闇の中で、一人の歌姫がたたずむ。幻糸で張られた弦が淡く輝くハープを抱え、演奏しつつ、ささやくように歌っている。 歌いつつ、その歌姫は暗い帳にさまざま事象を見ていた。過去、現在、未来。彼女が調べようとしている事象と、それに関係する場所と出来事。現在のアーカイア、そして予想される将来の事件が、小さな音の旋律とともに、彼女には見えていた。 そこへ別の旋律が割り込んできた。特殊なアークドライブを使えば、時さえ妨げるほどの結界であるにもかかわらずである。ハープを演奏していた歌姫は、結界の歌術にアークドライブを調律しておかなかったことを後悔した。 その素振りは見せず歌を止め、落ち着いた声で異旋律に語りかける。相手が誰なのかは、自らの結界の中ゆえにわかっていた。 「ごきげんよう、白銀の方。」 「お気づきなのね。闇蒼の方。ですが私のことはフォルミカとお呼びください。今日は三姫の一人の『白銀』や、ポザネオ最高評議会議長ではございませんの。 辞したわけではありませんが、今後そうではなくなるかもしれません。」 闇の中に「白銀の方」と呼ばれた歌姫が姿を見せた。貴紫を基調としたドレスのために、この場所の闇に溶け込んでしまいそうだ。ドレスのおおきな襟ぐりにより見える豊かな胸元から、歌姫の証明である首飾りを経た首筋、意志の強さを示すように整った美しい顔立ち。かすかな光を受け、波打って見える豊かな髪。口紅の赤が白い肌にひきたつ。 彼女こそ、ポザネオ最高評議会の議長にして、黄金の歌姫に次ぐ最高位の歌姫である三姫の1人、歌術の国ヴァッサァマインの誉れと称えられる白銀の歌姫、その人であった。 ハープをかき鳴らしている、この城の主でもある歌姫―闇蒼の歌姫―は、白銀の歌姫へ視線も向けずに言った。 「御用はなんですか、議長。この城は危機に瀕しています。この城を囮とすることは確実でありましょうとも、あの『女王』は防げないかもしれません。退避をお勧めいたしますわ。」 闇蒼の歌姫は、白銀の歌姫がどのようにして結界をほどき、侵入してきたのかを問いただしたかった。だが、ここは彼女自身が司る城であり、彼女の結界であるから、弱みを見せるわけにも行かない。 「あなたが見た歌姫大戦、幻糸と英雄の関係、そして評議会の専横、横暴について、アーカイアにいるすべての歌姫に知らせてほしいのです。」 「姉妹たちを混乱に陥れて、どうしようというのです。 母姫が<召喚の歌>の消耗により眠りについておられ、事実上ご不在の間に、そのような重大なことを決めてよいとは思えませぬ。」 闇蒼の歌姫は、白銀の歌姫の発言の真意を測りかねていた。三姫であれば自分たちより低い階位の歌姫に明かせない極秘事項も一つや二つではない。また三姫同士の間でも、隠されていることももちろんある。白銀の歌姫が触れていることは、その中でも禁忌と言っても過言ではない事柄であった。広く知られれば、アーカイアは乱世の嵐に投げ出されるだろう。 「眠っていることを良いことに、評議会は黄金の歌姫をも、ないがしろにしています。 そもそも、かの者が幻糸に蝕まれて変化してしまう奇声蟲という存在。なのに『女王』。その真実をご存知でしょう。それだけでも評議会員の十二賢者たちは、弾劾されてしかるべきです。 歌姫大戦の時代から張り巡らされた、賢者たちの支配の網。召喚された機奏英雄たちと歌姫たちを救うためにも、真実を白日にさらす必要があるとは思いませんか、闇蒼の方。」 評議会も、三姫も権力者であることは間違いがない。それは表向きの人々のためのまつりごとの一方で、一般の人々の目には倫理に反するようなことに手を染めていることを意味していた。それはアーカイア人には絶対奏甲の起動ができないことや、歌姫の階位を与えられない能力者に対する対処といったことに始まり、大規模なものでは各国女王たちが関係するようなこともある。奇麗ごとだけでは世界は維持できないのだ。 それでも、黄金の歌姫が眠りについている今、白銀の歌姫の提案を受け入れることは、闇蒼の歌姫にはできなかった。 「おことわりいたします。 いまは奇声蟲の殲滅が急務。わたくしの城と歌姫たち、そして機奏英雄を巻き込んで、ポザネオ島全域、そしてアーカイア本島の奇声蟲どもを集め、結界に封じ込めるこの方策が完遂しなくてはなりません。 貴女がおっしゃられている件は、母姫様がお目覚めになってからにいたしましょう。」 闇蒼の歌姫は言った。 だが心中で、この作戦の手立て、奇声蟲の移動などまでが、白銀の歌姫がこの場に立つために仕組まれたのではないか、という恐れが大きくなっていた。歌術を司る白銀の一方、召喚の歌によって機奏英雄が現れ、絶対奏甲が大地を闊歩していることからすれば、工房を司る者が彼女に賛同している可能性も考えられる。 アーカイアの知の司である闇蒼の歌姫がつかむことができないほど、巧妙な計画の末に白銀の歌姫がこの場にいるとすれば、自分が賛成、反対のいずれであっても、その後のこともそれぞれ熟考されているに違いない。 いずれにしろ、この城は奇声蟲の女王とその群れに蹂躙され、早急に手を打たなければ闇蒼の歌姫自身が命を落としかねない状況が迫っている。 「それでは、ご協力はいただけないのですね。」 白銀の歌姫はそう言うと、織り歌を歌いだした。それは結界を解く織り歌であったが、驚いたことに闇蒼の歌姫が知らない歌で、その威力は想像を超えたものであった。 ハープをいだいた闇蒼の歌姫の周囲の闇が取り払われ、周囲は紫月城の天守閣の部屋の風景を取り戻す。闇蒼の歌姫が座っている玉座の正面に白銀の歌姫が立ち、彼女の向こうには赤いシャルラッハロートの巨体がそびえ立っている。 「それでは、まもなくやってくる『彼女』の怒りをなんとかなさるのですね。」 闇蒼の歌姫は、緋色の奏甲を見上げた。そして白銀の歌姫は、その絶対奏甲のコンダクターのために、ことを急いでいるのだと悟った。女王に対するなにかしらの手段も用意されているに違いない。自分が奇声蟲の女王により命を落とせば、その奥の手を使い奇声蟲に対応し、この場にある宝器を使い、自らの主張をすべての歌姫たちに伝えるだろう。白銀の歌姫が、この場に<黄金の玉座>があることを知っているのは、尋ねるまでもなかった。 だが、答えはもう出ている。闇蒼の歌姫は、いまから自分の力でできることを検討し始めた。自分のために鎮魂歌を歌ってくれそうな人々を思い浮かべながら。 | ||
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