補助輪はなし。−They haven't wheel of assist.−


  ひびきはミリアルデ・ブリッツのコックピットで、あまりにも簡単に絶対奏甲が動かせることに、半日たっても感嘆していた。
  絶対奏甲の胸にある小さなスペースには、自動車のバケットシートも顔負けに、足から背中、肩までがはまり込む形のくぼみ、「奏座」があり、ほぼ立った状態で、それに体をはめ込む。すると、かすかに枯れ枝を踏むような音がしながら、下半身は両足を包むように、上半身は背中から肩にかぶさるように変形する。その素材は、手触りからはプラスティックのようで、触れても冷たくも熱くもない。奏者である機奏英雄の姿勢は、ほぼお尻の高さで軽く腰掛ける形となり、立っているということはない。奏座は変形したことで機奏英雄の体格にピッタリと合うが、包み込んでいる足や肩の部分を締め付けられるという圧迫を、機奏英雄が感じることはない。
  この奏座にひびきは逃げ腰になったが、ソルジェリッタにうながされ、意を決して挑んだ。足と肩の部分の変形が完全に終わり、ミリアルデ・ブリッツが彼女の意思をダイレクトに反映して動くようになると、面白くて仕方がなくなった。
  この奏座は、ショックなどがあったときには衝撃を吸収する役割を果たす。たとえば絶対奏甲が転倒した場合、倒れる側に、機奏英雄が"落ちる"加速度に合わせて瞬間的に変形し、受け止めるようにして機奏英雄を保護するとともに、位置を保持するのである。それは、100年以上も前の歌姫大戦の折に黄金の工房が作り上げた、歌術と幻糸技術の結晶の一つであった。
  ひびきはのんびりと動くミリアルデを動かしながら、ソルジェリッタの説明を頭の中で復習していた。奏者が動けと念じれば、絶対奏甲そのものがその時点で最も適切な動きを取る。「歩け」と念じれば、平らなところでは普通に歩行し、荒地であれば、バランスを取って歩く。剣で攻撃、と思えば斬りつける。機奏英雄は体を動かす必要はない。
  だが、それはあくまで絶対奏甲にとっての「適切な動き」であって、戦いでは不足だったり、対応できないことがいくらでも起きる。相手の弱点がどこであるかを絶対奏甲は判断してはくれないし、バランスを崩しても命中させなければならない一撃、という場面は戦場では往々にしてある。それが機奏英雄が必要な理由であり、それを会得できないと長生きできない。だが召喚された機奏英雄であれば、できるはずだという。
  そのような説明に、ひびきは自動車のマニュアル車とオートマチック車の違いといった感じで受け取った。
『それができる者が召喚されているなら、わたしにもできるはず。実践でやってみるまでね。』
  陸上で運動に、すこしは自信のあるひびきの心構えだった。

  この日、朝からひびきと響は、それぞれソルジェリッタとラナラナにともなわれ、機奏英雄、歌姫、絶対奏甲の「調律」に挑んでいた。彼ら4人だけではなく、周囲の絶対奏甲の足元にも歌姫がそれぞれつき、割り当てられた絶対奏甲と機奏英雄とで調律を行っている。
  絶対奏甲を起動し、歌姫との遠話を実現する<ケーブル>という機能を試し、歌術の支援が受けられることを確認する。武装を実際に使う訓練は、広い場所へ出てからとなっていて、歌姫による本格的な歌術支援も実施せず、ただゆっくりと歩いたり、武装を本体に取り付けるなどの動作に限られていた。
  とはいえ、身長が10メーター以上ある巨人の視線でものを見、それが己の思い通りに動くこと、離れた場所の歌姫とテレパシーで会話ができることが、不思議で面白くて仕方がない、ひびきと響である。
  ソルジェリッタが<ケーブル>を介した遠話でひびきに話しかけてきた。
『ひびき、そろそろ転送施設へ参りましょう。ほかの機奏英雄の方々ともお引き合わせいたしますわ。』
「わかった。どっちにいくの?」
  ひびきのミリアルデ・ブリッツが動作を止めて、その頭が左右を見る。ミリアルデも、響のブリッツ・ノイエも、昨日2人がこの2機に引き合わされたコロセウムの中央、座していた椅子の周囲にいる。

  前日2体と対面したあと、これからをソルジェリッタはひびきと響に説明した。
  3日後に歌姫を束ねるポザネオ最高評議会による、歌姫候補と召喚者の大規模な対面会が、ハルフェアからはるか西、ポザネオ島で開催される。
  評議会からの指示により、各国の歌姫候補と機奏英雄のほとんどが集められるほか、すでにペアとなった者も、絶対奏甲の提供を受けること、ポザネオ島とその隣の国家、トロンメルに奇声蟲の出現が多いことから守護の任を想定し、ポザネオ島へ集結することになっている。
  それに対しハルフェアは、他に類を見ない機密である巨大な転送装置により、絶対奏甲の部隊を一瞬にしてポザネオ島へ移動させると説明した。そのために「ハルフェアの巨大転送機」は、広く知られてしまうであろうとも。

「今の世、絶対奏甲は評議会直轄の技術ギルド『黄金の工房』だけが所有している超兵器であるはずなのです。通常は、機奏英雄と歌姫が出会うことはできても、絶対奏甲はそう容易には手に入りません。
  『歌姫大戦』が終結した折、評議会は、平和なアーカイアには不要だが、いつか再び奇声蟲の脅威が現れるまで保存するとして、各国へ、絶対奏甲のすべてを黄金の工房へ託すよう要請しました。ですが本当の狙いは、たとえ機奏英雄がおらず起動できなくとも、各国から武力としての絶対奏甲を取り上げ、さらに各国が絶対奏甲の技術を得て武具を開発したり、技術を応用することを防ぐことでした。
  その証左として、回収活動では黄金の工房の者が各国へ調査派遣され、渋る国には、評議会直轄の調査機関により調査員までが極秘に潜入し、判明した絶対奏甲は一機残らず召し上げられました。
  我が国はそれを免れました。ミリアルデ・ブリッツ、ブリッツ・ノイエの両機は、『歌姫大戦』でもハルフェアの旗印でしたが、破壊され、回収されたのは残骸とされ、外装だけを復元、国のシンボルとして保存するとされていました。他の絶対奏甲も、多かれ少なかれ同様です。
  ですが心配は無用です。歌姫の試験が免除されるようになったことからも、奇声蟲が再び襲来している現在、評議会は危機的状況であると認識していますから、絶対奏甲を秘匿していたことを処罰している余裕はありません。」

  ほんの少し前から、その施行者である評議会により、歌姫となる条件ははるかに緩和され、機奏英雄に出会うことができさえすれば、歌術の発現に必要な特別な「歌姫の首飾り」が渡されるようになった。
  それもあり、ラナラナも響に会ったことで歌姫と認定され、この席で姉から「歌姫の首飾り」を渡された。
  歌術を発動させる鍵となる首飾りも、本来は黄金の工房の使者から授かるものではあるが、ソルジェリッタがラナラナに渡した首飾りは工房による多量製作品ではなく、ソルジェリッタが身に付けているものと対となる、ハルフェアに継がれてきた名品であった。
  一足飛びに歌姫になれたため、その感謝もありラナラナは響にべったりになった。ひびきは、響と2人きりになることがあれば、あれこれ言うかもしれなかった。だが、広いルリルラ宮では別の部屋を割り当てられたし、わざわざ部屋を訪ねるのも気が引け、顔を合わせる時といえば2人の姉妹の前で、大人気なく響に詰め寄ることもできず複雑な気分でいた。

「響、もう行くって。」
  ひびきの視線―ミリアルデ・ブリッツの視線―でとらえているブリッツ・ノイエが、ゆっくりと振り向いた。
「ああ、わかったよ。」
  響が返事をした。伝わってきた声は響のものだったが、<ケーブル>を伝わってくる感触、あるいは感覚の中に、ひびきはソルジェリッタとラナラナの存在を感じる。
  <ケーブル>という機能は、歌姫の幻糸を行使する力に頼るところが大きく、絶対奏甲の間で会話をする際にも、歌姫に結びついた幻糸により中継する。歌姫の力が強ければ、それだけ遠くから意思を伝えることができ、歌の支援効果も拡大する。だが奇声蟲と戦う戦場では、奇声蟲が発する雑音のために届きにくかったり、妨害されることもある。妨害されれば絶対奏甲の戦闘力も落ち、機奏英雄は危機に直面することになる。
  そのため機奏英雄同士の意思疎通は、それぞれの歌姫には筒抜けになる。それどころか、感情、体調や疲労、痛みも、<ケーブル>は中継する。そしてなにより歌姫に危険なのは、絶対奏甲の損傷が<ケーブル>を通して歌姫へダメージとして伝わってしまうことだ。機奏英雄は無傷でも、絶対奏甲の被害によって歌姫が傷つけば、やはり生還は難しくなる。機奏英雄、歌姫、絶対奏甲の三者を結びつける「調律」は、ぞれぞれの調和で成り立っていると言える。
  2機の絶対奏甲がゆっくりと歩き始めた。先に歩いていっているソルジェリッタとラナラナについて、コロセウムの出入り口へミリアルデ・ブリッツとブリッツ・ノイエは進んでいった。

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