歌姫と機奏英雄の一線 −The Line between Maiden and Conductor−


  ソルジェリッタとの問答から、ひびきが理解したところでは、状況は嬉しいものではなかった。
  ここはアーカイア。「幻糸」という存在を力の源とする、「歌術」と呼ばれる魔法のような力が満ちる幻奏世界。そして「織り歌」を唱することで歌術の力を行使する「歌姫」という魔法使いのような者がいる。
  世界にはそれぞれの女王が治める五つの国々と、最高評議会という権力の大きい国際的な統治機関があること。評議会の組織の頂点には、黄金の歌姫という最高位の歌姫がいて、アーカイアを取りまとめている。
  さらに黄金の歌姫は、その超絶した歌術の力により、ひびきをはじめとした異界の人々を「機奏英雄」として召喚する。それは、巨大な人型の武具「絶対奏甲」に機乗し、奇声蟲と呼ぶ巨大な怪獣を撃退するためである。その戦いを可能とするために支援をする歌姫が一人、機奏英雄と宿縁で結ばれている。
  ひびきのその宿縁の歌姫はソルジェリッタである。だがソルジェリッタには、ひびきを元の世界へ返す方法はわからない。

「召喚された英雄?10年前のOVAじゃあるまいし!
  勝手に呼び寄せて、この世界のために怪獣と戦えって言うの?それって死ぬことだってあるんでしょう?ずいぶん勝手じゃない!」
「そう言われたとしても、致し方ありません。ですが、このアーカイアが生き延びるには、機奏英雄に頼るほかに選択の余地がないのです。
  それに黄金の歌姫が召喚される機奏英雄は、もとの世界から離れ、力を身につけたいと願った方だと言います。そうではないのですか?」
  召喚の理由に憤ったひびきだったが、ソルジェリッタが言ったことには、反論できなかった。「どこかに行ってしまいたい」と、たしかに思ったからだ。それに、響に告白されて落ち着かない気分や、勉強や受験の面倒を一気に解決できたら、と望んだ気もする彼女である。
「もとの世界にお戻りになる方法をわたくしは存じませんが、かつて歌姫大戦が終結したとき、活躍された機奏英雄の方々は元の世界へ戻られたと伝えられています。
  奇声蟲を撃退し、黄金の歌姫が召喚の儀式による消耗から復調なされば、機奏英雄がお戻りになる歌術も、織っていただけるでしょう。」
  そう言葉を結んで、ソルジェリッタはゆっくりと立ち上がった。その動きの間も、エメラルドグリーンの瞳は、ひびきの目からそらさない。彼女は、向き合っていたひびきの前まで来て、テーブルの上のひびきの手に、自らの手を重ねた。
「おねがいします、ひびき。わたくしの機奏英雄として、この世界をお救いください。」
  かがみこみ、座っているひびきの瞳をのぞきこむ。エメラルドグリーンという、不慣れな色の瞳で見つめられて、ひびきはクラクラしてしまう。そっとささやくように、ソルジェリッタは言う。
「ようやくめぐりあえた、わたくしの機奏英雄さま・・・。」
  ゆっくりと、ソルジェリッタが顔を近づけてくる。そしてすこしだけ頭をかたむけた。
  彼女の瞳に引き込まれていたひびきは、その瞬間、気がついた。あわてて両手を引いて、椅子の背もたれをつかみ、大きな音をたてて椅子ごと「ガタガタ」とバックし、鼻が触れそうな距離から、間合いをとった。
「あん・・・。くちづけくらい、ためさせてくださいな。あなたが男性というものでしたら、もっと試せることがありましたのに。」
「な、なに言ってんの・・・?」
  心臓の激しい鼓動を自分で意識しながら、ひびきはたずねた。やけにソルジェリッタの唇が気になる。
「『歌姫の持ちたる幻糸の恵み、男という存在と交わりしとき失われぬ。』
  歌姫の資格と、歌術が発動するのに必要な首飾りを与えられ、歌姫としての宣誓をする際に言い聞かされる一節です。
  歌姫しか知らされないのですが、機奏英雄に抱かれてはならないという意味と、広く信じられていますわ。アーカイアの多くの人々は、『抱かれる』ということ、そのものを知らない人ばかりですけれども。」
「だ、抱かれるぅ!?」
  ひびきは思わず言った。声が少し裏返っている。彼女もいまどきの女子高生だから、大人の男女の営みについて歳相応の知識はあるのだ。
  だからといって、見ず知らずの場所で、背丈やスタイルについて劣等感を抱きそうなほどの美人に、くちびるを奪われそうになった上、そのような話が飛び出しては反応に困ってしまう。
「ええ。試してみるにも、男という存在がアーカイアにはおりません。少なくとも知られた歴史の中では、歌姫大戦の際の機奏英雄以外はおられません。その方たちはみな、去ってしまわれました。
  さらに、歌姫の力がどうなるかが課題ですから、歌姫ではないアーカイア人が試しても意味がなく、条件が難しいのです。
  ですからわたくし、自らの機奏英雄と出会いましたら、ぜひ試みようと思っていたのです。
  調べたところによりますと、機奏英雄の世界では、人と人が愛を確かめる究極の行動とのこと。ぜひ、宿縁の相手と愛を確かめたいですわ・・・。」
  ソルジェリッタは、もうひびきに接近しているわけではなかったが、テーブルの角のそばで、まっすぐ立ち両手を前で握り合わせ、祈るような姿勢で熱っぽく語っている。もちろん、その視線は、ひびきの瞳を見つめている。
「わ、私、女だから、あなたも女で、ダメよっ!!」
  落ち着かない鼓動が胸と耳にまだ響く中、ひびきは力いっぱい、そう言った。
「残念ですわ・・・。ですけど、男でいらっしゃらないですから、宿縁の愛を確かめるのに、歌姫の力を失う心配もないですわ。ですから、ひびき・・・。」
「だぁ〜めぇっ!それは男女でするものなのっ。ダメったら、ダメったら、ダメ〜っ!」
「そうですか・・・。」
  ソルジェリッタは、それまでの勢いが冷めて、うつむいた。肩も落ちて、ため息をついてしまう。
「あ、あ、だけどほかにできることとか、私が帰るためのこととか、頑張るから、そんなに落ち込まないで。ね、ね。」
「おやさしいのですね、ひびき。」
  引き戻されたソルジェリッタの目とひびきの目が合い、沈黙が降りた。
  それを破ったのは、控えの間から入ったリトネだった。
「失礼いたします、ソルジェリッタ様。ラナラナ様がお戻りになられました。機奏英雄とご一緒だそうです。」
  彼女は頭を下げつつ、そう伝えた。
「まあ、それは行幸ですわ。よい人だとよろしいのですけど。」
  ひびきからリトネのほうへ振り向いたソルジェリッタは、嬉しそうな声で言った。
「晩餐の支度も、まもなくですが、いかがいたしましょうか。」
「もう、そのような刻限なのですか。
  ひびきとラナラナの機奏英雄を、鋼の間へお連れします。晩餐はそののちにいたします。」
「承知いたしました。食堂には、待つように申し付けます。わたくしは、お供いたしましょうか?」
「いいえ、わたくし自らひびきを案内いたします。ラナラナはお部屋にいるの?」
「塔の者が知らせてきましたことですので、今時分ですと中門を過ぎたあたりでしょう。この宮には、まだお入りではないと思われます。」
「それでは、こちらでお迎えしましょう。玄関までまいります。
さ、ひびき、まいりましょ。」
そういったソルジェリッタを、侍女は止めようとした。
「お待ちくださいっ。お召し物が、湯からお帰りになられたときのもののままでは?
  それも厚手とはいえ、一枚しかお召しになっておられないではありませんか。」
「マントは羽織っていきますわ。急ぐのですから、勘弁してくださいな。」
そう言って、ソルジェリッタはいすの背からマントを片腕にかけ、反対の手でひびきの手を取り、引っ張っていくようにして部屋を出ようとした。
「ああっ、お待ちください、陛下!」
だが彼女の主君は、その呼びかけに足を止めるほど、おとなしい人物ではなかった。
湯から戻ったままの姿に、再び紫のマントを羽織ったソルジェリッタは、部屋を出た。引きずられるようにして、廊下に出たひびきの耳に、かすかにリトネのぼやきが聞こえた。
「『風の女王』どころか、そのわがままさは『嵐』ですよ、陛下・・・。」

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