にしては良く聞こえていた。だが、挑む人間たちには勝機が見えない。
  奇声蟲の女王が、首をもたげてその強大な顎を開いた。奇声を発する動作だ。が、それは聞こえてこなかった。女王を見ると、女王自身が頭を振って混乱しているように見える。歌が効いているのだ。
  だが、それは打ち込みの機会にはならない。攻撃が命中しても効果が小さすぎるからだ。
  ひびきは自分の怒りとソルジェリッタの怒りがたまって、自分でも頭に血が上っていくのがわかるような気がした。実際に彼女は頭に血が上っていた。ひびき自身がソルジェリッタと同じ歌を歌いながら、ミリアルデを駆っているのに気づかないほどに。
  唐突に6機の奏甲の並ぶ後ろで破壊音がした。ひびきは女王に気を配りつつ、一瞬だけ振り向いた。ホールの端に奏甲用の槍と思われるものが、石畳を砕いて打ち立っている。その長さの半分近くが綺麗な角柱で形作られたUの字型になっていて、刃や穂先はない。
『あれはサウンドランサー!まさかオリジナルなの?』
  ソルジェリッタがそう言ったが、ひびきには、巨大な音叉にしか見えない。
『あれって、音叉だろ?』
  響が思わず声を漏らした。
  それには誰も答えを返さなかった。音叉に矢が命中し、低い鳴動音が天守閣に充満したからである。それに合わせ、聞こえていた細い歌声が拡声されたかのようにボリュームが上がった。だがその様子は変わらず、いつ途切れても不思議ではない、か細い声でしかない。
  ひびきが視線を戻した先で奇声蟲の女王は、盛んに足の位置を踏み変え、頭部を振り、苦しげな状態に陥っているように見えた。
  その頭部に矢が飛来し、甲殻に跳ね返された。矢の飛んできた方向には、あの緋色の奏甲が弓を持ち、次の矢を装填しようとしている。
『あ、あいつっ!』
  響の唸りが聞こえた。かなり感情的になっているようだ。だが、いまは奇声蟲の女王の方が先の問題だ。
「頭。頭を狙えって言うのね。」
  ひびきは、サウンドランサーと呼ばれる音叉の音に、ソルジェリッタから渡された剣と首飾りもかすかに振動しているのを感じた。それとともに、今まで以上にソルジェリッタ、ミリアルデとの一体感と、奏甲の力強さが実感される。同じことが起こりそうなアイテムを、彼女は思い出した。
「響、あんたの剣を渡して。」
『なんだって!?』
「ミリアルデで敵の頭を狙う。そのためには同調がちょっとでも強い必要があるの。奏甲の剣を取り替えて、あんたの剣も貸して。」
『はっはぁ。女に剣を託すなんて男としちゃ哀しいが、この際かまってらんないぜ。
  ベッドで"させる"つもりで、早くしな!』
  コーダはそういいつつ、奇声蟲の女王をけん制できる場所にキューレヘルトを移動させた。和司、ディーリと玲奈の奏甲は、奇声蟲の女王を警戒しながら、ひびきと響の奏甲の前を守る。
『・・・わかった。』
  響はそう言いながら、ブリッツの両手持ちの長剣をミリアルデの2本の剣と交換した。それから奏座に奏甲の手を持ってくると、ハッチを開いて奏甲の手のひらに人間用の長剣を置いた。
  ブリッツはその手を、ミリアルデの奏座のところへ差し伸べた。ひびきはミリアルデのハッチを開き、置いてある長剣を持ち上げようとする。響の声が聞こえた。
「気をつけろよ。」
「うん。」
  ひびきは剣の重さに一度持ち上げそこなったが、態勢を取り直して、そのハルフェアの宝剣をブリッツの手から取り上げた。彼女の腰の小剣と手に持った長刀、そして首飾りともが細かく震えているのと同時に、ミリアルデのアークドライブの回転までを感じ取っているような感覚が起きる。
  目を上げると、まだ響がハッチを開けたまま、彼女を見ていた。
「どうしたの?心配ないって。私のパートナーは女王様だよ。」
「そうだね。後で話そう。」
  響はそう言ってから奏座に引っ込み、ブリッツのハッチが閉じられた。
「変な響。」
  ひびきもハッチを閉じて奏座に戻る。ハルフェアの宝器が3つそろい、さらに歌術の効果のあるらしい音叉に共振する中で、ひびきはミリアルデ、ソルジェリッタと自分の三者の調律の強さに眩暈を覚えた。ソルジェリッタがそばにいたり、ミリアルデが吼えそうな錯覚をいだく。彼女は首を振って、その眩暈を振り払った。
「さ、いくよ、ディーリ、玲奈!響、和司君、おじさんもよろしく。」
  緋色の奏甲を一目見ると、矢をつがえ終わり、待っているように見えた。それ以上の援護はしてくれないのだろうか。ひびきは密かに思ったが、いまはあてにしないことに決めた。天守閣に上がってきたときには、数に入っていなかったからだ。
  ミリアルデ・ブリッツが両手で長剣を構え、奇声蟲の女王へ向いた。その機体は、内部の幻糸鉄鋼だけでなく、すでに剣も機体も全身で輝きを発している。
「ゆるさない。あんたがどんな生き物なのか、よくわかんないけど、死んだ歌姫たちのことは許せない。殖えるためなのかもしれないけど、人はハチに使われる芋虫じゃないっ!」
  ひびきは、奇声蟲の女王めがけてミリアルデを駆けさせた。


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