奇声蟲の女王 − The Queen of Noise −


  響と和司は、紫月城の正門の内側で、入ってこようとする衛兵種を防いでいた。幸い、突入してくる貴族種はいない。城外のすこし離れたところでは、ハルフェア部隊の後続がこちらへ向かってくるのが見えている。ハルフェア軍が正面門を確保するのに、時間はかからないだろう。
  そのなかで、響は自分が冷静であるのを不思議に感じていた。中門の突破方法を考えるのをひびきたちに任せてしまい、衛兵種の退治に集中しているのもナルドの死をなるべく考えないようにするためだ。だがそれでも、自分がいかに人の死に不慣れで、どう感じればよいのかがわからないことに当惑していた。そしてなにより実感がない。
  その一方で、緋色の奏甲への怒りがあり、それはブリッツ・ノイエの剣を通して奇声蟲にたたきつけられていた。ひびきを助けたというが、響たちの前に現れた緋色の奏甲は、協力するどころではなかった。完全に敵だった。それも命を奪ってでも響たちの前に立ちふさがったのだ。その意図は、響が知るよしもないことだが、命が惜しくないほど異性に惚れるという経験がない響には、もし当のツムギに説明されたとしても理解できないことであった。

  しばらくするとハルフェア部隊が正門に取り付き始め、響と和司は彼らに正門を任せて中門へ戻った。カノーネが発した、先鋒部隊による紫月城入城の指令は、そのまま城の中核まで進攻し、それが天守閣であれば至って事態を確認するという形で進行していたからだ。
「正門と中庭を確保したら、ナルドのリーゼを頼みます。」
『ああ、城内は頼むよ。響隊長。』
  正門にたどり着いたハルフェア部隊の、すこし年長の小隊長に響は言った。いまだナルドを、このあとどう扱えば、どう弔えばいいのか、わからない。
  中門では、ひびきのミリアルデ・ブリッツが、剣を鞘に戻して片手を空け、その手を門扉に当てていた。
「ラナラナ、あれは何をしてるかわかるかい?」
『ソルジェリッタ姉さまが、ミリアルデを通して織り歌を歌ってるのょ。聞こえるでしょ、響兄ちゃん。』
  そういわれた瞬間、響はケーブルを通してほかの機奏英雄と歌姫たちのやり取りや、奏甲を戦闘稼動させる支援の織り歌があふれかえっていることに、突然、気づいた。音が押し寄せてくるような感覚を覚える。紫月城に入ってから、ラナラナとしか同調できていなかったのが、いつの間にか通常の状態に復帰していたのに、自分の思考のために耳に入っていなかったのだ。
  そのなかに、ソルジェリッタの歌を聞き分ける。その織り歌は、なんども繰り返されているようだった。知識の司でもある闇蒼の歌姫の城の門である。生半可なことではこじ開けることはできない。もちろん、歌術でも簡単には開かないよう、歌も施されていた。
『我、風を司りし歌い手なり。門よ、戸よ、鍵よ。この風に吹き行く通り道をひらきたまえ。』
  遥か東のハルフェア王都から奏甲を支援しているだけでもすごいのに、歌術まで使えてしてしまう。響はソルジェリッタの力にあらためて感じ入る。彼女の妹であるラナラナも、こんなにすごい女性になるのかなと、ふと思う。
『なぁに?響兄ちゃん。』
  思考が同調しているラナラナにも伝わったのか、ラナラナが聞いてきた。
「えっと、いや、ラナラナのお姉さんは、すごい人だね。」
『うん!ラナラナもがんばって、ソルジェリッタ姉さまみたいになるのょ。』
  ケーブルを通して、ラナラナの喜びが伝わってくる。実の姉をほめられて単純にうれしいのだ。響は、ソルジェリッタくらいの歳になったラナラナを思い浮かべようとしてみた。それはどちらかというと、ラナラナと同じ色のドレスを着たソルジェリッタだった。

  ハルフェア女王の織り歌によって、中門が開いた。
『いこう。』
  ひびきが短く言った。ひびきの小隊、2人になった響の小隊、そして凶暴さを感じさせる黒い奏甲を駆るコーダ・ビャクライの6人が、まず中門をくぐった。あとは正門と中庭をハルフェア軍が確保すれば割ける戦力が増えて、城内の探索にも派遣される。
  響は中門を入るところで思い出し、中庭を振り向いてナルドのリーゼ・ミルヒヴァイスを一瞥した。

  城は奏甲に対応して建築されているとはいえ、あくまで人のための建物であった。奏甲が城内で入ることができる場所は限られている。中門から奥に入った場所にある階段を上る。横に奏甲が2機並べるほどの幅がある階段は、人用の段差の中に奏甲用の段が、人にしてみれば踊場になるように造り込まれている。
  そのような人機共用の回廊を上り、進んでいくと、広いホールに出た。「豪華絢爛」という言葉が似つかわしいその場所は、城の中ほどに位置する会場のようなスペースらしい。無人で、奇声蟲もいない。
  奏甲が進めるのはそこまでかと思われたが、城の外壁に奏甲用の階段が上へ向かっているのを、コーダが見つけた。だが彼は、誰かに声をかれるでもなく、奏甲にその階段を上らせはじめた。
『これ、崩れねぇだろぉな。』
  響や他の奏甲が続いて上ろうかと躊躇していたとき、低く重い、腹に響くような音が大きく響いた。
「なんだ?」
『上の階で、なにかの織り歌が破れちゃった感じがするのょ。』
  ラナラナが答えたが、彼女の姉のほうが、的確な言葉で説明した。
『階段の規模からすれば、その先は天守閣です。そこで強力な織り歌で結ばれていた大きな結界が、なにかの理由で破壊されたのがわかります。
  小さな次元の裂け目も感知できます。大きな力を持つ歌姫が・・・2人。いえ、3人?
  それ以外の歌姫がいて・・・!数が・・・ひびき、早く姉妹たちを助けて!』
  ソルジェリッタは叫んだ。
  ひびきはミリアルデで、奏甲一体分の幅しかない、外壁の奏甲用階段を上り始めた。先にいるコーダのキューレヘルトに、たたきつけるように言い放つ。
『おじさん!早く行くか、どいて!』
『おじさんはひでぇぜ。それが年長者に対する態度かよ。だいたい、どけるかっての。』
  コーダは言い返したが、剣を構えた戦闘態勢のミリアルデが突進してくるのに立ちふさがることはせず、キューレヘルトはミリアルデに追われるようにして階段を上っていく。それに響、ディーリ、玲奈、和司と続く。

  そして天守閣にそれはいた。貴族種に似た体躯ではあるが、さらに大きい体は漆黒。その足の下には何人かが倒れている。なかには、鉤爪につらぬかれている死体も見える。
  天守閣の天井に同じ大きさの穴が開いていた。その周囲には無傷の衛兵種も数体いて、その触手で人を襲って、捕らえている。それは、闇蒼の歌姫による、結界の織り歌に同調して歌っていた、この城の歌姫たちであった。
  玉座をまたぐようにしている漆黒の巨大な奇声蟲。それが奇声蟲の「女王」だった。


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