□■某月某日

 それは〈叡智の三角〉が皇国の数ある生産系クランの一つに過ぎなかった頃のこと。
 後の本拠地と比べれば……否、比較するにも値しない木造の小屋に、当時はただの第四形態〈エンブリオ〉の〈マスター〉だったフランクリンの姿があった。
「…………」
 『人型ロボットを作る』という目的で設立されたクラン、〈叡智の三角〉。発起人であり、クランのオーナーであるフランクリンは、オンボロ倉庫に併設した小屋の中で、書類と向き合っていた。
 そして苦い顔をしながら、そこに書かれた内容を読んでいる。
「フーちゃんいるー?」
 軋むような音と共に小屋のドアが開き、クランの最古参メンバーであるAR・I・CAが入室してきた。
 しかし、開けた拍子に張番が外れ、ドアは取っ手付きの板と隙間に早変わりする。
「ありゃ、ごめんね」
「構わないわ……。安普請な小屋だもの」
 フランクリンはいつものマッドサイエンティスト染みた喋り方ではなく、素の自分……プレイヤーである彼女自身の言葉で返した。
 気兼ねなく話せるAR・I・CAと二人だけだから、というのがその理由だ。
「ここってもうちょっといい建物にしないの?」 
 この小屋を建てたのはクランのメンバーだが、素材は低価格のモノである。
 セキュリティも何もない環境だが、貴重品の類はアイテムボックスに入れて肌身離さず持ち運ぶ。なので、この小屋はあくまでただの事務作業の部屋に過ぎない。
 加えて、現時点の〈叡智の三角〉には注目され、盗まれるようなものは何もなかった。
「住環境に回す予算があれば、試作機に回すわ。ホールハイムもそう言うでしょうね」
「あはは、絶対言うね」
 この〈叡智の三角〉の経理全般を担っているサブオーナーの、疲れ切った敏腕秘書のような顔を思い出してAR・I・CAは笑い、フランクリンも苦笑した。
「で、それ何?」
 AR・I・CAはフランクリンの手元の書類を指差して尋ねる。
 フランクリンは苦い顔をしながら答える。
「……ほとんどは昨日大破した試作機のログよ」
「あー……」
 試作機とは、彼女達のクランが作っている人型ロボットの〈マジンギア〉のことだ。
 今はまだ正式名称も決まっておらず、何より完成さえしていない。
「これで五〇体目よ」
 生産系のスキルがあるため、部品を作り、組み上げる時間自体は短いものと言える。
 それでも五〇体分ともなれば設計も含めて相当な時間であるし、未だ成功もしていない。
「キリは良い数字だけどまだまだ問題は多そうだね」
「……現実で人型ロボットのネックになっていた動力問題は、多種のエネルギーに変換可能な不思議パワー……魔力で解決してるのよ。だけど、今度はエネルギーの流れが複雑化して自損の連続……」
 既に出来上がっているパワードスーツ型の〈マジンギア〉を参考にしており、それを巨大化させる方向で試作機を作っていた。
 しかし、各所の回路でオーバーフロー、あるいは逆にパワーダウンが連続し、まともに動くこともできていない。
「いっそ、戦車型の方を参考にしようかしら。車輪を回す単純な機構を組み合わせて……けれど要求している挌闘戦能力が……」
「はいはい。一人で悩まない悩まない」
 AR・I・CAは思考が袋小路に入り始めたフランクリンの頭を後ろから抱きかかえた。
「……何のつもり?」
「おっぱいクッション。嬉しい?」
「……何度も言うけれど、リアルは女だから別に嬉しくはないわ」
 むしろ胸のサイズについて苛立つ点がないでもない。
「そ。でも落ち着いたでしょ?」
「まぁ……ねぇ」
 人肌の温もりを感じて、落ち着きはした。
「ムラムラした?」
「それはないわ」
「そっかそっかー。まぁ、兎にも角にも、このクランには物知りが沢山いるんだから、みんなで相談して解決すればいいんじゃないかな!」
「…………そうもいかないわ」
 『三人寄らば文殊の知恵』という言葉があるように、このクラン自体が個々人の知識を集積して開発するためにある。
 ただし、『船頭多くして船山に上る』にならないように、全体の指揮や技術開発の方向性の指示はフランクリンが行っている。
 趣味人が集まりすぎているために、それぞれの好きに任せれば収拾がつかなくなり、完成が遠退くのは火を見るよりも明らかだからだ。
「後の舵取りと揉めるリスクを考えると……軽々に意見を集められないわ」
 趣味人が集まっていることのもう一つの問題は、自身のアイディアが採用されなかったときに拗ねたり、独自に進めたりというリスクがあるからだ。
 いずれはそれぞれが望むように開発できる環境を整えたいが、そのためにはまず第一弾を完成させなければならない。
 だからこそ、フランクリンは誰よりも頭を悩ませている。
「そっかー。ところでログがほとんどって言ってたけど、他の書類ってなーにー?」
 AR・I・CAに問われ、フランクリンは苦笑したまま……分かる人にだけ分かる程度に表情を暗くした。
「……辞表よ」
「ああ、また?」
「戦闘系のブリッツとワーテルローが抜けたわ。『ごく潰し』って恨み言も書いてあるわね。まぁ、否定はしないわ。随分と浪費しているから」
 無から有を生み出すことはできない。
 何かを作ろうとすれば、必ず資金は必要になる。
 〈Infinite Dendrogram〉においても、機体開発には膨大な予算が掛かる。
 その予算を捻出する手段はホールハイムを中心とした生産系メンバーのアイテム売買と、戦闘系メンバーがこなしてきたクエスト報酬や討伐アイテムの換金だ。
 共に資金を稼いでいるが、両者の考えには隔たりがある。
 機体開発に関して、戦闘系のメンバーはテストパイロットや模擬戦の相手という形でしか関われない。
 現状はその段階にすら達しないままに、失敗を繰り返している。自壊した機体によってテストパイロットがデスペナルティになることさえもままあった。
 戦闘系のメンバーからすれば、生産系のメンバーは自分達が貢いだ金銭をドブに捨てているようにも見えるだろう。
 だからこそ、戦闘系を中心にクランを抜ける者は多い。
 見通しの立たない現状に、生産系からも抜ける者はいる。
「…………」
 見通しは暗い。ホールハイムが金策に走ってくれているが、それでも人員は減り、資金も減少傾向にある。
 この状況で本当に完成させられるのだろうか。
 その不安は、クランを率いるフランクリンの胸中にいつもある。
 普段は演じた人柄で包み隠しているが、彼女の思考の本質はネガティブなものだ。
「大丈夫だって! 安心しなよフーちゃん!」
 暗く沈みかけるフランクリンに対し、AR・I・CAが胸を張る。

「アタシの目には視えるよ。絶対うまくいくってね♪」
 自分の目を……義眼の〈エンブリオ〉を指しながらAR・I・CAは断言した。

「……その〈エンブリオ〉、そんなに長期の予知はできないでしょう?」
 AR・I・CAのカサンドラは未来予知の〈エンブリオ〉だが、その予知は直近のモノに限られる。
 それも、彼女に迫る危険しか視えないのだ。
 成功する未来など見えるわけがない。
「そう! だから視ているのはカサンドラじゃなくてアタシ自身! アタシはフーちゃん達を信じてるからね! 輝く未来が視えるのさ!」
「……言葉自体はあまり望ましくないわね」
 根拠のない自信も、希望的観測も、技術開発においては大敵と言ってもいい。
 けれど……。
「けれど、期待されているなら……応えたくもなるわ」
 もう少し、頑張ってみようかという気持ちにはなった。
 フランクリンが弱音を吐く相手はAR・I・CAだけであり、膝を折りそうなフランクリンを立たせるのもAR・I・CAだった。
 彼女がいるからフランクリンは倒れずに済む。
 精神的にはAR・I・CAに、環境的にはホールハイムに支えられて、彼女は三角形であり続けている。
 だからこそ、まだ頑張れる。まだ真っすぐに歩むことができる。
 フランクリンはそう思っていた。
「さて、と。じゃあちょっと行ってこようかねぇ。後の舵取りは大変そうだけれど」
 フランクリンはログを抱えて、椅子から立つ。
 ログイン中のメンバーの下へ、試作機の問題点と今後の設計方針の相談を行うためだ。
 AR・I・CAはそんな親友を笑顔で見送った。

 ◇◆

 こんな日々を繰り返した一ヶ月後、〈叡智の三角〉は【マーシャルII】を完成させることになる。

 そして少しの時を経て……AR・I・CAが〈叡智の三角〉を去った。

 理由は、誰にも語られない。
 フランクリンとAR・I・CAの二人しか知らないことだ。
 けれど、その出来事がフランクリンに与えた影響は……きっと大きかったのだろう。

 Episode End


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