思春期のバランス − adolescent balance of the mind. −


  何度も繰り返される交代と戦闘。ひびきや響だけでなく、戦争というものを知らない人々が多数を占めているハルフェアの機奏英雄たちにとっては、戦うことの忙しさも手伝い、実感の伴わないことはなはだしかった。敵が人ではなかったこともそれに輪をかけている。
  その、生活ではなく戦いのリズムで動くことと戦闘による過度の緊張によって、何度交代したのか、一度は夜を越えたことは覚えていても、その後、何夜となったのか、ということがわからなくなっている者も多かった。
  そして、歌姫たちも混迷を抱えていた。玲奈の歌姫カレンのように、心決まって参加している歌姫であっても、奇声蟲との戦いでの疲労はもちろん、その奇声蟲の泣き声は神経を逆撫でする凶器のごとくである。中には声も出なくなったり、ノイズの衝撃で昏睡状態となる歌姫もいた。
  続く戦いの中で英雄と歌姫たちは日没後、奇声蟲を呼び寄せないために一切の灯火も歌術も禁止された月明かりだけの中で、宿縁のパートナーと互いに肩を寄せ合い、小さな声で励ましあって戦う気力を維持していた。

  天に2つ、輝く月がかかっている。アーカイアの夜空を渡る月は双子である。アーカイアの大地が天体であるかどうかを、ひびきはアーカイア人にたずねたことが、まだない。ひびきにとって大地とは地球のことであり、地球は惑星で球体であることくらいは、科学に関して苦手にしている彼女でも当然だったからだ。だがアーカイアは幻糸という魔法があり、それをエネルギーとする幻糸炉というテクノロジーがあり、そして絶対奏甲という巨大ロボットが闊歩する異世界である。アーカイアの大地が球に乗っているという確証はなかった。だが、その回答がどうであろうと、この夜に双月が大地をやさしい光で照らしているのにかわりはない。
  ひびきは、ひとつの座った影に、あまり足音を立てないように近づいた。その影には、もう一つの小さい影が寄りかかって、寝息をたてていた。
  「響。」
  「ひびき。」
  寝息を立てているラナラナを気にしながら、響が応えた。彼は眠っていなかったらしい。
  声で破るのは気が引けるような静けさと月夜の帳であったが、それでもひびきは自分から話しかけた。
  「・・・。なんで、奇声蟲って夜はおとなしいんだろうね。」
  「さあ。昼行性って言うのかな。夜になると行動が低調になって、同類の死骸を越えてこない。僕らの世界の夜行性の甲虫とかとは、違う生き物なんだろう。このあたりにやたらいるのに、巣が近くにあるわけでもないらしいし・・・。クモ型とはいうけど、足は6本しかないしね。」
  響は、最初こそひびきに顔を向けたが、話しながらラナラナを気にするそぶりをしていた。ラナラナが起きてしまっては、ばつが悪いとひびきは思う。とはいえ、響が自分と話しながら彼女を気にしているのは、気持ちの良いことではない。
  「おかげで、今みたいな休憩をとれる。貴族種は知恵があるとしか思えない動きもするし、昼の戦闘力に、夜行性で夜はもっと手ごわいとなったら勝てないよ。『虎の尾を踏む』ことらしいけどね、夜の奇声蟲は。
  だけど貴族の手ごわさを考えると、夜襲をかけてきたりしても不思議じゃない気がするな・・・。」
  「怖いこと・・・言わないでよ。だけど、いつまで続くんだろ。」
  ひびきは、響のわきに立ったままでいた。それは、丁度ラナラナが響にもたれている反対側である。
  「蟲が減っている実感はあるよ。ドリッド隊の先鋒は集会場から出撃してきた遊撃隊と接触できたし、カノーネのところには、トロンメル軍の伝令が来ていて、集会場にいる部隊との連携や、また別のトロンメル部隊が支援に来てくれる話もあるって。」
  響は現実面での良い知らせを話したのだが、ひびきは半分聞き流して、一緒に異世界に飛ばされた幼馴染が、隣に座れと言ってくれないかと密かに願っていた。
  他の英雄と歌姫の組み合わせと異なり、彼女の側にソルジェリッタはおらず、今の戦いの過酷さの中では、彼の告白についてのいきさつなど、取るに足りないことに感じられていた。さらに不安と疲労、そして危険と隣り合わせでいることが、彼女をすこしだけ正直にしていた。それでも自分から響の隣に座ることはしない。あるいは意地が邪魔しているのかもしれなかった。
  「長くても、もう2日。それ以上になると集会場でもろう城していられなくなるらしい。それを待つことはせずに、集会場側からも打って出る。
  それに加えて支援が来れば、ここの奇声蟲は退治できるさ。僕らもそれが戦い続ける限界だろうし。」
  「そうだね・・・。」
  「ひびきも休みなよ。ソルジェリッタ様が側にいなくて、大変なんだろ。」
  軽く金属音が聞こえた。ひびきが腰の剣に思わず手を置いたのである。響の言ったことは、あまりにも正解だった。そして、それを紛らわせるために思わず響のところへ来てしまった自分に、ひびきは気づいてしまった。その上、ひびきの願う形でのやさしさを示してくれない響の態度に、ひびきは勝手に腹を立てた。幼馴染が自分を気遣って言ってくれているのはわかる。だが、それは彼女を癒してはくれない。ラナラナの寝息がしっかり聞こえていなかったら、ケンカを始めていたかもしれない。
  一方の響は、ラナラナが起きないかどうかをうかがっていて、ひびきのその様子に気づかなかった。まだ女性の心の機微をおもんばかるほど、まだ男性ではなかった。
  ひびきは無言できびすを返し、自分の場所へ歩き出した。今度は足音の響きを気にもしない。
  「あ。おやすみ、ひびき。」
  響の声がかすかに届いた。ひびきは一瞬だけ振り向いたが、寄り添う響とラナラナのシルエットを目にして、振り向いたことを激しく後悔した。

  次の日の出撃で、ディーリと玲奈は隊長機ミリアルデ・ブリッツの戦いぶりに、舌を巻くことになった。それは2人の乗るシャルラッハロート・ツバイで追随することが困難なほど縦横無尽に機動し、奇声蟲をなぎ倒していったのである。
  そしてその日ハルフェア軍には、トロンメル軍のフォイアロート・シュヴァルベで構成された飛行部隊と、機数は少ないものの上位の「華燭奏甲」に分類される、マリーエングランツで編成された、やはりトロンメルの"虎の子"部隊が合流し、一方で集会場の部隊とも連携して展開が可能となった。
  この地域の奇声蟲の撃滅はまだだったが、集会場の救援は成されたといってよい状況を迎えつつあった。


<< 24 戻る 26 >>