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届かない歌声 − She didn't hear the song which the partner sings. −


  「アレッ、オーヴァチュア!」
  カノーネが腰の剣を引き抜き、振り上げた。彼女の視線が鋭く向けられた前方には、奇声蟲が立てる砂煙の壁が横たわっている。もう幾ばくもなく、奇声蟲の中でもハルフェア派遣軍に感づくものが出てくる、という距離である。
「ツヴァイト隊は戦闘起動せよっ!前進して支援陣地を確保っ、歌姫陣の護衛につけ!
  ドリッド隊はこのまま同行して待機、ツヴァイト隊との入れ替わりに備えろ!
  エーアスト隊は突撃姿勢っ!合図と共に歌唱、戦闘起動し、ミリアルデ・ブリッツを先頭に前進せよ!」
  カノーネの指示が、彼女の後に従う歌姫たちによって機奏英雄へ伝えられる。行動に備え、ゆっくりと行進していた絶対奏甲の歩行が、速度を若干上げて前へ出る奏甲、維持する奏甲、それぞれの足並みに分かれていく。
「エーアスト!ツヴァイト!リート、フォルテェーッ!!」
  強く歌え、という意味の号令とともに、カノーネはシュピルドーゼ装飾の軍刀を振り下ろした。歌姫たちが歌いだし、奏甲はそれまでの重さを感じさせる動作から、まるで人がそうするような動きと軽やかさで剣を抜き、盾を構え、走り始める。
  前線を担当するひびきが属するエーアスト隊がそのまま前進、支援陣地の確保を支持されたツヴァイト隊は途中で速度を押さえ、円が開くように展開する。そのなかに歌姫や支援人員を囲い込み、奇声蟲から守るのである。速度を上げない奏甲は、突撃した部隊と交代するための待機となる。
  生物としての能力で暴れる奇声蟲は、その体力以外の制限を受けない。それに対抗するため、3つの部隊で前衛、陣の防御、補給・待機を、戦況と時間によって順番に交代していくのである。稼働時間という制限を持つ奏甲と、歌姫の喉を壊さないという配慮から考案された戦闘方法である。その交代の判断は、ひとえに指揮者のカノーネにかかっている。その指示は、無線といった技術が存在しないアーカイアでは、歌姫の歌術や、奏甲との調律により伝達される。
  奏甲の一群が、全体から流れ出すように前方へ三角隊形で突出していく。その先頭は、ひびきが駆るミリアルデ・ブリッツである。その側には2体のシャルラッハロート・ツバイが随伴する。ディーリと玲奈の機体である。
  だがミリアルデの奏座で、ひびきは神経をささくれさせていた。<ケーブル>に溢れ返る多くの歌姫の声と英雄の雄叫びが、ひびきの心をかき乱す。その状態でもミリアルデが突撃の先頭にいられるのは、ソルジェリッタの支援の歌の威力と彼女がひびきに渡した宝剣の力であった。心乱れていても、戦いに挑むひびきの決心はミリアルデに力を与えていた。
『ひびき、心を澄ませて。聴くのではなく、感じるの!』
  ひびきの魂に共鳴するソルジェリッタの歌。ミリアルデ・ブリッツの装甲が幻糸の輝きに包まれる。
「だめ、集中できない・・・うたをやめて!」
  土煙だけでなく、巨大な鎧を被った蜘蛛のような奇異な姿が無数にうごめいているのが、英雄たちには奏甲の目ではっきり見えている。奇声蟲の中からも、近づく敵に対して動き始めたものもいる。
  エーアスト隊の奏甲群が地響きとともに前進しつつ、あらためて装備を構えなおす。ひびきもそれを意識し、ミリアルデ・ブリッツはその剣を持ち直した。
  そして部隊の三角形と奇声蟲の群れが衝突し、一瞬にして乱戦となった。
  小さい衛兵種の奇声蟲を踏み潰し、飛来するものを盾で打ち払い、それより大きい個体の足や牙を奏甲の剣で切り払う。3機組みで背中合わせに死角をかばい合うチームがいれば、両手に剣を装備し、ひたすら後を取られないように動き回り、斬りつける奏甲もある。
  戦場には、奏甲が足を踏み鳴らす地響きと奇声蟲に武具を打ち付ける衝突音、激しく動き回る奇声蟲が立てる騒音、そして歌姫の歌声をさえぎる奇声蟲の鳴き声―ノイズ―が満ちている。歌姫の歌声をノイズに妨げられた奏甲は動きを鈍らせ、その隙を突かれて損害を受け、そのダメージは<ケーブル>を逆流し、歌姫を傷つける。奏甲への強烈な攻撃に、支援陣地で叫び声が上がり1人の歌姫の歌がやむ。そして1機の奏甲の戦闘起動が途切れ、奇声蟲の群れの中に沈んだ。
「なにしてるのっ、ひびき!やられるよっ!」
  ディーリのシャルラッハロート・ツバイが、飛来した衛兵種を的確に剣で打ち、落ちたその衛兵を蹴り、踏み潰す。
「ディーリ・・・。
  なによ、これ。みんな戦ってるのに・・・。どうしてミリアルデはこんななの!?」
  両脇で戦闘起動となっている2人の奏甲のすばやい動きと比べて、ひびきが嘆く。
「ひびきさん、戦闘起動してないの?王女様の歌が届いてないの・・・?」
  そう言う玲奈の機体も、ハルバードというタイプの長い武器で、衛兵種をまとめて打ち倒している。
  ひびきのミリアルデと2機のシャルラッハロート・ツバイは、後から追いついてきた奏甲が周囲の奇声蟲と戦う場面に囲まれる状態で、一瞬の空白地帯にいた。ソルジェリッタ、ミリアルデと機奏合一ができないまま、ひびきが抱く恐れと、奇声蟲への嫌悪と、それを跳ね飛ばそうとする気合がミリアルデを動かす。だが、それは戦闘起動には程遠い状態である。
  何か大きなものが、地面に落ちるような低い地響きがした。奏甲が起こす地鳴りとは異なり、奏甲でなぎ倒される程度の衛兵種が地面に着地しても、それほどの音はしない。
  かくして、ミリアルデを取り囲む形となっていた輪の一角が崩れ、奏甲よりさらに巨大な奇声蟲が、小型の奇声蟲をまとわりつかせるようにして、その場に出現していた。何匹いるかわからない衛兵種が群れる中に、強大な衝角を頭に持ち、奏甲の剣を凌ぐ牙を備えた、まるで建物のような奇声蟲が起立している。
「あれが・・・貴族・・・。」
『ええ。そうです。知性をもち、大きさの面からも易々と倒せるような相手ではありません!
  さあ、ひびき。わたくしの歌を受け入れてください。あなたのために歌いたいのです!』
  ソルジェリッタの心話を聞きながら、ひびきはその貴族種と目が合った気がして、背筋が寒くなった。手当たり次第に暴れる衛兵種と違い、貴族種は相手を「見て」いた。そして組みし易いと見た奏甲を襲う。そして戦闘起動していないミリアルデは絶好の獲物だった。
「ひっ」
  ミリアルデが仲介したのか、ひびきが自ら感じたのか、あるいはソルジェリッタの感覚か、ひびきは思わず小さな悲鳴をもらした。首をもたげて鋭利な衝角をミリアルデの方へ向けた貴族種は、それだけでひびきの心に殺気という衝撃を与えたのだ。
  ディーリと玲奈は、ひびきのミリアルデを守るように貴族に対して立つ。
  ミリアルデは、ひびきの自分を守ろうとする本能に反応し、剣を両手で正面に構える。とはいえ怯えた女の子が構えた剣は定まらず、とても貴族種の突撃をさばけるようなものではない。
  その巨体には似合わぬ速さで、貴族種は突進してきた。それは戦闘起動されていない奏甲がかわすことができるような、生易しいものではない。だが、その貴族種はミリアルデや2機の随伴機までは到達しなかった。
  ひびきの視界を赤い機体が横切った。次の瞬間、貴族種は進路を外れ、全く狙いもないまま暴れ始めた。右目の辺りに剣が突き立っている。
  再び軽快な動きでその剣を抜き取り、貴族種の攻撃をかわしてみせたのは、赤と言うよりは緋色を思わせる機体色の、シャルラッハロートであった。ディーリと玲奈の乗るツバイの一世代前のタイプで、歌姫大戦で大量投入されたものを、黄金の工房が再生稼動させ、ポザネオ島から各国へ渡された奏甲である。黄金の工房のものではないものの、色を別にすれば同型の奏甲は、秘匿されていたハルフェアの奏甲の中にも多数いる。
  だが、その緋色のシャルラッハロートの動きは、他の同型機とは一線を画していた。
『緋色の奏甲・・・あれは姉姫さまの・・・』
  ひびきは、ソルジェリッタの思わず漏れた言葉に気づかず、助けてくれた緋色の奏甲を見つめていた。

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