神聖歴一〇〇〇年。リオとアイシアがまだシュトラール地方に向かっておらず、美春達が精霊の民の里で暮らすようになってから、数日しか経っていないある日のことだ。
 精霊の民が暮らす里の近郊にはドリュアスが宿る大樹がそびえていて、その周辺は一帯が聖域として扱われているが、ドリュアスの意向もあって立ち入りは禁止されていない。むしろ半分近くの区画が自然公園として整備されていて、精霊の民の憩いの場として解放されている。
 というわけで今日、リオ達はこの自然公園を案内するため、美春達を連れてピクニックに訪れていた。朝早くからみんなでお弁当を用意し、歩いて公園の中を散策する。
 ピクニックに参加するのは、家の住人であるリオ、アイシア、ラティーファ、サラ、オーフィア、アルマ、美春、亜紀、真人はもちろん、サラの妹であるベラや、獅子獣人の少年アルスランも一緒だ。
 大勢で仲良く、騒がしく、お喋りをしながらあちこちを歩く。そうしているうちに、あっという間にお昼になってしまった。場所はちょうど泉のほとり、そこで――、

「なあ、なあ。そろそろお昼にしない? 腹が減っちまったよ」
「はは、実は俺も」

 雅人とアルスランの少年二人組が、腹を押さえて空腹を訴えた。

「ふふ、二人とも人一倍あちこち走り回っていたもんね」

 と、美春は微笑ましそうに言う。

「眺めもいいですし、ここの泉でお昼にしましょうか」

 サラは口許をほころばせ、やれやれと提案する。

「じゃあ、早速、準備しようか!」

 オーフィアもにこやかに言った。そうして、お昼の準備が行われることになる。

「時空の蔵に温かいスープも入っているから、欲しい人は言ってください」

 と、リオはレジャーシート代わりの布を敷きながら、みんなに告げた。

「おいおい、ハルト兄ちゃん。ピクニックってのは冷めた弁当を食うのがうまいんだぜ」
「だな」

 雅人とアルスランはふふんと得意げに言う。だが――、

「あ、私、欲しいです」

 亜紀はあっさりと手を挙げる。

「え、ええ? わ、わかってねえなあ、亜紀姉ちゃん」

 雅人はやれやれと首を横に振った。

「私も欲しい! 頼んだアレでしょ、お兄ちゃん?」

 ラティーファは元気よく手を挙げて、リオに訊く。

「ああ、そうだよ」

 リオは優しく笑って頷いた。

「はいはい、私も欲しいです!」

 と、ベラ。それから、美春やサラ達も手を挙げて、残ったのは雅人とアルスランだけになった。

「あんた達は手を挙げなくていいの?」

 亜紀はフッと笑って尋ねる。

「あ、ああ。まあな」

 雅人とアルスランは強がって頷いた。すると、リオが呪文を詠唱し、時空の蔵からスープが入った鍋を取り出す。

「やった! おにいちゃんのスープパスタだ!! ありがとう!!」

 ラティーファはお願いした通りの品が出てきて嬉しいのか、ご機嫌に喜ぶ。鍋の中には野菜たっぷりの熱々のスープが入っていて、奥にはパスタが沈んでいた。

「え、何それ美味そう?」

 雅人とアルスランは堪らず実物に目を奪われる。

「じゃあ、人数分をよそうよ」

 リオはそう言って、一緒に出したお椀にスープをよそっていく。他に色々と主品やおかずがあるので、パスタの量は少なめだ。

「はい、アイシアお姉ちゃん。これで人数分が揃ったかな? さ、食べよう!」

 ラティーファはリオからスープが入ったお椀を受け取ってアイシアに手渡すと、雅人とアルスラン以外にスープパスタが行き渡ったことを確認する。シートの上にも所狭しとお弁当が並べられていて、準備は完璧だ。あとは食べるだけ、と思いきや――、

「ま、待った! 俺にもスープパスタをくれ!」
「パスタを大盛りでな!」

 雅人とアルスランが待ったをかけた。やはり温かい汁物の誘惑には逆らえなかったらしい。

「了解」

 リオはくすりと笑って、二人にもスープパスタを装ってやることにした。そうして、雅人とアルスランにもスープパスタが行き渡ると、いよいよ実食となる。

「美味しい!」

 皆、最初は好きな品に手を手をつけると、次々と感想を口にした。これは誰が作ったとか、どうやって作ったのとか、初めて見る品もあったりして、時には解説を受けながら、姦しくお喋りが繰り広げられる。

「美味えなあ」
「ああ」

 食べ盛りの雅人とアルスランは夢中になって空腹を満たしていた。口数は少ないが、表情は嬉しそうに緩んでいる。一方――、

「ねえねえ、お兄ちゃん、お兄ちゃん。この唐揚げは、私と美春お姉ちゃんが作ったんだよ。はい、あーん」

 ラティーファはリオの右隣に陣取って、あーんを試みていた。

「自分で食べられるよ」

 リオは照れ臭くて、そんなことを言う。

「えー、じゃあ一回だけ! はい、あーん!」

 ラティーファはそう言って、今一度あーんを試みる。

「わかったよ」

 リオは苦笑すると、仕方がなくラティーファの差し出した唐揚げを頬張る。このままだと一度食べるまではずっとあーんを要求してきそうだったから。

「えへへ、美味しい?」

 ラティーファは屈託のない笑みを浮かべて、リオに唐揚げの感想を求めた。

「ああ、美味しいよ」

 と、リオは微笑して言う。

「えへへ、やった! じゃあ、今度はお兄ちゃんが私に食べさせて? はい、あーん」

 ラティーファは幸せそうに表情を弛緩させると、リオに向かって小さく口を開く。

「え、ええ? 一回だろ?」

 と、リオは気恥ずかしそうに言う。

「私がお兄ちゃんにあーんして、お兄ちゃんが私にあーんするんだよ! 一回ずつ、ぞれでおしまい!」

 ラティーファは無邪気に笑って、そう言った。すると――、

「……ラティーファ、いくら兄弟で仲がいいとはいえ、少しは人目を憚りなさい。見ているこっちが恥ずかしくなるじゃないですか。リオさんも困っていますよ」

 サラが頬を赤くして、苦言を呈する。気がつけば、サラだけでなく、他の面々も頬を紅潮させて、二人のやりとりを眺めていた。

「えー、なんでサラお姉ちゃんが恥ずかしいの?」

 と、ラティーファ。

「あ、あーんとか、か、間接キスじゃないですか。そういうのは恋人同士でするものです」

 サラは上ずった声で、ダメな理由を説明する。

「じゃあお兄ちゃんと恋人になる! はい、あーん!」

 ラティーファはピクニックで気分が高揚しているのか、だいぶ大胆なことを言って今一度、口を開けた。

「ラティーファ、サラさんもそう言っているだろ? ほら、こっちのきんぴらは俺が作ったんだ。美味しいか食べてみてくれないか?」

 リオはバツが悪そうに笑うと、自分が作ったきんぴらをラティーファと自分の取り皿によそおうとする。

「むう……、はーい、わかりました。じゃあ、食べてみる!」

 ラティーファは素直に引き下がると、気持ちを入れ替えてリオによそってもらうのを待った。リオを過度に困らせるのは駄目、絶対なのだ。

「了解。よし、食べよう。……うん、美味くできた、かな」

 リオはそれで胸をなでおろし、ラティーファにきんぴらをよそった取り皿を渡す。そして自分によそったきんぴらに口をつけると、上手にできていることに満足して頷いた。
 だが、その一方で――、

「…………」

 リオの左隣に座るアイシアが、手にした箸のやり場を密かになくしていた。ラティーファとのやりとりを見て、自分もリオに手作りのおかずを食べてもらおうと考えていたのだ。

(ん……?)

 リオは続けてきんぴらを食べようと箸で掴んだが、ふとアイシアが箸を持ったまま停止していることに気づく。アイシアの視線はじっとリオに向けられていた。

(もしかして……)

 と、リオの脳裏に一つの可能性が浮かぶ。

「……それは、アイシアが作ったの?」

 リオは一瞬の葛藤の後、恐る恐るアイシアに尋ねた。気づいてしまったからには、見て見ぬふりをすることなどできない。アイシアがどこか残念そうな顔をしている気がしたから。

「うん。食べる?」

 アイシアはこくりと頷くと、おかずを掴んだ箸をリオに差し出した。すると――、

「むっ……」

ラティーファを始め、その場にいた面々の注目が再びリオに集まる。

「…………ありがとう。もらうよ」

 リオは激しく逡巡すると、おずおずと頷く。純真無垢なアイシアの瞳を見て、断ることなどできなかった。

「はい……、美味しい?」

 リオがアイシアの箸を口に含むと、アイシアは小首を傾げて訊く。

「ああ、美味しいよ」

 リオは苦笑して感想を口にした。実際、美味しい。不味いはずがない。ただ、周囲から窺うような視線を向けられている状況は少しばかり気まずかった。

「むう……」

 ラティーファは小さく唇を尖らせて、羨ましそうにリオとアイシアのやりとりを眺めている。だが、リオがきんぴらを箸で掴んだままでいるのを発見すると――、

「はむ!」

 ぱくりと、素早く噛みついた。

「あ、こら、ラティーファ!」

 サラは慌ててラティーファを注意する。だが、もう遅い。

「えへへ、美味しいよ~!」

 ラティーファは両手を頬に添えて、リオのきんぴらをもぐもぐと幸せそうに咀嚼していた。