丘の向こうへ − Beyond the hill −


  ミリアルデ・ブリッツのところへ戻って、ひびきはやっと肩の力が抜けた。カノーネに連れられて、合同軍議からハルフェアの陣地へ戻ってきたところだ。その議題は、紫月城に陣取っている、奇声蟲の最後の群れを討伐することに関してであった。

  集会場を解放したハルフェア軍に、転戦を依頼したクアリッタが語った通り、紫月城を基点に、トロンメルとシュピルドーゼの部隊が北東から、ヴァッサァマインとファゴッツの部隊が東から、南西から「現世騎士団」が、そして南東からハルフェアの絶対奏甲部隊が進攻する。
  歌姫ティリスと彼女が率いる歌姫たちの歌による、奇声蟲を封じている結界が、絶対奏甲部隊の進攻につれて、狭められていく手はずになっている。この作戦の開始がこの時期になったのは、この結界にかかわる歌姫の集合と、結界縮小となる歌の準備、そしてハルフェア軍の到着を待つ必要があったためであった。
  地形からすれば、飛行しない奇声蟲を逃すことはない。結界は上空にも効力がある上、トロンメルとシュピルドーゼで統合されたフォイアロート・シュヴァルベの部隊が監視している。西の海上ではトロンメル艦隊がにらみを利かせている。
  ハルフェア以外の部隊においても、絶対奏甲の大半は100年以上も前の歌姫大戦時に建造された機体が大半で、トロンメル軍、シュピルドーゼ軍の被害が大きいこと、黄金の工房からの新型奏甲譲渡が順調ではないこと、結界の副作用で遠話の歌が紫月城まで届かず、闇蒼の歌姫の生死が不明なこと、白銀の歌姫が、陣頭指揮を取るといって彼女の機奏英雄とともに前線へ出るといった知らせも多数あった。
  とはいえ、ひびきはカノーネに任せて隣にいて聞き流していた。軍事的なことはわからないと割り切ってしまっていたのだ。

  このなかでカノーネは現世騎士団という集団について、実態を聞いてからずっと、その存在に腹を立てていた。現世騎士団は黄金の工房の支援を受けて絶対奏甲を運用しているが、その指揮官は、歌姫どころかアーカイア人でさえないと言う。
  それに輪をかけたのが、現世騎士団"団長"を自称するコーダ・ビャクライという機奏英雄が、軍議へやってこなかったことだ。当初、歌術の遠話を介した連絡では、間に合う移動手段がないと伝えてきていた。それに対し、フォイアロート・シュヴァルベによる伝令を送ってさえ、ふてぶてしい別の英雄が1人だけやって来て、南から紫月城へ進行するが、それ以外のことは現世騎士団の独自の判断でやらせてもらう、ということ意外、なにも話さないという態度だったのである。
  当然、他国の参加者は顔をしかめたが、黄金の工房が後援しているとなれば軽く扱うこともできない。目的は一致しており、目的地もこの時点では問題がなかった。

  カノーネはひびきと自陣へ戻る道すがら、なんども力説した。
「なにをもって『現世』ですか。確かに機奏英雄の方々にしてみれば、アーカイアは異世界なのでしょう。そうだとしても、それではまるでアーカイアが現実ではないと言っているようではないですか。
  それに指揮は歌姫か、少なくともアーカイアの者がとるべきです。この危機は、召喚された人々の世界ではなく、アーカイアの試練なのですから。」
  そのカノーネも歌姫であることを、彼女の首に飾られたシュピルドーゼ風の歌姫の首飾りが主張していた。

  その気分がとがっているカノーネと、ひびきはハルフェアの陣へ戻ってきたのである。ひびきはカノーネから離れて、ミリアルデのところへ向かったが、カノーネは何も言わなかった。そのままハルフェアの英雄と歌姫が集まっているところへ歩いていく。
  ひびきは、ひざまづいている姿勢のミリアルデの奏座に上がった。
「起きて、ミリアルデ。ソルジェリッタと話したいの。」
  独り言のようにひびきは念じつつ言った。
  ひびきの思いだけでは実際の起動はしないが、パートナーが起動を望んでいることは、機奏英雄から宿縁の歌姫に伝わる。かすかにソルジェリッタの歌声が聞こえた気がすると、姿勢は変えないままミリアルデが起動した。宿縁があるとはいえ、この距離での感知と起動は、ソルジェリッタだからこそだ。
「ソルジェリッタ。」
『ええ。ひびき。』
  集会場から翡翠の峰への長い移動の間に、響とのことでソルジェリッタと口をきかないという不自然な関係は解消されていた。相手の存在を感知してしまう中では、相手が真剣に自分のことを心配してくれている優しさを、無視することはできなかったのだ。
  ひびきは、軍議でのことを説明した。
「どう思う?」
『そうですね。いまは奇声蟲を退治することが大切です。
  黄金の工房が支援しているなら、その逆もまたしかりです。その現世騎士団がカノーネの心配どおりの集まりだとしても、黄金の工房が支援を打ち切れば力を失うでしょう。
  それよりも三姫の1人が行方不明であることの方が重大です。』
「闇蒼の歌姫ね。」
『ええ。紫月城が奇声蟲に占拠され、もう何日も経ちます。早期からティリスが結界を設けたため、奇声蟲の拡散は防がれたものの、中へ遠話の歌も届かず、城内の様子はわからないままです。
  奇声蟲の襲来を待つかのように、紫月城を基点にポザネオ島全体を保護していた大結界が消えた理由も、知る必要があります。司っていたのは闇蒼の歌姫です。
  紫月城の奇声蟲の群れを退治し、闇蒼の歌姫、すくなくとも城内の生存者を救い出して、たずねる必要があるでしょう。』
「シゲツ城だっけ?その闇蒼の歌姫のお城から、どうしたって奇声蟲を追い払わなくてはいけないのね。
  だけど奇声蟲以外にも心配事がありそうな雰囲気よね。そう思わない、ソルジェリッタ。」
『・・・』
「ソルジェリッタ?」
『え、ええ。いえ、奇声蟲を退治すれば、また平和なアーカイアにきっと戻ります。』
  ソルジェリッタの返事の不自然さと、<ケーブル>から伝わってくる彼女の不安に、ひびきは気づいてたずねた。
「なにが心配なの?」
  ほんのすこし、逡巡があってからソルジェリッタは答えた。
『200年もなかった大きな戦いなのに、あなたのそばにいられないことが不安なのです。』
  後半を甘えるような声音で訴える。ひびきの脳裏に、くちづけを拒んだことで落胆したソルジェリッタの姿が浮かんだ。
「えっ!?」
『会えなくて寂しいのです。もとより歌姫は離れた場所から歌で英雄をお助けするもの。ですけど、こんなに離れて触れ合うこともできないなんて。
  お願いです。いくさ場にいらっしゃる中ではわからないことですが、お怪我などせずに、必ずご無事でのご帰還を。』
  ひびきの頭の中で、落胆したソルジェリッタのイメージが、迫ってくるソルジェリッタの像にかわり、<ケーブル>を通してソルジェリッタの愛情が押し寄せてくるような圧迫感を感じた。
  そのとき2人のどちらにとって幸運であったのか、周囲が騒然とし、他の絶対奏甲が起動し始めた。カノーネの伝達を受け、ハルフェア軍が移動の準備に取り掛かったのだ。
  カノーネの指示が伝達される。
「南西へ下って出撃点へ移動する!
  今度は、支援を受け持つ黄金の工房の後方部隊も同伴する。ここまでの行軍のつもりで行きすぎるな!」
  きびきびしたカノーネの声に、ひびきは現世騎士団の話題を思い出した。そしてソルジェリッタの心配ごとは、奇声蟲ではなく現世騎士団やほかの絶対奏甲の集団が悪さをすることではないかと、ふと思いついた。
  ミリアルデを立ち上がらせる。その力強さがあれば、自分が無敵なようにも感じられる。トラックのスタートラインに立った時の呼吸で、息を整えた。
  南西の移動先には、軍議で説明された丘がある。そこを起点に、ハルフェア軍は紫月城へ進むのだ。
「行こう、ソルジェリッタ。今はいってみなくちゃ。走らなくちゃ、わからないもの。」
『そうですね。この身はルリルラにあっても、共にまいりますわ。』
  そのソルジェリッタの言葉は、芝居交じりの甘えたものではなく、真剣な言葉だった。そこへ、別の声がかかる。
『ひびき、用意はいい?』
  リフィエの気配を介してディーリの声が届いた。声は発していないが、玲奈がいることも、カレンの気配が<ケーブル>に存在することでわかる。ミリアルデの脇に、傷だらけのシャルラッハロート・ツバイが2機、立ち並んだ。
「もちろん。これで蟲騒ぎは最後だって。さ、いってみよ。」


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