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第九話『ふたりの少年』

 白い、世界だった。
 あまりにも白い世界。
 空は太陽の輝きに炙られて白く、大地は骨のように透き通った白い砂に覆われている。
(どうして……こんなところにいるんだろう)
 芹沢瞬兵の意識はぼうっとして、容易には形を取らなかった。
 立ちあがる。
 かろうじて、白い空と白い砂漠のあわい、地平線が天と地を区切っているのがわかる。
 そうでなかったら、瞬兵は本当に自分が空を飛んでいると思ったかもしれない。
「ここは……?」
 少年の問いに答えたのは、老人だった。
 痩せこけて骨と皮ばかりになった、ミイラのような老人である。
 いつから瞬兵の側にいたのか、それは定かではない。
 だが、老人は確かに瞬兵を見ていた。
「ここは、闇の世界じゃ」
「闇……? こんなに明るいのに……?」
「明るさなんぞ関係ないのじゃ、お若いお方……。ここは、迷いが生み出す心の闇の世界……」
「迷いが生み出す、心の闇……」
「さよう。心に迷いを持った者だけが、この世界へ引きずり込まれて来る……」
「ボクが……迷ってる?」
「そのとおりじゃよ。おぬしの迷いは……」

 * * *

「こんな所に隠れていたのか! セリザワシュンペイ!!」
 轟いたのは、ダークギルディオンの声だった。
(そうだ……ボクはあいつを止めなくちゃいけないんだ!)
 ダークギルディオン。
 ナイトメアの尖兵にして、彼の親友、ヒロを取り込んだ暗黒のロボット。
 ヤツがもたらす破壊を止められるのは、瞬兵とバーンガーンしかいない。
 瞬兵のポケットから、VARS形態のバーンが出て来る。
 そうだ。
 どんな時でも、バーンと瞬兵は一緒だ。
「行くぞ、瞬兵!」
「うん……!」
「ブレイブチャージ! バーンガーン!!」
「オォォーーーッ!!」
 それは正義を守る蒼い雷鳴。
 黄金色の稲妻に包まれたブルーの守護者。
「龍神合体! バーンガーン!!」
 ガーンダッシャーと一体化したバーンガーンは、どんな時でも瞬兵を、弱い人々を守ってくれる。
 そう、ここがどこであろうと、相手が誰であろうと……!
「出てきたな、シュンペイ」
 懐かしい友の声がした。
 ヒロの、嘲り嗤う声だ。
 ほんの少し前まで、瞬兵は友達がこんな声を出せるなんて、ちっとも知らなかった。
「オレと戦えよ、シュンペイ」
 ギルティと名乗った洋の仮面の下から、冷たい瞳が瞬兵に注がれる。
「戦わなければ、ここがキサマの墓場になるぜ?」
 ギルティの姿と洋の姿が交互に現れる。
「瞬兵!」
 バーンガーンの案じる声がした。
 わかっている。どんな姿をしていても、どれほど友達であっても、今目の前にいるのはダークギルディオンを駆るナイトメアのギルティ。止めなければならない相手だ。
 そのためには瞬兵の勇気がいる。立ち向かう勇気が。
「わかってる。アイツは、ヒロだけど……ヒロじゃない!」
 バーンガーンとダークギルディオン、二機のロボットが、巨大な刃をぶつかり合わせる。
「ヒロ……! ボクだよ、目を覚ましてよ! ヒロ!」
「……違うな、目を覚ましたのはオレだよ」
 どこまでも、洋の声は冷たかった。
「オレこそが本当のサカシタヒロ、なんだよ!」
「なんで……? どうして……? ボクたち、友達じゃないか!!」
「友達……? バカバカしい……お前はオレにとって敵でしかない!」
 圧倒的な力。
 一瞬でも気を抜けば、ダークギルディオンの刃はバーンガーンを両断するだろう。
 汗が額を伝う。
 白い砂が舞い上がり、二機のロボットを覆う。
 火花が上がる。
 斬撃がぶつかり合うたび、数十トンの鋼鉄が、瞬兵のすぐ近くで揺れる。
 直撃をすれば、死ぬ。
 そういう戦いの中に、少年はいる。
(戦わなくちゃ)
 バーンガーンが吼える。
(戦って、みんなを守らなくちゃ)
 雷鳴が大地を焼く。
(ボクが、やらなくっちゃ……!)
 勇者の剣が、空を切り裂く。
 何合、そうしてぶつかり合っただろう。
 バーンに指示を出す瞬兵の意識は、ただ戦う、そのことに最適化されていく。
 そして。
「インペイルノヴァ!!」
 全エネルギーを集中させたデュアルランサーの一撃が、ダークギルディオンを両断した。
(え)
 そう、両断したのだ。
「そんな、シュン……ペ……イ……」
 それが何を意味するのか理解した時には、瞬兵の眼前でギルティ……いや、洋は真っ二つに切り裂かれていた。
 死んだ……。
 そう、どう言葉を飾っても、瞬兵は洋を殺したのだ。
「そ、そんな……。ボク、ヒロを……!?」
 いつの間にか、瞬兵はまた、砂漠にいた。
 絶望の表情のまま、砂の上にひざまずく瞬兵。
「どうしたのじゃ? これが、おぬしの願いであろう?」
 あの老人の声だった。
「これが……? ボクの願い……?」
「さよう。おぬしが選んだ選択の結果、それが親友の死であろう」
「ボクは……! ボクは、ヒロの死なんて願っていない!!」
「では、なぜ彼を攻撃した?」
「それは…………!!」
 瞬兵は絶句した。
 そうだ。確かに戦いの中、瞬兵はバーンガーンに全力での攻撃を指示した。勝つために。守るために。
「友を想うと同時に、友の死を願ってしまった。それが、おぬしの心の闇じゃ……」
「ボクの……心の闇……」
 まるで糸の切れた操り人形のように、瞬兵が砂漠に倒れ込む。
「……これでいい」
 老人だけがじっと、倒れた瞬兵を見つめている。
 その眼窩は昏く、闇だけが填まり込んでいた。そこには何もなく、ただ虚無だけがあった。
「これで奴は、自分の心の闇を、さまよい続けるのだ」

 * * *

 グランダークの居城――
 そこは闇と混沌とが支配する領域である。
 その寒々とした廊下を歩くギルティは、突然の頭痛に苛まれ、頭部のリングを押さえて座り込んだ。
「洋(ヤツ)の制御がままならないのか――!?」
 ギルティは痛みに苛立ちを覚え、フラフラと回廊の壁に手をついた。
「黙れ!」
 ギルティのリングが妖しく光る。苦痛を振り払い、仮面の少年は再びマントで風を切り歩き始めた。
(グヘヘ、ヤツはやっぱなんか隠してんダナ……あのリング……)
 柱の陰から、ギルティを見つめる影があった。
 醜悪な肉の塊、ガストである。
 ガストはギルティの苦しむ姿を見てほくそ笑むと、闇へ消えた。もとより、ナイトメアたちは負の感情とともに産まれた存在である。仲間の苦悩は、彼らの昏い喜びとするところであった。

 * * *

 そのギルティの意識を、遠くから、あるいは近くから見つめているもうひとつの意識があった。
 洋である。
(ギルティ、ヤツは本当にオレのアザーサイド……『絶望の化身』……なのか?)
 ギルティの中に、洋の意識はあった。
 だが、洋自身にとっても、ギルティとは何者なのか、定義できはしなかった。それは自分自身であるようにも、自分からもっとも遠いようにも思えた。
(オレの中の闇……父さんや、母さんを恨んでいる? 瞬兵のことをねたんでいる?)
 洋はギルティのセリフを思い出し、本当にそれが「自分の気持ち」なのかと考えていた。いや、自分の気持ちというものは、ある意味でもっとも縁遠いものであるのかもしれなかった。
「フン、めんどくせぇヤツだな……」
「ギルティ!」
 ギルティ自身が洋に語りかけてくることは、滅多にないことだった。
 だが、洋の闇の中に、確かにギルティはいた。
「オレはお前の中の闇の具現化だ」
「闇の具現化……」
「誰だって自分のこと悪だなんて思いたくねぇだろ? 基本的に人間ってのは自分のことをいい人にしたいんだよ。お前だってそうだろ?」
「そんなこと、わざわざ言いに来たのか?」
 洋はギルティを睨んだ。
 自分を捉えている意識体であっても、抵抗の意志を示すことはできる。
「最近、お前の声がうるさくってどうにもな…」
 ギルティは落ち着いて洋を睨み返した。
「表と裏、光と闇、善と悪…ものの見方は常に二面だ。 オレとお前、どちらが本物? そんなことに…意味があるのか? お前のホントの姿はどっちだ? お前か?」
 ギルティは洋のことを指さして首を振った。
「オレかもしれないぜ?」
 ギルティを真っ直ぐ見つめる洋は何も言わなかった。
「絶望ってヤツは最悪の状況だと思ってるだろ? ちがうな、オレの言う絶望のどん底はそれ以下はないということだ。最悪を知れよ洋、そして、周りをその絶望の力で堕とすんだよ! 罪(ギルティ)を重ねて!」
「罪(ギルティ)……」
「まぁ、見てろよ。絶望の力を……」
 ギルティは微笑んだ。
 ひどく優しい笑みだった。

 * * *

 ナイトメアの攻撃が行われるようになっても、日常は続いている。
 もっともこれは特殊なことではないのだろう。ずっと昔、日本が空襲に見舞われていた時だって、人々は通勤し、学校に行っていたのだし、それは様々な自然災害の時も同じだ。町を巨大ロボットが襲撃するようになったからといって、買い物を自粛したり、出かけなくなったりするのは、一時の流行のようなものである。
 菜々子がクラスメートの成予、知代と一緒に外出するのを、最初は渋っていた親も、やがて慣れた。ナイトメアが現れても、きっとバーンガーンがなんとかしてくれる、その信頼もあった。
 だからその日、菜々子はお目当ての服屋で、貯めたお小遣いで買ったスカートを買うと、新しくできたタピオカティーの店に入ろうとしていたところだった。
 人混みの中に、ひときわ目立つ長身の青年を見つけたのは、そんな時である。
「……お……にい……ちゃん……?」
 その姿は確かに、彼の兄、真人だった。
 見間違えるはずもない。
 彼が星の海に消えてから、その姿を探すのは、菜々子の癖になっていたのだから。
「菜々子ちゃん!? どーしたの?」
「ゴメン! ちょっとお兄ちゃんに似てる人がいたから! 違うと思うけど、先に帰って!」
 菜々子は友だちに手を振ると、雑踏の中へと飛び出していった。

 * * *

「菜々子ちゃーん!」
「菜々子ぉ~!!」
 取り残された知代、成予のふたりは、菜々子を追おうとしたが、赤信号に阻まれてしまった。
 友達がずっと、いなくなってしまった兄を探しているのはわかる。わかるが、それが見間違いだろう、とも思ってしまう。
 ふたりのその声を聞いて大型バイクが止まる。
「あら、菜々子ちゃんがどうしたの?」
 バイクを運転していたのは、瞬兵の姉、愛美だった。
「あっ、芹沢くんのお姉さん!?」
「菜々子ちゃんがどうしたの? 一緒じゃないの?」
「今まで、菜々子ちゃんと一緒だったんです。でも、お兄さんに似てる人がいたって、追っかけて行っちゃいました」
「お兄ちゃん?」
「うん。確か、お兄ちゃん……って、言ってた」
「!?」
 愛美はバイザーを下げてバイクのスタンドを上げた。
「あっ、マナミさん……!」
「行っちゃったぁ~」

 * * *

 愛美が菜々子を追ったのは、真人が生きていると思ったからではない。
 菜々子が真人だと思ったその人影の正体を突き止めたいと思ったからだ。
(…………それが、もしナイトメアならば……!)
 許しておけない、と思った。
 だが、確かに。
 菜々子の向かった先、海の見える公園に立っていたその男は、彼女の愛した男だった。
 そして、その足下には、菜々子が倒れ伏している。
(…………!)
 愛美は腰に吊った護身用のスタンガンを抜いた。
「愛美」
 そして、男は彼女がよく知る声で、よく知る瞳で、愛美を見た。

 * * *

 奇妙な夢を見た。
 夢の中で、確かに瞬兵は洋を――殺したのだ。
 べっとりとした汗が手の平について、パジャマがぐっしょりと濡れていた。
 現実としか思えぬほどの、悪夢――。
 バーンに何かあったかと聞いたが、バーンはうなされていたようだった、としか答えなかった。バイオリズムに異常はないらしい。
 起き出してみると、姉はふらりとどこかへ出かけて戻っていなかった。SNSのショートメッセージにも返事はないから、バイクでカッ飛ばしてでもいるのだろう。
 だから、というわけでもないのだが、瞬兵はVARSの基地を訪ねた。
 家でじっとしているよりも、バーンのセッティングを詰めて、不安から逃れたかったというのが、本当のところである。
 もし次にギルティが現れた時、自分は洋を止められるのか?
 殺さずに、済ませることができるのか?
 その不安から逃れたかったのだ。
「この間シンクロ率が高かったのはグリフ、あ、ピーちゃん…だったけど、戦いたくないって言ってたピーちゃんがシンクロ率が高くなったのはなんでだろ?」
「シンクロ率の判定基準の中にバーンとの相性があるからちゃうか?」
「それはハウンドとイッカクも同じくらいなんですよ」
 まさるとさとるは、三匹のスペックを比較しながら首を傾げた。
「バーンはどう思うの? 三匹とのしんくろ率?」
 瞬兵は机の上で腕組みをして三匹を見つめるバーンに聞いた。
「その時必要な武装をAIが判別、それがシンクロ率に影響しているのではないかと思う」
「必要なぶそう……ふ~ん」
 瞬兵にはまだピンと来なかった。ハードウェア的なセッティングならともかく、超AIの細部となると、大人のプログラマーたちでなければお手上げの分野だからだ。
「でもさ、バーン」
 たったひとつ、解っていることがあった。
「戦いたくないのは、ボクもいっしょだよ」
「シュンペイ……」
「ギルティの言ってること、ホントに洋の気持ちなのかな?」
「……違うさ」
 バーンは、優しかった。
「瞬兵の見てきた洋を、信じればいい。そうすれば、きっと洋も、スペリオンも、取り戻すことができる。そうだろう?」
「……うん!」
 意気上がる瞬兵に反応するように、机の上のハウンド、イッカク、ピーちゃんの三体もまた、それぞれの前肢と翼を揚げた。それはまるで、瞬兵を励ましてくれているようだった。
「……ありがとう、みんな」
(だが……)
 バーンもまた、じっと考え込んでいた。
(聖勇者スペリオンを相手にして、本当に次も勝てるとは、断言出来ない。聖勇者の力はそれぞれに互角だ。そこにナイトメアの力が加わっているならば……)
 前回のダークギルディオンとの戦闘では、速度に特化したウィングバーンガーンの力でダークギルディオンの猛攻に耐えられたが、駆逐するほどの攻撃力はなかった。グランダークの闇に落ちているとはいえ、スペリオンは聖勇者だ、その実力は聖勇者最大の力を持つバーンに匹敵する。ダークギルディオンとなって、更にその戦闘力は上がっている。
(――瞬兵に迷いがあるいま、彼らの力を借りても、対抗するのは難しいかもしれない……)
 バーンは三度来るであろうダークギルディオンとの戦いに不安を感じていた。
『バーン、オレはどうしたらいい?』
 不意にバーンの内部に直接応える声があった。ハウンドだ。
『ボクモバーンノチカラニナリタイ』
『ワタシダッテ、バーンノヤクニタチタイ』
 イッカクもグリフも、バーンに話しかけてきた。バーンとサポートメカたちは愛美の作った超AIシナプスでつながっている。
 そのAIのせいなのか? 不思議な感覚で交信、というか、何を言っているかわかるのだった。
『オレタチニハ戦闘プログラムヲ外セナイ』
『ミンナイッショニタタカエタライイノニ』
『デモ、ヒロミヲ、カナシマセタクナイノ……』
「ありがとう、みんな」
 バーンは三匹の気持ちを聞き、礼を言った。
 バーンにとって三体の超AIシナプスは、ある意味では地球ではじめて得た、友と言えた。
 スペリオンを止めるために、力を貸して欲しい。
 バーンは心からそう願い、超AIシナプスたちもまた、それにうなずいた。
(あとは、愛美が戻ってくれば、超AIシナプスとの連携について相談をしてみるか……)
 バーンがそう考えた時だった。
「アネゴ、おっそいなァ? ……」
「珍しいですよね? お姉様が、時間に遅れるなんて……」
「……まさか、なにか事件に巻き込まれたんじゃ」
「アホ、不吉なこと言わんといてや!」
「ゴ、ゴメン……」
 けたたましいエマージェンシーコールが、司令室を満たしたのである。
「さとるぅ! お前がエンギでもないこというから!?」
「通信!? モニターに表示します!!」
 通信モニターに朱色の眼が光る。
 そこに映し出されていたのは、他ならぬギルティの姿だった。
「我が名はギルティ……
 アイバ ナナコ。
 セリザワ マナミ。
 二人の身柄は預かった。
 二人を助けたければ、東京湾にある人工島まで来い。

 待っているぞ、瞬兵、聖勇者……」
 通信の最後には、拘束された愛美と菜々子の姿が映った。