湯舟の女王 −Queen in the Bath−


――ザッ、ボッシャンっ。ガボゴボガボゴボゴボ・・・・。
『えーっ、なになになになになに・・・!?!!!!』
  ザッガバッっ、と音がして、背中から胸へ回された何かに引き揚げられた。何が起こったかわからず、目をしばたき、そして自分の手を、右、左と順に見てみる。
  全身、徹底的にずぶ濡れだ。水はお湯らしく、温かい。腰から下は湯に浸かっていて、スカートが水面に浮き、広がっている。当然、靴や靴下、スカートの下は湯の中だ。見おろした胸元には、濡れてしぼんでしまったリボンと、ひびきの胸をつぶすようにして、白くて細い腕が回されている。背中には、人肌の温かさのふくらみが二つ、押し付けられている。それも、セーラー服の上からでも、その弾力がわかるくらいのボリュームがある。
  ひびきが振り向くと、エメラルドグリーンの瞳と目が合った。
『ガイジン!?』
「こんにちは。
  機奏英雄の方は、みなさん、こんなに性急でいらっしゃるの?前触れもなく湯船にいらっしゃるなんて。
  ですけど、あなたがわたくしの宿縁の機奏英雄なのですね。わかりますわ。」
『目が点になる、というのは、こういうことなんだ・・・。』
  と、ひびきは的はずれにも自分の状態を思ったが、一言も声を出すことはできず、見つめ返した。白い肌に、瞳よりは淡い色合いのグリーンの髪。その瞳は、ひびきを痛いほど見つめている。
「ようこそ、アーカイアへ。まずは湯からあがって、お召し物を乾かされませ。
わたくしはソルジェリッタと申します。ハルフェアを治める女王です。
あなたさまの、お名前は?」
「ひびき。御空ひびき。」
  ひびきは反射的に名のったが、頭の中は、わけがわからず真っ白なままだった。
「ひびき。それは良いお名前ですわ。さ、まいりましょう。わたくしにふさわしい機奏英雄となっていただかなければ。」
  ソルジェリッタと名乗った女性は、ひびきに回していた腕を放し、湯の中から立ち上がった。風呂だけに一糸まとわぬ姿だが、恥ずかしげもなく、まっすぐ立った姿が凛々しい。抜群のプロポーションの上を、湯滴が滑り落ちる。
  思考が復活していないひびきは、ソルジェリッタのプロポーションを上から下まで一通り見て、彼女をじっと見てしまったことに赤面した。
「さ、こちらへどうぞ。今の時間はわたくしだけですから、どなたもごらんになりませんよ。」
  そう言いつつ、ソルジェリッタはひびきに手を差し伸べた。いまだ状況が分からず、ひびきはソルジェリッタに手を引かれるまま、湯船から上がった。全身から湯が滴る。スカートが太ももにまとわりつき、靴が一歩ごとに音を立てる。
  極めつけは自慢のおさげだった。普段の入浴なら、髪をタオルで結い上げておくのだが、いまはリボンで結んだまま、すっかり水分を吸ってしまい、首を後ろに引っ張られているも同然の状態なのである。
  浴場の出入り口と思われるところには、ゆったりとした白い長衣を着ている女性が2人、立っていた。浴場にいることを考えると、すこし生地が厚めな着衣だが、2人は汗ひとつかいていない。
  首元にはそれぞれ、綺麗な石をはめ込んだ、少々大げさな首飾りを身に付けている。
  2人は、近づくソルジェリッタに対して頭を下げた。
「こちらの方もお願いね。」
「かしこまりました。失礼いたします。」
  2人はそろって言うと、ソルジェリッタとひびきの脇に立った。一人は胸元で手を合わせ、もう1人は深呼吸をするように斜め下へ向けて両腕を広げ、2人共にすこし高い声で、ほんの短く、なにかを口ずさんだ。
  キラキラと細いなにかがが舞ったように見えた次の瞬間、焚き火の熱気を頬に感じるように、周りの空気が熱く感じられた。すると、着ているものが、乾燥機が止まって出したばかりのように、温かく、乾いていた。それも一番外側に着ているセーラーとスカートだけでなく、靴の中と靴下、スカートの内側、ブラまでが、すっかり乾いていた。どの部分もまとわりつかないし、濡れているための音もしない。ホックだけが、背中にかすかに暖かい。
  胸元の赤いリボンが、やさしくふくらんでいるのを見下ろして、首が重くないことから髪も軽く、おさげも乾いていることに気づく。もちろん、おさげを結んだリボンもきっちり乾いている。全身の隅々が、一瞬にして乾いてしまったのだ。
  ひびきは声も出せず、ただただ驚きで、思考が真っ白なままでいた。
「肌の水分まで飛ばしませんから、大丈夫ですよ、ひびき・・さま。
  屋敷に戻ります。あとは解放してかまいません。二人とも、よろしくね。」
「承知いたしました。」
  戸板のない出入り口を通り、次の部屋に移るともう1人、女性がいた。この女性も首飾りをしていた。
  この部屋には、多くの棚が壁沿いに並んでいる。つまり脱衣所である。
  ソルジェリッタは何よりも先に、その女性が預かっていたらしい、宝石をはめ込んである首飾りを受け取り、首につけた。赤い宝石に、白い羽根の意匠で飾られている。
  それから、その女性がソルジェリッタが服を着るのを手伝った。前の部屋にいた2人のものに似た、白い長衣を肌に直接にまとい、腰のところを幅の狭い帯のようなもので結んだ。おかげで胸の張り出しと、細い腰まわりの差が強調される。
  その上からもう一枚、金糸の刺繍が入った紫色のマントを羽織った。足には鼻緒がついた、ひびきとしてはサンダルと呼びたくなるような履物を、はだしに履く。
「いい湯でした。ありがとう。」
「ソルジェリッタ様にそういっていただけるとは、光栄です。湯ざめにお気をつけて。お連れの方も。」
「お待たせしましたね。まいりましょう。」
  話しかけられたひびきは放心状態のままで、返事を返すことも忘れ、ソルジェリッタに続いた。建物を出ると、そろいの服装をした、腰に剣を佩いて武装した4人の女性が待っていた。ソルジェリッタに一礼してから、かれらの君主である女王を護衛するために、等間隔で四方に立った。
  この4人の護衛に守られながら、ソルジェリッタとひびきは通りを抜けていった。
  目的地に着くまで、ひびきの頭の中では見るもの見る風景について「ギリシャみたい」という印象がグルグル回っていた。人の服装、建物の意匠といった、写真で見たことがあるような、白を基調とした空間的に余裕がある町並みに、その間にひろがる抜けるような青空。
  ひびきは実際のギリシャには行ったことはなかったから、その比較は多くの日本人が持っている、不正確に美化された印象が基準になっていたかもしれないのだが、彼女は町並みの美しさに息を呑んでいた。

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