novel

第三話「勇気の源」

 朝の光が、天井のステンドグラスを通して応接間を輝かせていた。
 瞬兵の家は海に近い住宅街にあって、クラシックな和洋折衷スタイルでまとめられていた。半分は古めかしい和風建築で、残りの半分が洋館風の出で立ちである。
 実際にはこの街が作られた時に建てられたものなのだが、あたかも戦前のモダンな家の風情があって、瞬兵はことのほか気に入っていた。
 こうした作りになっているのは、祖父、厳五郎の趣味である。といっても、家族に趣味を押しつけたというわけではなく、祖父が提案し、家族一同が大喜びで受け入れた、という形が正しい。
 今時珍しい応接間が設けられているのも、厳五郎の提案であった。
 瞬兵の父と姉はそれぞれの仕事柄、来客が多い。そうした客を迎えいれる時に、プライベートなスペースをさらけ出すのも気恥ずかしいものだし、仕事上の機密が漏れてしまわないとも限らない。まして、そのような事情をさらけ出すことで客に気を遣わせるのは恥ずかしいことである、と祖父は考えていた。
 だが、その日、芹沢家の応接間を訪れた客は、珍客という言葉ですら語り得ぬほどの特異な存在であった。
 すなわち人類がはじめて遭遇する異種知性体、バーンと名乗ったVARSがそれである。

 * * *

「じゃあ、いったん整理しよっか」
 全高15センチほどのバーンを上座に据え、議長役を務めているのは姉の愛美だった。
「あなたはアスタルと呼ばれる存在に仕える聖勇者で、グランダークという邪悪な存在が宇宙に混乱をもたらすのを止めようとしているって、コトね?」
「その通りだ」
 バーンは重々しく……いや、あくまでもそのボディはVARSであるから重々しいというのも変なのだが、声音と態度からすると重々しくうなずいた。
「そして、海浜ドームに現われたのは、グランダークの手下、ナイトメア配下のロボット。ここまではいいわね?」
 ドームに現われたロボットは、警察と研究機関が総力を挙げて調査しているという話だったが、目下のところは何もわかっていないに等しいということだった。そもそも人類の科学では、10メートルを超える巨大なロボットが二足歩行しても自重で崩壊しない理由すら突き止めることができないのだ。
「グランダークは、マイナスの意識を操って、宇宙の安定を崩すつもりだ」
「ふむ」
「私は我が師、アスタルの命を受け、この地球に〈勇気の源〉を感じ、やってきた」
「ハハッ……ぶっ飛んだことをイケボで言うわね……」
 技術者らしく、事実の分析だけに務めていた愛美も、バーンの言葉には困惑を隠しきれなかった。これは神話の領域だ。SFというよりはファンタジー小説の世界だ。
「私は宇宙意識体、落下の際、シュンペイが持っていたこの人形を借りたが、本来は実体を持たない存在だ」
「宇宙意識体? なるほど……情報生命体ってことね」
「ウチュウイシキタイ? ジョウホウセイメイタイ?」
 瞬兵は姉の言葉が理解できず、バーンと愛美の間でキョロキョロと左右に首を振っていた 。
「仮説の段階だけどね……プログラムのようなデータが意識を持った生命体のことよ。幽霊とか精霊とか……ゲームに例えるとそういう感じ?」
 愛美はとりあえずゲームの中の言葉でわかりやすく説明をした。
「グランダークが司るものは、混沌と破壊」
 グランダーク、という名をバーンが口にする時、そこには注意深い警戒の気配があった。まるでその名を口にすることすら、災厄を呼び込むかのようだった。
「そのパワーは強大で、おそらくは聖勇者の力だけで今のグランダークを封印することはできないだろう」
「えっ? バーンだって、すっごく強いじゃないか? それでも、グランダークにはかなわないの!? そんなにグランダークって強いの!?」
 瞬兵にしてみれば、バーンの強さはまさしく宇宙から来たスーパーヒーローだ。その力を持ってしてもグランダークを封じ込めることができない、と言われても、にわかに想像がつくものではなかった。
「私にはシュンペイ……キミが必要なんだ」
「どうして、ボクなの!?」
 瞬兵はバーンの言葉にドキドキしながら自分の顔を指差して叫んだ。
 えらい政治家や、姉のような科学者や、宇宙飛行士なら想像できる。でも、瞬兵はちょっとゲームが上手いくらいの、ただの小学生だ。そんな自分が……グランダークと戦うために必要になる? 瞬兵には想像することができなかった。
「グランダークを封印するには、聖なる心が必要だ。それは知的生命体の誰もが持っているものではない。この惑星に来た時唯一輝いていた聖なる心……それがキミなんだ、シュンペイ」
 それまでじっと、岩のように押し黙っていた祖父、厳五郎が口を開いた。
「聖なる心……? それはどういうものかな」
「あなたたち知的生命体が、感情と呼ぶもの……それは我々のような意識体には存在しないエナジーだ」
「? バーン、あなたには感情がないの? そうは見えないけれど」
 愛美は首を傾げた。少なくとも、これまで話している限りにおいてバーンには自分たちと同じような心があるように思えたからだ。
「精神構造が違うということ?」
「そう考えてもらってよいだろう。怒りや悲しみは存在するが、それをエナジーとして発揮することができない。意識体である我々は、その存在自体が感情そのものだからな」
「自分自身をパワーソースにはできないってことね」
「そして聖なる心を持つ者が勇気を発揮する時、私は真の勇者となる」
「勇気? 感情だったらなんでもいいってわけじゃないのね?」
 愛美はじっとバーンの機械の瞳を覗き込んで問うた。
「私は勇気を司る聖勇者。勇気は私の力の源だ」
「ふむ……」
 厳五郎は顎を撫でて、天井のステンドグラスを見て、考え込んでいる様子だった。
「つまり、お前さんは瞬兵の中に勇気を感じて海浜ドームに現われた。そう言うんじゃな?」
 昔気質の老人は、異常事態を自分自身で噛みしめるようにゆっくりと話した。
「はい。宇宙空間を漂っていた私に届いた光……それは、大きく美しい勇気の輝きでした」
「それが……ボク?」
 瞬兵は小さく呟いた。
 バーンの言葉はお世辞でも何でもなく、本当に自分のことを求めているのだ、とわかりはじめていたからだ。
「勇気の源がキミのような幼い子どもだったとわかり正直驚いたが……」
 愛美と厳五郎は、じっと瞬兵を見た。
 ふたりにとっても、弟あるいは孫がそのような光輝く存在、たとえばファンタジー小説の救世主のようなものだとは思われなかったからだ。
「別に光ってないわね……」
「当たり前じゃろ」
「でしょ? ボクが勇気の源なんて、やっぱりなにかの間違いなんじゃ……」
 瞬兵はまだ残っている戸惑いを素直に口にした。
「シュンペイが勇気の源であることは間違いない」
「なんで言い切れるの?」
 バーンの即答に、瞬兵はちょっとむくれて見せた。もしかしてバーンは自分をからかっているのではないかとさえ思えたからだ。
「本当の勇気の源でなければ、私にブレイブチャージすることはできないからだ。私に力をくれたこと、それこそがキミが聖勇者を支える聖なる心の持ち主であることの証だ」
「………………」
 瞬兵は正直なところ、困ってしまった。
 自分の体から特撮やアニメのようなビームが出て、バーンを巨大化させた、とかなら理解もできる。でも、自分はただ無我夢中だっただけだ。もちろん確かに、怖いことに立ち向かうためになけなしの勇気をふるいはしたけれど、それが……宇宙を救うための力になるなんて言われても、どうしていいかわからないのが正直なところだった。
「なんじゃい。自信がないのか、瞬兵。おまえがバーンを巨大化させて、みんなを守ったのは事実じゃろうが」
「……そりゃそうだけど……」
 祖父の言葉にも、瞬兵は即座にうなずいて見せることができなかった。
「ボクは……」
 小学六年生が背負うには、いささかならず重い課題だった。
 日本どころではない。バーンの言葉が真実なら、地球の、もしかしたら全宇宙の運命が、瞬兵の双肩にかかっていることになるのだ。
 バーン自身にも、自分が突拍子もないことを言っているという自覚はあるのだろう。それ以上に言葉を重ねることはなかった。
 沈黙が応接間を支配した。
「それで?」
 首をわずかに傾げて、愛美は話題の転換をはかった。沈黙は彼女の好みではなかったからだ。
「あなたは瞬兵とふたりだけで、そのグランダークと戦うつもりなの?」
「いや。グランダークの侵攻を阻止するため、我が師アスタルは全宇宙に警鐘を鳴らした。それにより、すべての聖勇者が行動を開始しているはずだ」
「ええっ!? 聖勇者はアナタ以外にもいるってこと?」
「もちろん。いずれもアスタルに見いだされた意識体だ。ただ」
「ただ……?」
「皆がどこにいるかは、正直なところわからない」
「どういうこと? 連絡手段くらい持ってないの、あなたたち」
「我々宇宙意識体は宇宙そのものに偏在している。どこにでもいて、どこにもいないとも言える。私がシュンペイの勇気を感じとって地球に来たように、望まなければ、形を取ることはない。それは他の聖勇者も同じだ。そして、形を取らない聖勇者と連絡を取ることは極めて難しい」
 難しい話が飛び交って頭が「?(ハテナ)」になっている瞬兵をよそに、バーンと姉は難しい話に没頭していた。
「宇宙全体があなたたちの体だから、存在の焦点を絞り込めないってこと?」
「そう考えてくれていい。もしかしたら私以外にもナイトメアを発見し、すでに戦っている聖勇者がいるかもしれないが、それも今の私にはわからないのだ」
「不便ね」
「それほど宇宙は広いのだと思って欲しい。だが、シュンペイの協力を得られれば、いずれ他の聖勇者と連絡を取る術を見いだせるかもしれない」
 何だかわからないが、要するに宇宙は広いので他の聖勇者にはスマホが繋がらない、くらいのことであるらしい。瞬兵が力を貸せば、アンテナが立って連絡が取れるかも、ということか。
「もうひとつ確認させて。あの時、ドームに落ちてきた青い光が、VARSと融合する前のあなただったと考えていいのね?」
「あぁ、そうだ」
「じゃあ、赤い光は?」
 愛美の目がきらり、と光った。
「あなたと一緒に落ちてきた赤い光……あの光は瞬兵のすぐ側に落ちた。そしてあの怪ロボットが現われた……でも、それだけじゃないの」
「! ヒロ!? もしかしてその赤い光はヒロに向かって?」
 瞬兵は自分でも考えないようにしていたひとつの事実に思い当たり、ふるえあがった。
 あの時から、瞬兵はヒロを見ていない。
 逃げ延びたのだろうと思っていたが、一日経った今になっても連絡はない……いや、家にまだ帰っていないという。海浜ドームのたくさんのケガ人のリストの中にも、ヒロはいないのだ。あの事件の、たったひとりの“行方不明者”……。
 それが何を意味するのか。
「あの赤い光が怪ロボットそのものだと思っていたけれど」

 姉は、瞬兵の様子に気づいたのか、極力言葉を選んでいるようだった。 「映像記録は何度も確認したわ。青い光が瞬兵に落ちたのとほぼ同時刻に赤い光が落ちて……洋が姿を消している。まるで彼を目指して落ちてきたかのように……」
「赤い光もシュンペイを狙ってきたのかと思ったが……」
「そんな、それじゃヒロは……!?」
「わからない……」
 バーンは軽く首を横に振った。
「まぁ、消えちゃったってことは、死んでない可能性が高いってことよ。ヒロは万能イケメン少年なんでしょ? 決まったわけじゃないんだから、メソメソしない!」
「うぎゃ、姉ちゃん、やめてよぉ~!」
 瞬兵の頭をくしゃくしゃすると、ジャケットを手に、愛美が立ちあがった。
「大体わかった……アタシ先に出るネ」
 いつになく真剣な表情をした姉はそのまま足早に応接間を去ると、そのまま職場へと向かっていった。
 しばらくの間応接間を支配したのは、沈黙だった。
 瞬兵はヒロのことで頭がいっぱいになっていたし、バーンも厳五郎もそんな瞬兵にかける言葉を持たなかった。
 その長い沈黙を破ったのは、応接間の中央に置かれた大時計が時を告げる音だった。
「あ」
 瞬兵は顔を上げた。
「学校、行かなきゃ」
 どんな災害や戦争があっても、人間は日常を維持しなければ生きていくことができない。小学生である瞬兵にとっては、それは学校だった。
「ガッコウ?」
 バーンはその言葉を理解できないようだった。
「学校っていうのはみんなで勉強する場所で、毎日ボクが通わなくちゃいけないところなんだ」
「なるほど。それなら私も……」
「うーん。学校には、オモチャを持って行けないんだ」

「……そうか?」
 バーンは不思議そうな笑顔で瞬兵を見上げた。
「VARSって、学校ではまだオモチャってことになってるんだ、だから……」
 バーンは改めて自分の身体を見回して、自身がVARSというオモチャであることを確認した。
「……そうか」
 今度は落胆の「そうか」だった。
 喋ろうが、宇宙を救う聖勇者だろうが、周囲からみればバーンはあくまでVARSだ。いくら瞬兵がVARSチャンピオンでも、小学校にVARSを持って行くようなことはできないし、瞬兵もホビーと社会のつきあい方くらいはわきまえている。趣味は、放課後のものだ。 「だが、いつナイトメアが現われるかもしれない。私とシュンペイが離れるのは危険だ」
 バーンの言葉にはわずかに危機感がにじんでいた。彼にとっては、地球の運命に関わることなのだ。
「学校終わったら、すぐに戻るよ」
「それならばシュンペイ……これを」
 淡いグリーンの光がバーンの指先から放たれると、瞬兵の手に移動した。
 その光を受け止めるように瞬兵が手を伸ばすと、光は手の上でふっと消え、ブレスレットのような形を取った。
「これは……?」
「バーンブレス。通信機のようなものだ。これで、私と連絡を取ることができる」
「……大丈夫かな」
 確かにVARSよりはずっと目立たないが、果たして学校に持って行ってよいものだろうか?
「ワシから先生に連絡しておこう。そうじゃな……スマートウォッチとでも言えばよかろう」
 戸惑う瞬兵に、厳五郎が助け船を出してくれた。確かに、持病などでスマートウォッチをつけて、血圧などの数値を常時確認しているクラスメートはいる。健康管理の名目なら、問題にはならないはずだ。
「ありがとう、それじゃあ、行ってくるね!」
 バーンブレスを手首にセットすると、瞬兵は学校へと向かうことにした。
「今日の授業参観には、ワシが顔を出すでな!」
 祖父の言葉は、優しかった。

 * * *

 瞬兵が出て行くと、応接間には厳五郎とバーンが残された。
 厳五郎は茶を一口飲むと、じっとバーンを見た。
「難しいことはわからんが」
「………………」
「ばーんさんが瞬兵を見込んだこと、ワシは間違ってはいないと思うぞ……なにしろ瞬兵はワシの孫じゃからな」
 厳五郎はエッヘンと胸を張って、バーンにウィンクしてみせた。
「瞬兵の名前には“瞬間を掴む兵(つわもの)になる”という意味があってな」
 バーンの目の前に手のひらを掲げぐっと掴む、厳五郎のボディランゲージは的確だった。
「瞬間をつかむ……」
「一を知って十を理解する……という意味じゃよ」
 厳五郎はとても優しい目をしていた。意識体であるバーンには、馴染みのない感覚だった。
「あの子はな、あなたの言葉を遠ざけておるのではない」
「…………」
「頭のいい子じゃ。もうわかっておるんじゃよ。自分が何をするべきかはな」
「そうだと、いいのですが」
 バーンにも、自分が言っていることが地球人の子どもにとって大変なことであることくらいはわかっている。彼自身、自分の勇気の源は、もっと屈強で成熟した成人であろう、と想像していたからだ。幼い地球人に過酷な運命を背負わせることはバーンの望むところではなかった。
「もう少し時間をくだされ。見守ることも大事ですでな」
「……見守る?」
 バーンは厳五郎を見た。彼にはない考え方だった。厳五郎は言葉ではなく、ウィンクを返した。
 その表情もまた、バーンには理解しにくいものだった。
 バーンは戸惑いの中で、地球に降りてきてはじめて、自分がここにやってきた理由について考えた。
(人間という生物は不思議だ。なぜこんなに感情というものの色を変えるのだろう?)
 宇宙意識体であるバーンには、寿命という概念はない。
 静と動というものはあれど、地球の生物のように生命という時間感覚は希薄であった。それ故に、バーンの持つ感情は、知的生命体の感情とは意味が違う。宇宙がただあり続けるように、バーンもそこにあり続ける。
 バーンの感情とは、海や山や星々の感情と同じようなものなのだ。だから、すさまじい速度で揺らぎと変化を繰り返す人間の感情は、バーンにとっては縁遠いものなのである。
(限られた生を生きるからこそ、このような感情を持ち得るのが知的生命体というものなのか……シュンペイが勇気の源である理由は、そこにあるのだろうか?)

 * * *
 
「セイユウシャ?」
 いつもの通学路で、幼なじみの菜々子は瞬兵が口にした聞き慣れない言葉に首を傾げてみせた。
「そう。あの時、菜々子を助けてくれたロボット、バーンのことだよ」
「あのシュンペイのVARSにそっくりな青いロボット?」
「バーンはセイユウシャでウチュウイシキタイなんだって」
 瞬兵は、菜々子には事情を話すことにした。
 みだりに口外するようなものでないことはわかっていたが、あの時菜々子は現場のすぐ側にいて、瞬兵がバーンとやりとりしているのを見ていたし、瞬兵のVARSのデザインも知っている。変に隠し立てをして、菜々子が危険に巻き込まれるよりも説明してしまったほうがいいと考えたのだ。
「バーンはボクがグランダークを封印するために勇気のミナモトとして力を貸してくれ、って言うんだよね」
「ふーん、それでいつものーてんきなシュンペイが悩んでるってわけね?」
「のーてんきで悪かったな」
 菜々子はずけずけと物を言うが、さっぱりして竹を割ったような性格だ。瞬兵にとっては相談しやすい友人である。
「なんか、不思議だけど、シュンペイが必要だ! って宇宙からやってきたんでしょ? ステキじゃない」
「ちょっとできすぎた話のような気もするんだよね。ボクの勇気が必要だ……って」
「でも、シュンペイの言葉でバーンはおっきくなって、たたかって、あのロボットをやっつけちゃったんでしょ? だったら、バーンの言ってることはホントなんじゃない?」
「まぁ、そーなんだけど」
 もちろん、あの怪ロボットを含めて邪悪な宇宙人であるバーンの自作自演で、という可能性だってなくはない。だが、そんなことをして小学生の瞬兵を陥れることに何らかのメリットがあるとは考えがたい。それは姉の愛美も同じ意見だった。それよりは、バーンが語っていることが真実だと考えるほうが納得がいくのである。
 が……それは理屈のことだ。
 瞬兵はまだ、自分の置かれた状況を飲み込めないままでいた。
 現実はゲームのチュートリアルではないのだから、そうなる。
(それに……ヒロのことだって)
 洋のことについては、話せなかった。
 まだ仮定の話だと愛美も言っていたし、菜々子に過剰な心配をかけたいわけでもなかった。

 * * *

 朝礼前の教室は、海浜ドームのロボットの話で持ちきりだった。
(そりゃそうだよね、大事件だったもん)
「あ、来た来た! 待ってたんだぜ、シュンペー!」 
 だから、体の大きいガキ大将格の千葉大地が馴れ馴れしく話しかけてきたのも、不思議ではない。
 とはいえ、声と態度も大きい大地のことを瞬兵はちょっと苦手に思っていた。他者のパーソナルスペースに悪気なく入ってくるタイプなのだ。
「なぁ、昨日のイベントって結局どーなったんだよ?」
「まぁ、あれじゃあイベントどころじゃないよね」
 瞬兵としては、さらっと受け流したいところだった。
 が、そんな空気を読む大地ではない。
「でけえロボットがドームぶっ壊したって聞いたぞ? シュンペー見たのか?」
「…………うーん?」
「それにサカシタは? 今日まだ見てねえぞ? おまえら、一緒にVARSの大会に出てたんじゃねえのかよ?」
「! それは……」
 それこそ、瞬兵には触れられたくない話題だった。
 菜々子にも話していないことを、大地に話せるはずがない。
 だから、ごまかし気味に席についた。
 が、そのことが、大地を触発したのも事実である。
「オイ~、やっぱりなんか知ってるんじゃねえのか?」
 ぐい、と肩を掴まれた。
「言えよ、シュンペー!」
「やめなさいよ、ダイチ!」
 その手を払って押しのけるようにして割り込んだのは、満面ふくれっつらの菜々子だった。
「昨日は大変だったのよ! 話せないのは仕方ないでしょ!」
「おめぇは関係ねーだろぉ!?」
「うっさい! シュンペイ! ちょっと来て!」
 菜々子は、瞬兵の手を引っ張って教室を出て行った。
「幼なじみはたいへんね。あたしだったら絶対ヤダなぁ、ああいうの……」
 一部始終を見ていた女生徒、森尾成予がしみじみとそう呟いたものである。

 * * *

 その頃。
 学校を見下ろしている、黒い影があった。
 バーンと同じ、意識体である。
 だが、その向いているところはバーンと同じではない。
 憎み、妬み、蔑み、そんな心によって織り成された意識体である。
 意識体の名を、ガストと言った。
「あれがガッコウ……たくさんの子どもたちを集めて、ムリヤリ勉強させる場所なんだな」
 影は歪んで、左右非対称(アシンメトリカル)な醜い怪物の姿を取った。
 その赤い口から伸びた舌を、べろん、と舐めずってみせる。
「やややっ!? この辺りに不平不満の気が満ちているんだな。休みたい……楽をしたい……そんな願いでいっぱいだぞ」
 ガストの体が膨らみ、霧のようなものを噴出した。
 霧は、ゆっくりと学校を包み込んでいく。
「このオレ様が、人間たちのホントーの望みを解放してやるんだな! う~ん! オレ様って、なんてイイヤツ! げひっげひヒヒヒッ!」
 ガストは不気味な笑い声と共に霧の中へと溶け込んでいった。