ひとまの休息 − They take a short break. −


  先陣をきったエーアスト隊は、交代のツヴァイト隊に戦列を任せ、後方にさがってきた。ドリッド隊が陣地を護衛する中、エーアスト隊は待機、休息が任務となる。
  ミリアルデ・ブリッツの奏座から降りて地面に着地すると、ひびきはカクっとビザを折って、地面によつんばいになった。絶対奏甲の戦闘起動を終了してパワーが途切れたか、ソルジェリッタとの調律が切れたからか、重さを感じるかと思うほどの疲労度が襲ってきた。
  ミリアルデの左右に、損傷したシャルラッハロート・ツバイを駐機して降りてきたディーリと玲奈も座り込んでしまっていた。ひびきと異なるのは、その2人に各々の歌姫が駆け寄ったことだ。周囲でも、多かれ少なかれ同じような風景がみられる。ひびきはソルジェリッタがいないことが寂しくなった。
  よく見ると、ディーリに駆け寄ったリフィエは、歌姫衣装の下の左腕に包帯を巻いている。玲奈に話しかけたカレンにいたっては、杖を突いて歩いていた。それぞれの奏甲の損傷が、歌姫に影響しているのだ。
  3人の絶対奏甲は、それぞれ担当の技術者が近づいて、はしごをかけ、足場を作って各所を調べ始める。次の交代で陣地の護衛に出るまで、奏甲も整備されることが任務だ。
「ひびきさん、大丈夫ですか?」
  気を使ったのか、玲奈が近づいてきて、弱々しげではあるもののひびきに尋ねた。もちろんかたわらには歌姫のカレンがいる。
「うん、まあ、大丈夫。ちょっとつかれたけどね。」
  ひびきはそう答えつつ、息をついていたよつんばいの姿勢から、起きて体育座りに近い姿勢で座った。
  そのひびきに、カレンが飲み物と軽い食べ物を差し出した。
「これをどうぞ。起動時間にまだ余裕はあるものの、華燭奏甲をあそこまで奏でられたからには、ソルジェリッタさまの支援があっても相当お疲れのはず。」
  それは薄いオレンジ色をしたかんきつ類の香りがする飲料と、元の世界でいうところのサンドイッチだった。
「ありがとう。」
  早速、飲料を飲み始めた。みかんを思わせるが、酸っぱさはグレープフルーツを思い出させる。とはいえ、元の世界のオレンジジュースとそう変わらない。
「どういたしまして。さ、玲奈さまも。」
  玲奈はすでに飲み物などをその手に持っていたが、まだ口をつけていなかった。
「あまり食べたい気分じゃないの。蟲の奇声ときたら・・・。」
「これは戦いです。そのような気分ではダメですわ。特に今回の大群の襲撃は特別です。何度も交代がかかって、集会場の周囲の駆逐が完了するまでには、この進みではきっと数日かかりますよ。」
「な、何日も!?」
  カレンの説明に、ひびきと玲奈が同時に声を上げた。ひびきはもう少しで、飲み物をこぼしそうになった。
「ええ。あまりにも奇声蟲が多く、エーアスト隊の攻撃でも、集会場への進行するための区域は確保できているとはいえませんもの。私の見たところ、ツヴァイト隊とドリット隊の交代くらいで、ようやく陣ひとつ分ほど前進できると言った進みになると思いますわ。」
「それはちょっとつらいなぁ。」
  ディーリがリフィエを連れてそばへきて、つぶやいた。
「シャワーも使えずに、何日も戦い続けるなんて。助けに行く集会場だって、何日も閉じこもってられないでしょ。」
  集会場は城砦や都市ではない。戦力が備わっていてろう城したとしても、長期間は維持できない。
「ですが、カレンさんの言うことは外れてはいません。歌姫として学んでいる中でも、このようなたくさんの奇声蟲の襲来は聞いたことがありません。
  そもそも、貴族種が一つの群れの中に複数いること自体が、いままで知られた中ではなかったことです。」
「『歌姫大戦』をのぞいてですわ。」
  リフィエの言葉を、カレンが補足した。
「ポザネオ島の各地で奇声蟲との戦いが続いていますわ。本島の各地へ複数貴族種が率いる群れが逃げ出せば、歴史を詳しく記録しないアーカイアにおいてさえ、いままでにない未曾有の大惨事になるとわかるというものです。」
  ひびき、ディーリ、玲奈は、思わず互いの目を合わせた。戦いの過酷さを初めて実感できた気がしたからだ。
「どうして2人とも、こんな大変なことに参加してるの・・・?」
  ひびきは、機奏英雄と歌姫の関係も忘れて思わずその場にいる2人の歌姫、カレンとリフィエに聞いた。
「どうしてって、アーカイアを守るためですわ。」
  カレンが朗らかに応える。それは社会や人を純粋に守ってきた人々がたたえる、固い決意が裏打ちする笑顔であったが、そのような笑顔をひびきは、まだ元の世界ではみたことがなかった。
「それに機奏英雄が、そう、私には玲奈さまがいてくださって、自分で何かできるというのは、ただ奇声蟲におびえているよりましです。」
  機奏英雄3人の脳裏に、説明された奇声蟲に襲われた人がどうなるかという事が浮かぶ。本来、子を為す身体に奇声蟲の卵を産み付けられる仕打ちと、それが孵ったときの惨状。
  体に管を差し込まれ、いずれ腹を食い破られて死ぬ。被召喚者にとっては、それはホラー映画のような話だったが、アーカイアにいる以上、それは現実の脅威である。そのうえこの場にいる女性英雄にとっては、女であるという点で他人事ではないかもしれない。
  意に沿わない行為の上に、化け物によって命を落とすことを座して待つことはできない。それがカレンをはじめとした歌姫たちの戦いに対しての覚悟である。
  ディーリが背中を伸ばし、姿勢を正して言った。
「そうね、カレンの言うとおりだわ。私たちは本能だけで食物連鎖に連なってるイモムシじゃないわ。戦わなくちゃね。」
「そうですよ、ディーリさま。とはいえ、身体を拭く湯くらいは、陣内で用意してもらえます。歌姫や女性の英雄の方たち用の天幕が、ちゃんとあります。日が落ちると奇声蟲を呼び寄せないように一切の火と織歌の使用が禁止されますから、明るいうちに済ませてしまいましょう。
  とはいえ、本日はまだ早いですから、まずは食事と睡眠を。一息つきましたら、添い寝して、子守唄を歌って差し上げます。」
「子守唄だなんて、いいよ。」
  ひびきは子ども扱いされたようで、リフィエに言い返した。だが、彼女は怒りもせず説明する。
「子守唄と言っても歌術です。機奏英雄を癒すための織歌を歌うということですよ。」
「それじゃ、歌姫が休む暇がないじゃない。」
玲奈がリフィエの腕をつかんで言った。不安げな視線を、カレンとリフィエの間で行き来させる。
「お眠りの間、ずっと歌い続けるわけではありません。次の待機の時に眠ります。歌姫の労力は、前線で絶対奏甲を操縦する英雄に比べて小さいですから。」
「危険は十分大きいわ。カレンもリフィエも怪我してるじゃないの。」
  ひびきはリフィエに指摘した。とっさにリフィエは左腕を押さえ、カレンはついている杖を見下ろした。ひびきがすこし感情的になって続ける。
「リフィエなんて、奏甲の傷からしたら大変だったんじゃないの?胸をあんなにやられてるんだよ?
  今回はなかったけどソルジェリッタだって、私が下手くそでミリアルデが蟲に噛まれたら、遠いルリルラ宮で怪我するかもしれない。歌姫だって、全然、楽じゃないよ。」
「それでも歌姫は陣にいれば、歌術での治療をすぐに受けられます。大丈夫ですわ。」
  カレンが落ち着いた声で言った。彼女はひびきが、感情の高ぶりからパニックを起しかけていると見た。ソルジェリッタか、せめて響がいればと思わずにはいられない。部隊交代のときの会話からすれば、2人は元の世界でも知り合いで、それも単なる知り合いとは思えないからだ。
「それより早く食事をとられませ。おしゃべりは疲れを取ってはくれませんわ。
  それにディーリさまと玲奈さまの奏甲は、損傷のために別の機体に乗り換えなければならないかもしれません。万一そうなれば、出撃より前に調律を試し終わっていなくてはなりません。時間はあまりありませんわ。」
  カレンの気迫に圧され、3人の機奏英雄は食べ物と飲み物を腹に収め、指定された休憩場所へ移った。
  ディーリがリフィエの、玲奈とひびきがカレンの膝枕で寝息をたてるのに、それほどの時間はかからなかった。三人の女性英雄の枕元に、歌姫の優しい歌声が、ひとしきり流れた。


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