おまもり。 − a talisman −


  かつて、最高評議会の調査機関からさえ隠し通された、ハルフェアの都ルリルラに眠る機密の巨大転送施設。それは、100年以上前に「歌姫大戦」で奇声蟲を撃退した時から、再びアーカイアが危機に瀕した今、稼動しようとしていた。

  女王の演説が終わってから転送実施までの短い時間、現地指揮官を担うカノーネの元で従軍する整備技術者や補給を担当する人々は、転送の準備に忙しかった。
  短時間しか戦闘稼動ができず、歌姫も何時間とは歌い続けることができないため、部隊は陣を張り、歌姫の支援のための場所を確保するとともに、そこを野営地とするのが常である。そこには絶対奏甲の補修はもちろん、機奏英雄や歌姫を始めとした人員の飲食、睡眠の設備なども必要とされる。戦闘部隊だけでは、戦いはできない。それだけの人員が集まると転送施設も手狭になりつつあった。
  その喧騒の中で、絶対奏甲を所定の場所にすでに駐機させている機奏英雄と歌姫は、することもない。その短い待ち時間の間、ひびきはソルジェリッタと話をしていた。ソルジェリッタが出陣にあたって、渡したいものがあるというのだ。
「これを携えていってください、ひびき。」
  ソルジェリッタが差し出したのは、アクセサリーと一振りの剣だった。
  アクセサリーは襟飾りとでもいうもので、首の後ろから鎖骨の上にかぶさる部分と、前の胸元にくる部分で構成されている。前部分は円盤状になっており、中央には宝石がはめ込まれている。それはソルジェリッタが身に付けているものと同一のものだ。
「これを身に付けることで、わたくしとの『調律』が補強されます。
  わたくし遠話のたぐいの歌術は得意で『風の女王』を拝命しているくらいです。宿縁のあなたとの調律なら、アーカイアの果てからでもミリアルデ・ブリッツに乗ったあなたのために歌い、意思を交わせるでしょう。それでも戦いでは何が起こるかわかりません。身に付けていてください。」
  ソルジェリッタはそう言いつつ、ひびきにその襟飾りを身に着けさせた。
  彼女は次に、剣をひびきに差し出した。さほど大きいものではなく、ひびきでも片手で持てそうな直刃のショートソードというべき種類のものだ。だが金属製の本物の剣は、受け取るひびきの手に、決して軽くはない。
「この剣は、幻糸鋼と歌術を組み合わせながら鍛え上げられたといわれる、機奏英雄のための剣です。機奏英雄と絶対奏甲の『調律』を補強する力があることがわかっています。
  機能が少なく出力が低い絶対奏甲であれば、機奏英雄の精神状態によっては、歌術の支援が無くても戦闘稼動に近い活性さえもたらします。
  ミリアルデ・ブリッツはハルフェアの旗機ですから、出力の大きいアークドライブを搭載していますし、近代化改修された装備なども多く、操縦がやさしい機体とは言えません。初陣でもありますから、少しでも身を助くものとして携えてください。」
「あ、ありがとう。」
  断る理由もなかったため、ひびきは礼を言って、鞘に入った状態で柄を向けて差し出されていたその剣を受け取り、鞘ごと革帯に吊るした。
「この剣みたいなアイテムって、もっと沢山ないの?もう一本、あれば響に渡して・・・えぇ〜っと。」
  そこまで言って、ひびきは言葉を止めた。響の心配を思わず口に出してしまい、照れたのである。ソルジェリッタはにこやかに微笑み、それから言った。
「この剣は、ミリアルデ・ブリッツとブリッツ・ノイエと同様に、二振り一組で鍛えられ、伝えられてきました。もう一振りはラナラナのもので、それは響さまに渡されます。心配しなくとも、大丈夫ですよ。」
「あっそ。」
  ひびきは、そう答えつつ、照れ隠しにソルジェリッタから目をそらそうと横を向いた。そのためにかえって響を見てしまう。たしかに響は背中に長剣をくくりつけているところだった。たすきがけしている革帯に気が行っていて、ひびきの視線には気づいていない。
  『響ったら、わたしが危なくなったら助けてくれるかなぁ・・・。』
  ひびきは、剣を構え勇ましい響を思い浮かべようとしたが、うまく行かない。幼いころから、彼女の前ではケンカどころか怒ったところも見せたところがない。
  自分で響を見つめていることを意識していなかったひびきは、ラナラナが、響から見えないように、舌を出して「べぇー」と、ひびきに敵意をあらわすのを見て、それに気づいた。
  『なによ、わたしと響は小さいときからずっと・・・』
  と、一人思いにひたっていると、頬にぬくもりを感じ、横を向いていた顔を正面に向けられると同時に、唇に、唇の感触がした。
  ソルジェリッタがかがんで瞳を閉じ、ひびきの唇と彼女の唇を触れ合わせている。ひびきには長く感じられた時間だが、実はほんの1秒だった。ソルジェリッタが身を起こす。
「武運を呼ぶおまじないです。お気をつけて、ひびき。」
  ソルジェリッタの真剣さに、怒るわけにもいかず、ひびきは呆然としてしまう。
「陛下、すごいねぇ。フレンチだった?ひびき、もしかしてファースト・キス?」
  ディーリがこらえきれない様子で、嬉々として突っ込みをいれてきた。その脇でリフィエは、口のあたりで両手を握り合わせ、真っ赤になった潤んだ目で見ている。
「あ・・・え、と。」
  受け答えをするだけの理性の活動を取り戻せないひびきは、反論するキッカケを失った。指揮官のカノーネが、号令をかけたからだ。
「絶対奏甲がある機奏英雄は、全員機乗せよ!まもなく転送を実施する。機乗して合図を待て。歌姫は、所定の位置へ集まれ!」
  物事が大きく動き出すのを見て、ソルジェリッタは自分の次の役目を思い出した。
「それではディーリ、リフィエ、玲奈、カレンもお気をつけて。ひびきをおねがいね。いってらっしゃい、ひびき。わたくしの機奏英雄さま。」
  ソルジェリッタはそう言うと、名残惜しそうにその場を離れた。だが、離れていくときの足取りの軽さは、スキップしてしまいそうなほどであった。
  取り残されたように感じたひびきは、思わず響の方を見た。すると丁度、ひびきの方を振り向いた響と、バッチリと目が合った。響も、いよいよになってひびきのことが気になったのだ。
  響はしっかりとうなずいてみせると、右手を一振りしてから手を握って肘を曲げ、片手でガッツポーズをとるようにした。それから彼女に背を向け、響の乗機ブリッツ・ノイエへ向かっていった。
「は、はーん、彼氏?こっちの世界で知りあったんでしょ?まさか元の世界での知り合いなんて、偶然過ぎるわよね。」
  ひびきは、ディーリの言葉を相手にせず、ため息をつくとミリアルデ・ブリッツの奏室へあがっていった。
  指で唇に触れてみる。自分の唇とソルジェリッタの唇の両方のやわらかさと、その瞬間の香りが思い浮かぶ。同姓とキスをすることなど、想像もつかなかった。それでは誰と?と自問してみると、響の顔が浮かんできて、ひびきはあわてて頭を左右に振って、思い浮かんだ彼の顔を追い払った。

  そしていよいよ、転送は実施された。召喚された者たちの数え方で、はるか2,400キロ。ハルフェアから西に位置するポザネオ島への絶対奏甲の部隊ごとの跳躍。それは歌姫大戦時代を含めた代々のハルフェア女王が、他国と評議会へ転送施設の存在が露見することと秘密保持とを天秤にかけ、避けてきたことである。
  だが、ここに至ってソルジェリッタ女王は、秘密が露見してでもポザネオ島へハルフェア軍を転移させることを選んだ。それは彼女なりの予見に基づいたものだ。奇声蟲の襲来と、それに対する各国やその女王たち、そしてなにより黄金の歌姫を戴く評議会。そして世界と奇声蟲の関係。ソルジェリッタは密かに自らの予測が外れて欲しいと願っていた。
  そのようなことは露ほども知らぬひびきにとって、転移は実にあっけないものに感じられた。だが、この転移によってハルフェア軍がポザネオ島に入った日が、奇しくも後に「英雄大戦」と呼ばれるアーカイアの大動乱の始まり日となったのである。

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