転戦 −They are moving a field. −


  集会場解放を受けて、別の群れの襲撃を受けたポザネオ市から避難した人々や、黄金の歌姫の城である光輝城に退避していた英雄候補と歌姫候補が、救援も兼ねて駆けつけた。そのため、集会場はともに戦ったうちで判った機奏英雄と歌姫のペアの他に、あるペアは集会場までの道中で、あるペアは来訪者と集会場にいた者で、いくつもの組み合わせが成立した。それを祝福するかのように、集会場を清める静かな歌が何重にも聞こえている。
  大きな解放の歓喜があがらないのは、救助された形となった集会場の人々が、奇声蟲の包囲に耐える中で飢えかけていたためである。解放の知らせとともに食糧・水の支援を近隣の拠点に依頼する程の事態だったのである。その支援を行うのに、英雄・歌姫候補たちは動員されたのだった。
  そんな中、ハルフェア軍は一人の伝令を迎えていた。それは一機のフォイアロート・シュヴァルベで、その機体の肩にはふたつの三日月に、つる草をモチーフにした模様があしらわれた黄金色の紋章 ― 黄金の歌姫の御印 ―が印されている。そのシュヴァルベは、手に歌姫を乗せて飛来した。
  ミリアルデとブリッツが、それぞれハルフェアと黄金の歌姫の紋章旗を立てて迎えたその歌姫は、瑠璃の歌姫クアリッタと名乗った。本人は落ち着いた雰囲気の女性で、長い髪をポニーテールに結っている。白い襟付きのブラウスのウエストの部分を締めていて、膨らませた肩の衣裳とあいまって、赤く細いリボンが下がった胸元と、腰周りのボリュームを強調している。肩のふくらみには、白い羽根飾りが飾られている。歌術に必要となる首飾りは帯板が首を一周していて飾り付けられている、チョーカーの形。それはトロンメル出身の歌姫たちに見られる歌姫装束であった。一方、シュヴァルベの英雄は、奏甲を降りてこなかった。

  煮炊きと治療や消毒のために湯を沸かす煙と湯気が行く筋も上がり、静かな物悲しさを感じさせる清めの歌が、集会場全体をやさしく包んでいる。
  その中で、カノーネと彼女に呼ばれたひびきが、クアリッタを迎えた。クアリッタは、集会場解放に対して労をねぎらい機奏英雄たちに礼を述べた後、転戦を依頼する旨を、カノーネと、ひびきを通してソルジェリッタに述べようとした。だが、ひびきが絶対奏甲に乗ったままソルジェリッタとの仲介をするのではなかった。クアリッタはひびきの手を取り、ひびきのわからない言葉で短くハミングした。クアリッタのまわりで輝く糸が一瞬だけ乱舞する。そして彼女は話し出した。
転戦 −They are moving a field. − 「ソルジェリッタ様、お聞きいただけていますか?クアリッタです。お久しゅうございます。」
『ええ。聞こえています。いまは瑠璃とか。お祝い申し上げます。』
「ありがとうございます。陛下も機奏英雄とめぐり会われて。それもこんなに愛らしい英雄とは。おめでとうございます。ミリアルデ・ブリッツは奏者と武勲に恵まれたのですね。」
  ソルジェリッタの代わりにひびきが発声しなくても、ソルジェリッタとクアリッタは言葉をやり取りする。響との会話に対するイライラを引きずりながらも、ひびきはアーカイアが異世界であること、歌術が魔法であることを再認識した。
『時に、ノイエンはどうしているでしょう?』
「元気ですよ。変わりません。元気すぎて、階梯でわたくしを追い越してしまいました。いまノイエンは『萌黄』を拝命しています。」
『それはそれは。ハルフェアの者が、黄金の歌姫のお役に立っているのは、誇らしいことですわ。』
「本人の前でははばかりますものの、十分お役に立っておりますとも。
  さて、時がうつります。本題に移らせていただきます。
  ポザネオ島も、解放されるまでもう一歩です。最後の群れと思われます、東の蟲の森から来襲した奇声蟲の新しい群れは、すでにエタファ、ポザネオ市に被害を与えつつ通過し、現在はポザネオ島の西の紫月城、つまり闇蒼の歌姫の城に到達し、そこに封じ込められています。
  封じ込めは、歌姫ティリスさまが翡翠の峰において結界を張り、トロンメルとシュピルドーゼの部隊が北から、ヴァッサァマインとファゴッツの部隊が東から、南からは機奏英雄の方々が独自に集まられ、黄金の工房が助力する『現世騎士団』が押さえています。西の海にはトロンメル軍艦隊が展開しています。奇声蟲相手に軍艦の砲が有効かどうかは疑問ですが。
  ハルフェア軍も、この最後の戦いに力をお貸しください。
  紫月城には、奇声蟲の女王がいると言われています。貴族よりさらに巨大な、黒い奇声蟲が、目撃されています。蟲の森から移動してきたのかどうか不明ですが、数を減らした島内の奇声蟲たちが、紫月城に集まっているという情報もございます。
  紫月城の女王を始めとする奇声蟲を殲滅すれば、今回の襲来は終わるでしょう。かつて絶対奏甲もなく立ち向かうしかなかったの歌姫大戦の初頭のような犠牲は、出さなくて済みそうです。」
  クアリッタは、一気に説明した。聞いていたひびきは、奇声蟲退治が終わったあと、機奏英雄が元の世界に戻れるのか、質問として口にしようとした直前、ソルジェリッタの言葉にさえぎられた。その言葉は、痛切さを感じさせた。ひびきは絶対奏甲で調律しているかのように、はっきりソルジェリッタの悲しみと焦燥を感じ取り、自分の質問を引っ込めてしまった。
『黄金の歌姫は、いまは・・・?』
「『召喚の歌』の消耗から、眠りについておられます。今日に至っても、まだアーカイアへ新しく姿を現す機奏英雄候補が、少なくなりましたが、まだいらっしゃるようです。それからしますと、召喚の歌の効果はいまだ続いており、その歌い手の消耗も想像を絶したものと思われます。母姫が目を覚まされるのは、いまだ先かと。」
『それでは、白銀の歌姫が率いる最高評議会が、いまはことを進めているのですね。』
「さようです。そのなかで、わたくしも黄金の歌姫の命ということを示すため、パートナーではないのですが、親衛隊の英雄にお出ましいただきました。
  それはまた別のこと。さて紫月城へのご出陣の件、ソルジェリッタ様、いかに。」
『無論、参加いたします。戦える者は若干減っておりますが、急ぎ翡翠の峰へ参りましょう。それで奇声蟲討伐が終わるのであれば、願ってもいないことです。
  そのための紫月城進攻の遅れは、許容されるのでしょうか?』
「紫月城への進攻は、まだ準備段階です。本日出立するのであれば、絶対奏甲の部隊は易々と間に合うでしょう。整備や支援は、黄金の工房が全面的に受け持っていますので、心配は無用です。」
『歌姫は、あなたがしたように絶対奏甲に乗っていくのですね。
  承知しました。議長にお伝えください。ハルフェア軍も紫月城の敵を討つと。』
「確かにご返答、いただきましてございます。しかとお届けいたします。
  それではこれで、失礼いたします。ハルフェアに良い風が吹かんことを。」
  クアリッタは、そっとひびきの手を離すと、一歩さがってあいさつをした。
「それでは。ひびき様。カノーネ司令。ハルフェアの絶対奏甲部隊は、午後には出立され、翡翠の峰落ち合うということで。」
  カノーネは、確認のためにひびきを一瞥する。ひびきはそれに、うなずいて答えた。
「返礼を届けなければなりませんので、これで失礼いたします。」
  クアリッタはそう言うと、シュヴァルベへ戻る。歩きつつ、澄んだ歌声で彼女が歌い始めると、その向こうで戦闘起動した赤い機体が立ち上がり、白い翼を広げた。再度ひざまづき、歌っているクアリッタを奏甲の巨大な手にすくい上げる。
  ふたたび彼女を乗せたシュヴァルベは、背面の翼を大きく広げ、静かに飛び立った。その一瞬、肩の黄金の歌姫の御印が、陽光を照り返して輝く。
  ひびきはソルジェリッタと話そうと、ミリアルデ・ブリッツに戻った。響とのことで腹を立て、戦闘の最中にも、そばにいないことでソルジェリッタと十分な会話をしていない。だが、それに憤っている場合ではないと思い直す。戦いはまだ終わっていないのだ。

  その日、ハルフェア絶対奏甲部隊はあわただしく出立した。それが翡翠の峰の集結地に到達したのは、攻城戦開始の寸前であった。
  ハルフェア軍は、紫月城の東に展開するヴァッサァマインとファゴッツの部隊の南、つまり紫月城の南東から、進攻することになった。
  アーカイアの人々、そして戦うために召喚された機奏英雄たちは、奇声蟲の来襲という世紀の大災厄が、この戦いで決着すると考えていた。


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