奇声蟲の所業 - The crime of noise -


ひびきは、ノイエンとフェニタを地面へおろすためにしゃがませたミリアルデを、立ち上がらせると、ゆっくりと2人と同じ方向へ進ませた。今回の出来事は、アーカイアについての重要な要素で、自分も知っておかなくてはならないと思ったからだ。
木とは言ってもそれほど立派なものではなく、生え方はまばらで、奏甲で進むのに障害となるほど太くしっかりした枝もない。一本目の木をやり過ごすと、次の木の根元で、ノイエンとフェニタの2人がしゃがみこみ、なにかを観察していた。彼女たちが調べているのは、中途半端に肉が残った、服を着た骸骨にみえる。その腹に当たる部分は衣類が破れ、その布地も黒く染まってみえた。ホラー映画の残虐な場面に比べれば、時間がって風化の波にさらされた人の遺体は、恐れるほどの気味悪さはない。それでも人の死体だという事実が、ひびきから言葉を奪っていた。ほぼ骸骨の形になっている頭部から長髪が広がっていて、眼球がなくなった空ろな眼窩が空を見上げている。
ノイエンもフェニタも、遺体には触れてはいない。ひびきは奏甲の集音機能で2人の声に意識を向けた。
ノイエンの断定が聞こえた。
「服の状態からも、明らかですね。腹部が裂けていて、黒いのは血が風化したものです。」
ノイエンの口調は丁寧になっている。歌姫として振舞っているということだ。
「そうでしょう。そしてまだ退治されていないのです。遺体の風化から考えますと、そろそろ人が対抗するのは難しくなってきているかと。」
フェニタが現実の予想を述べた。
「そうですね。
1人で、こんな人気がないところで襲われないでしょうから、街道を旅していてさらわれたといったところでしょう。
武器らしきものも見当たらないし、自ら命を絶ったようでもなさそう。気がついたら森の中で、奇声蟲に卵を埋め込まれたことも知らないまま動けなくなって、死ぬことになったのでしょう。かわいそうに。」
ひびきは、ファンタジー映画でさらわれたヒロインが、さらったドラゴンに運ばれてくるシーンと、ポザネオ島で戦った奇声蟲を合成した場面を思わず思い浮かべた。物語では力強い助けが来るのが当然だが、この人には助けはなかったのだ。
下ではノイエンが、そばまで来たミリアルデ・ブリッツを見上げて心配げな表情をしたが、すぐにフェニタとの会話に戻った。
「奇声蟲が孵る前に、食料を見つけられずに衰弱して命を落としたほうが、ましだったかもしれません。お腹が大きくなるまでの気が付かない間、森を生きて抜け出そうと、食べ繋いで森をさまよい、彼女は生きようとしていたと思われます。」
「そうかもしれません。
お腹が大きくなって動けなくなってからは、絶望の中で餓死する時間も残されないのですね。」
ひびきは、ノイエンの『おなかが大きくなって』という言葉から妊娠を連想した。それは未知を理解しようとするとき、知っている情報で置き換えてみるという、人が理解をするさいの方法としては自然なことではある。ただその連想は、望まない相手との、望まない行為から、腹が大きくなり、その末に命を落とすという救いのないビジョンを、ひびきの脳裏に浮かび上がらせた。ひびきは、さらに気分が悪くなることを思いついてしまい、めまいを覚えた。
奇声蟲が植え付けるのは、本当に卵なのだろうか?
白銀の歌姫が言っていたことが本当なら、奇声蟲はアーカイアに召喚された機奏英雄の成れの果てだ。そして機奏英雄のほとんどは「男」なのである。
ひびきは、白銀の歌姫の主張が正しく思えてきた。この世界は、人間が健やかに生きていける世界ではない。その原因は幻糸なのだ。白銀の歌姫は解決策を世界に示したわけではない。それでも正しいと思えることを言っている人物だと考えれば、やはり会って話したい。
この事件が片付いたら、ヴァッサァマインへ向かおう。
隠者の洞窟以来、目標があいまいになっていたひびきの中で、あらためて心が固まっていた。
ひびきがその結論に達するまでの思いをめぐらしている間、ノイエンは遺体を調べ、フェニタは周囲を警戒していた。
ノイエンは、調べ終わったのか立ち上がるとミリアルデを見上げて言った。
「ひびき、織り歌を歌うから、手伝って。私が歌い始めたら10かぞえて、奏甲で周囲を見回して観察して。」
ノイエンは両手を胸の前で握り合わせて、歌い始めた。ひびきは織り歌の名を知る由もなかったが、それは「大地の調べ」という織り歌で、幻糸の乱れを探知しようとする歌術であった。
ひびきは10かぞえてから、奏甲の視界に意識を集中した。戦闘起動してはいないものの、ノイエンの意識がケーブルによって自分と同調しているのが感じられる。彼女の意識をそばに感じつつ、ミリアルデの視界で周囲をゆっくり見回してみた。
『うーん、今日とかは、奇声蟲がいた形跡はないね。だけど、やっぱり不自然な獣道は、奇声蟲がつけたものだね。いまフェニタが調べているあたり、幻糸の乱れの跡の、さらに跡ってくらいの、ほんとにちょっとだけの揺らぎがある。』
耳にはノイエンの歌が聞こえていたが、意識にはノイエンの言葉が届いた。ひびきは、フェニタが地面を調べているあたりに、ミリアルデの視線を戻したが、視界に異常な部分は発見できない。歌術を使っているのは、ノイエンだから、彼女にしか見えないのだと思う。
ノイエンは歌を終えた。ひびきはノイエンの声を、ふたたび耳で聞いた。
「この人を弔ってから、その獣道をたどってみよう。奏甲で、ちょっと穴を掘ってくれないかな、ひびき。」
ひびきはミリアルデに剣を抜かせ、剣の先で土を寄せ始めた。ノイエンの指示に沿って、長方形をまず描き、その内側に人が収まる深さのくぼみが掘られるのに、たいした時間はかからなかった。
ひびきは手伝うといったが、遺体の埋葬はノイエンとフェニタだけで行った。死者はアーカイア人であり、しきたりや礼儀もあるからと言うのが、ノイエンの言い分である。遺体は焼かれもせず、そのまま埋める土葬であった。
土を盛った簡素な墓の上を、ノイエンが歌う葬送が、静かに覆った。


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