このSSはネタバレを含みます。
必ず「インフィニット・デンドログラム」第15巻を読んだ後にお読みください。





 □■彼について

 彼の創作のポリシーは、少しエコではなかった。
 パソコンの電源は落とさない。
 パスワードさえ設定していない。
 キーボードを一つ叩けば起動し、開いたままのワードプロセッサーソフトが現れる。
 それは、いつでも文章を叩くための環境設定。
 文章を打つ機会を逃さないための下準備。
 そうするのは、言葉がいつ自分の中で再構成されるか分からないからだ。
 自分が視て、溜め込んだものが、文章となって出力される機会を自分でも把握しきれない。
 無論、書こうと思った話を書くことはできる。
 だが、それらは種類が違う。
 時折、自らの内から浮かび上がるものこそが素晴らしいと、彼は知っている。
 彼が視てきた材料が、彼の中で彼のフォーマットに組み上がったものだから。
 それらは、いずれ書くべき物語の一部として彼のパソコンに、あるいは手元のメモ帳に収まっていく。
 場面か、台詞か、登場人物か、あるいは地の文より読者に投げかける言葉なのか。
 それらが区別なく彼の中から沸き上がって、記録されていく。

 それはゼロから生じるものではない。
 だから、彼は今日も多くを見て、多くを考え、そのときを待つ。
 創作のため、彼は視たいものを視て、体感したいことを体感する。
 ゲームハードを通し、地球リアルと限りなく近い異界……〈Infinite Dendrogram〉へと旅立ちながら……。

 ◇◆◇

 □■カルディナ・二十六番オアシス村落

 それは商業国家連合であるカルディナの中でも、辺境と言える地域だった。
 カルディナの都市は首都であるドラグノマドを除き、砂漠に点在するオアシスを中心に発展する。
 賭博都市ヘルマイネや商業都市コルタナなど、オアシスに沿って人と富が集まるのだ。
 だが、全てのオアシスが都市として発展する訳ではない。
 主要都市や他国との商業ルートから外れたオアシスの発展は、当然ながら遅れる。
 人も物も集まらず、オアシスに沿って細々とした生活を送る村も多い。
 開拓や発展を夢見るも、人が定着しない。
 住民と共に村の名前さえも薄れて消えるので、公的には番号で済まされる。
 この二十六番村落もそんな村の一つだった。
 セーブポイントがなく、さらに資源やリソース的に価値あるモンスターの生息地も遠いため、〈マスター〉の増加による発展からも取り残されている。
 ただ、そんな村にも宿や食堂の一つはある。
 カルディナ自体が交易の国。足りぬものを行き来させることで生きてきた国。
 ゆえに、どんな村にも宿をはじめとする最低限の旅人用の施設は用意されている。
 この二十六番村落にも宿と食堂が一体化した施設があり……今、施設一階の食堂には珍しく旅人の姿があった。
「…………」
 その旅人は奇妙な風体だった。
 夜空模様のコートを着込み、なぜか両の瞼を閉じて、それでいて手元のメモ帳を忙しなく動かしている。
「……じーっ」
 そんな奇妙な旅人を、宿屋の一人娘であるシータはカウンターの陰から不思議そうに見つめていた。
 不思議なのはコートではない。カルディナの昼は灼熱だが、太陽光を避けるためのコートは必要だ。内側に冷却用のマジックアイテムでも身に着けていれば熱中症の心配もない。
 不思議なのは両の瞼を閉じていることではない。長旅で疲れて食事中に眠ってしまうお客さんも珍しくない。
 不思議なのは、目を閉じているのに手元で何かを書きつけていることだ。
(かきまちがえたりしないのかな?)
 まだ十歳にもならないシータは、文字の読み書きが満足にできない。
 だから、手元も見ずにあんなに速く書いている旅人が不思議だった。
「……。何か御用ですか、お嬢さん?」
 不意に旅人が手を止めて、片目を開けてシータを見た。
「ご、ごめんなさい」
「いえ、こちらこそ驚かせたようですみません。ただ、ずっとこちらを見ていたようなので気になったのですよ」
 シータは『目を閉じていたのに何でわかったんだろう』と、また不思議に思った。
「お兄さん、おめめ、いくつあるの?」
 シータは、旅人がたまに通りがかる彼女とは違う形の人々……レジェンダリアの部族のような存在なのかと思った。
 目を閉じているように見えても、実は他の場所にも目があって周りを見ているんじゃないか、と。
「目? ああ、そうですね……。一〇二個・・・・でしょうか」
「そんなに⁉」
 シータは驚いて、両手で口元を覆ってしまう。
「と言っても、私の顏についているのは二つだけですけどね」
「そうなんだぁ……」
 旅人の服の内側に目が沢山あるのを想像して、シータは『世の中にはいろんな人がいるんだなぁ……』と感心していた。
「お兄さんはどこから来た人なの? お名前は? お仕事は何をしてるの?」
 シータはこの変わった旅人のことが気になって、お客さんだというのに沢山質問をしてしまう。
「私は王国からこちらに来ました」
 旅人の方もそれを嫌がる様子はなく、『こういった経験も貴重だな』とでも考えていそうな顔で応えた。
「名前はエフ。【高位書記】をしています」
 少しだけ、秘密を含む答えで。

 ◇◆

 シータに告げた【高位書記】は、こちらでの彼の本業メインジョブではない。
 彼の正体は【光王】エフ。
 アルター王国屈指のPKであり、皇国では指名手配すら受けている男である。

 彼の犯行動機は、十割が好奇心。
 リアルで作家業をしているため、その取材として様々な事件を起こし、あるいは起きている事件に更なる演出を加え、その有り様を観察して書き留める。
 被害の規模はともかく、性質の悪さで言えば〈マスター〉でも屈指の輩だった。
 そんな彼だが、つい先日、その好奇心が仇となった。
 王国のギデオンでとある事件を演出した際、直接言葉を交わした上で倒したいと思った〈マスター〉がおり……結果としてその〈マスター〉に敗れてデスペナルティとなった。
 幸か不幸か王国での指名手配には至らなかったが、事件の関係者にエフの名前が知られてしまった。
 しかも、なぜか事件とあまり関係ないはずの【女教皇】と、彼女が率いる王国トップクランが彼を捜している。
 どうしてそんなことになっているのかを、彼は知らない。
 だが、簡単に言えばエフの演出した事件で発生した被害の責任を負わされ、【女教皇】が借金を背負わされたためである。
 それゆえ、本当は自分を倒した〈マスター〉がいる王国で活動していたかったエフだが、ほとぼりが冷めるまで……【女教皇】扶桑月夜が落ち着くまでカルディナの方で活動しているのである。

 活動といっても、犯罪行為ではなく、観光旅行のようなものだ。
 カルディナでも西方に近く、あまり人が回らない土地を巡り、レアなシチュエーションに遭遇しないかとブラブラしている。
 カルディナは基本的に晴天であるため、光を要する彼の〈エンブリオ〉――ゾディアックのチャージに事欠くこともない。
 日に一度は飛行型の召喚スキルである《戴魚パイシーズ》で長距離移動もできる。
 デスペナ復帰から内部時間でそれなりに経つが、気ままな旅を続けていた。
 もっとも、デスペナ直前の事件ほどに見応えのある観察対象もなかったが……。

 自分から話しかけてきた少女については、取材として対応する価値があると見た。

 ◇◆

 シータと話す内に他国のことを聞かせてほしいと乞われ、エフは手元のメモ帳に簡単な絵を描き、あるいは資料写真を見せつつ、シータに語って聞かせていた。
「……というように、王国の西にあるキオーラでは船に乗って海釣りができるんですよ」
「えぇ! 絵本だと海ってすっごくこわいところだって書いてあったけど……!」
 シータは驚くが、彼女の考えも当然だ。
 この〈Infinite Dendrogram〉の海とは、恐ろしい魔境。
 超大型のモンスターが生息し、探査も難しい水中から奇襲をかけてくる危険地帯である。
「ええ。それはもちろん。怖いところでもあります。ですが、人は困難な環境でも克服できる生き物ですからね。グランバロアなど、国自体が海の上です」
 エフはアイテムボックスからグランバロアの写真を取り出して見せながら、そう語った。
「わぁ……」
 この小さな村の外を知らない少女にとって、その写真は見たことのない世界だった。
 目を輝かせて、夢中になって見ている。
「他には! どんなところがあったの?」
「こちらは皇国の〈厳冬山脈〉です。一年中、ずっと雪が積もっている山々で……」
「知ってる! チリュウがたくさんいてアブないんだって!」
「ええ。その通りです」
 このカルディナが砂漠化した原因の大半は、かつての地竜との戦いによるものだ。
 それゆえ、カルディナの民はあまり砂漠の北方……〈厳冬山脈〉に近いエリアには近づかない。山脈の地竜の危険さと共に、子供の頃から教え込まれる。
 例外は、カルディナ最北の都市であるウィンターオーブくらいだという。
「ねえねえ! レジェンダリアは行ったことある?」
「実は私の妹がレジェンダリアに住んでいて……」
 シータは話す内に客と宿屋の娘という垣根を忘れて、笑顔で話をせがむ。
 エフはそんな彼女と笑顔で話しながら、

 ――物語・・なら死にそうな子だな、と思った。

 失礼どころではない感想だが、いわゆるお約束テンプレの一つだ。
 小さな村でひたむきに頑張り、将来を夢見る少女。
 旅人と交流するが、悲劇的な事件に遭遇して死亡する。
 その状況に旅人……主人公が居合わせ、義憤と共に悲劇の原因を打倒するのだ。
 あるいは死ぬ前に助けられることもあるが、要するにエフが抱いた印象は『被害者みたいな子』である。
 なぜこんなことを考えるのかといえば、主人公たりうる観察対象がいれば……恐らくはエフが・・・事件を演出しているからである。
 死人は出なかったが、以前もモンスターを光で誘引して事件を起こしたことがある。
(……あのときはルーキーの三人組が頑張っていたな)
 〈童話分隊〉というパーティだった。中々に尖った〈マスター〉の集まりであり、見ていて面白く、……エスカレートして自身の召喚モンスターの一体をけしかけるに至った。
 最終的にルーキーの一人が自爆して召喚モンスターを葬る展開となり、エフは想像以上のモノが見れたので大満足だった。
 エフはそういう真似をしでかす性質の悪い人間であるし、自分でも性質の悪さを自覚している。
 だが、この村では何もする気はない。
 事件を起こしても、その事件の中でエフが観察すべき対象がいないためだ。
 義憤に駆られて悲劇に抗う人間が不在ならば、悲劇の物語を演出する意味もない。
(ここに彼がいれば話は別ですが……)
 自分を負かした〈マスター〉がここにいれば、嬉々として事件を演出していただろう。
 彼ならば、間違いなくそういったシチュエーションで映えるはずだ、と。
 きっとエフの想像以上の展開を見せてくれると、信じている・・・・・

 このようにエフという人間は性質が悪いが、今このときは性質の悪さも鳴りを潜め、少女に各地の情景を語り聞かせる親切な旅人の役に甘んじていた。
 それはそれでいい。
 自分の話す物語で喜ぶ子供の顏も、彼にとっては良い取材である。

 ◇◆

 シータと話し込むうちに、既に村の周囲は日が暮れていた。
「お客さん! そろそろ夕食にしますか!」
 宿屋の主人であるシータの父親が厨房から顔を出して、エフにそう呼びかける。
 本日、この宿屋の客はエフ一人である。
 シータをエフと話させていたのも、手伝いも何もなかったからだ。
 娘が外の話を聞くのが好きだと知っているから、エフの親切――のような何か――に甘えて、相手をしてもらっていたのだ。
「ええ、お願いします」
「あ! わたし、おのみもの、もってくるね!」
 シータはそう言って席を離れた。
「すみませんね、ずっと相手してもらって」
「いえ、私としても有意義な時間でした」
「そうですかい? それならいいんですがね」
「もってきたよー!」
 シータがコップと水差しを持ってくると、すぐに料理も並び、エフは夕食に舌鼓を打った。
 飲み物は水ではなく、柑橘類を炭酸水で割ったカルディナ特有のジュースだった。
「これは美味しいですね」
「そうでしょ!」
 ジュースを飲みながらそう言ったエフに、シータが笑顔で同意する。
 エフはリアルでは炭酸を飲むとしゃっくりが出る体質だが、アバターにその体質は引き継がれていなかったらしく、素直に味わうことができた。
(体質や身長、体型、性別、それに……味覚による差異も良い取材になりそうなのだが)
 アバターの変更ができない〈Infinite Dendrogram〉であるため、その取材は難しい。
 だから、今はこのアバターで体験できることを体験し、それをリアルの創作に活かそうとエフは考えた。

 ◇◆

「お客さん、ここからどこに行くんですか?」
 村や宿の規模を考えれば十二分に美味だった食事を完食した後、エフは宿屋の主人から話しかけられた。
「そうですね。そろそろ王国に戻ろうかと思っています」
 エフが帰還する理由は、数日後に王国と皇国の講和会議が開かれるという情報が入ったからだ。
 事件やレアケースの気配が濃厚であり、エフとしても見逃すわけにはいかない。
 このあたりは主要な交易ルートからは外れているが、《戴魚》で飛べば王国東方の都市アジャニに通じるルートまで辿り着ける。
 アジャニに到着すれば、王国の運搬クラン……〈ウェルキン・アライアンス〉に大金を払い、講和会議の会場近くの村落まで移動することも可能だろう。
「明日の早朝にはここを発つことになるでしょう」
「そうなんですか」
「えー!」
 エフの言葉への反応は、父と娘でまるで違った。
 父は最初から『見るべきもののないこの村に長居するはずもない』と考えていたが、娘はこの物知りな旅人にもっと話を聞きたいと思っていたのだ。
「もっといてもいいのに……」
「すみません。そういう予定なので」
「んぅ……」
 シータは残念そうな顔だが、それで予定を曲げるエフでもない。
 ただ、取材のために、その曇り顔を明るくしようとは思った。
「……そうですね。それではもう一つお話と、ちょっとした手品でも」
「手品?」
「ええ」
 エフはシータに微笑み、次いで彼女の父に話しかける。
「すみません、灯りを落としていただけますか?」
「ええ、構いませんが……」
 他に客もいないので、彼はエフの要望を聞いて食堂の灯りを落とす。
 室内が外と同じく夜の暗さに包まれて……。

 ――灯りの消えた室内に光が浮かぶ。

 天井や壁に無数の光点となって浮かび上がり……室内に夜空が作られた。
 それはエフが光魔法を応用して行っていること。プラネタリウムの真似事である。
 浮かぶ夜空も〈Infinite Dendrogram〉のものではなく、地球……それも彼の住む地域のものだ。
「わぁあ……!」
 未知の夜空にシータの顔が明るくなり、父親も驚いた様子だった。
「さて、これは私の故郷に伝わる星空のお話です」
 彼が語るのはオーソドックスな星の物語『牛郎織女』、またの名を『織姫と彦星』。
 エフはプラネタリウムの天の川の傍に織姫と彦星を模したデフォルメの立体映像を浮かべ、映像を動かしながら子供向けの言葉で物語を語る。
 プラネタリウムもアニメーションも見たことがないシータは、夢中になって物語に入り込んだ。
 それを見て、エフも満足だった。
 未知を見て驚き、楽しむ子供の顏というのも……取材対象としては悪くなかったから。
 この話が少女の未来に影響を与え、少女が何事かを為すならば……それもそれで面白い物語になるだろう。
 『もっとも、自分がそれを観測することはない』ともエフは考えていた。
 だが……未来の物語のタネをまくことは、少し楽しくもあったのだ。

 ◇◆

 シータに織姫と彦星を語り終えた後、エフは自室に戻って就寝することにした。
 エフの部屋のベッドについて、シータは『わたしがベッドメイクしたの!』と自慢げだった。実際、毛布とシーツは丁寧に整えられている。寝心地も田舎の宿としては悪くない。
「さて、寝ましょうか」
 ログアウトしても良かったが、こうした宿で眠ることも彼にとっては取材だった。
 両の瞼を閉じ、ゾディアックとの視覚連携も切って眠りにつく。
 明日からは大移動だ。
 既に〈月世の会〉の動きも講和会議にシフトし、エフの捜索も打ち切られていると聞く。
 王国に舞い戻り、新たな大事件を観察して、干渉する。
 まるで遠足を楽しみにする子供のように、これからを夢見てエフは微睡んだ。

 半ば夢の中にあった彼の意識を覚醒させたのは、「カサリ」という小さな物音だった。

「…………」
 紙が落ちるような小さな音。
 彼は瞼を閉じたまま、光学迷彩状態のゾディアックとの視覚連携をオンにする。
 繋がった視界の中、彼の部屋のテーブルの上には一枚の紙が置かれている。
「……ふむ」
 眠ってはいたが、備えはしていた。ゾディアックの数基が赤外線センサーのように、侵入者を探知する仕組みになっていたはずである。
 しかし、その上で何者かがこの部屋に侵入し……置手紙だけを残して去ったのだ。
 エフはベッドから起き上がり、ゾディアックを灯りに手紙を読む。

『話がしたい』
『指定のポイントまで来られたし』
『この宿の娘を預かっている』

 その文面を読み進めるうちに、エフの目は露骨に白けていた。
「なんとも、古典的な……」
 独創性の欠片もない脅迫文にため息が出そうになる。
 こんな露骨な話が、今どきあるものだろうか。
 ……〈Infinite Dendrogram〉なら、あるかもしれない。〈ゴゥズメイズ山賊団〉などという露骨な悪党がのさばっていたのだから。
「それに、あの子を人質に? ……私への人質にあの子を?」
 昼から監視されていたならば、シータと仲良く話していたために人質の価値があると考えられたのだろうか。
(無視して旅立つか。彼女が自分にとって有効な人質であると判断したのならば、それは観察力が……いや?)
 だが、エフは思い直す。
 自分と少女の関係など、何でもいいのだ。
 宿の中でシータが姿を消したのならば……第一容疑者・・・・・は宿泊者のエフである。
(彼女が殺され、自分が姿を消していれば……犯人と目されるだろう。《真偽判定》を突破しての冤罪も、やれなくはない。国際指名手配などされては、運搬クランの利用を含めた予定が崩れる)
 先日も、ギデオンで【破壊王】が濡れ衣によって拘留されていたという。
 そして残っていたとしても……怪しまれて長時間拘束されることは避けられまい。
 そちらでもやはり、スケジュールが崩れる。
「……はぁ」
 少女を助けるか、真犯人を差し出すか。どちらかをしなければ自分は講和会議の見物に出向けないらしいと……エフは悟った。
「仕方ない」
 衣服を着替え、夜空模様のコートを羽織る。
 一階に降りながら、ゾディアックで宿屋夫婦の寝室を探ると……薬か何かで眠らされているようだった。
 エフは、面倒がなくていいと判断した。
「……ああ」
 宿を出るとき、エフは不意に……日中に考えていた『お約束』を思い出した。
か」
 どうやら今回は、自分が『主人公』の立場に追いやられたらしいと……悟ってしまった。

 ◇◆

 □■〈ヴァレイラ大砂漠〉

 エフが指定されたポイント……村から十数キロ離れた砂漠の一点に辿り着くと、そこには露骨なほどに分かりやすい者達が待っていた。
 ファンタジーの世界観だというのに、帽子を被ってトレンチコートを着た男が三人、並んで立っていたのだ。
「お待ちしておりました。【光王】エフ」
 三人の中で中央に立っていた男が、エフに話しかけてくる。
「一応聞いておきましょうか。あの子は無事ですか?」
 内心で『我ながらテンプレ台詞すぎて嫌気が差す』と思いながらも、エフは尋ねた。
「ええ、あちらの砂丘の陰に寝かせています」
「なるほど。それは良かった」
 ゾディアックの一基を確認に向かわせると、言葉通りにシータは寝かされていた。
 誰かのおさがりなのか、まだサイズが合っていないダボッとした寝間着でスヤスヤと眠っている。
 外傷はないようだった。毒の類も……睡眠薬程度しか盛られていないだろう。
 既に死んでいるパターンも想定はしていたので、これは良い方ではある。
 このまま連れ帰って寝かせれば、両親も眠らされているので事件があったことも気づかれないだろう。それが一番スムーズだ。
「それで? 話がしたいということでしたが?」
「単刀直入に申し上げます。我らが主、ラ・クリマ様は、アナタを〈IF〉のサポートメンバーとして迎えたいそうです」
「……ほぅ?」
 その言葉に、エフはこの場に来てようやく興味を惹かれた。
 〈IF〉。その名は〈マスター〉、ティアンを問わずに知られ、畏れられている。
 指名手配された〈超級〉のみが集う最凶の犯罪クランだ、と。
 【犯罪王】ゼクス・ヴュルフェルを筆頭に、【殺人姫】エミリー・キリングストンや【器神】ラスカル・ザ・ブラックオニキス、そして男が名を挙げた【魂売】ラ・クリマなど、錚々たる者達が名を連ねている。
 エフとしても、機会があれば取材のため観察したいと思っていた。
 そんな犯罪者達が……エフをスカウトしに来たのだ。
「サポートメンバーというのは?」
「〈IF〉は指名手配者のクランですが、メインメンバーは〈超級〉に限られます。ですが〈超級〉以外でも、実力があり、指名手配された〈マスター〉やティアンならば、サポートメンバーとしてスカウトしているのです。我々もまた、サポートメンバーです」
「ふむ」
 エフは顔と名前こそ知られてはいないが、皇国では【光王】名義で指名手配されている。
 そういった事情もあり、彼らにとってはスカウト対象なのだろう。
(ギデオンの事件で、顔と名前が彼らに渡った結果か)
 今のタイミングでスカウトに来た理由も、それで察しがついた。
 〈DIN〉で確認する限り、まだ表ルートには出回っていないはずだったが……エフも知らない裏ルートがあることも想像はつく。
「スカウトを受けて私に何かメリットでも?」
「まず、国際指名手配犯になりません」
(……初手で脅迫、と)
 暗に『シータを殺して罪を着せる準備はできている』という発言。
 あるいは、他にも準備があるのかもしれない。
 エフは表情こそ笑顔から変えなかったが、面白くはなかった。
 口調は丁寧だが、眼前の男が自分を舐めていることを察したからだ。
 もっともそれは……エフも同じだったが。
「また、資金面でのバックアップもお約束します。〈IF〉の財源は豊富ですからね」
「それはそれは」
「加えて、アナタも仲間が増えた方が事件を起こしやすいでしょう? アナタの目的にも協力いたしますよ」
「たしかにたしかに」
 男の言うメリットは、たしかにエフとしても旨味はある。
 他にも、名の知れた一大犯罪クランへの誘いであり、未だ見ぬ〈超級〉との接触や、〈超級〉同士の戦闘の観戦の機会も増えるだろう。
 それは希少な体験で、取材としては申し分ないことだ。
 そして彼らが考えもしないメリットもある。
 噂では彼らが名を出したラ・クリマは、〈エンブリオ〉の力で人体を改造できるらしい。
 ならば、夕食のときに考えた『体質や身長、体型による差異』までも、エフは己の身で体験し、取材できるかもしれない。
 それらは間違いなく、エフにとっては大きなメリットだ。
 ……が。

「それでは、お受けいただけますね」
「お断りです」
 ――エフにとっては前提条件から論外である。

「……………………何?」
 男の表情が、歪む。
「私は視たいものを視て、体感したいことを体感します。何分、マイペースなもので」
「ふざけているのか?」
 エフの発言に、男は口調を変えて苛立ちを露わにする。
「いいえ、私のポリシーです。何より……」
 エフは口元に微笑を浮かべたまま、片目を開ける。
 その目に――笑みの気配はない。
「少女を攫われて、『罪を被せる』と脅迫されて、『従えば良い思いもできるぞ』と唆され……主人公・・・が『良いですね! わかりました!』と頷く」
 エフはスッと表情から笑みを消して、

「――そんな駄作の演出は御免ですよ」
 ――彼が最も許せなかった点を告げた。

 そんなものはお約束テンプレ以下だ、と吐き捨てる。
 いくらメリットを積まれても、そんな物語を描く気はない。
 そしてこのとき、エフという人間は、彼にしては珍しく……キレ・・ていた。
 『地雷を踏んだ』と言い換えてもいい。
 男達にも、多くの者にも理解できないだろうが、彼らの行動はエフの逆鱗だった。

 一時の沈黙が、夜の砂漠に生じ……。
「……どうやら想像力のない愚物だったようだな」
 男もまた、エフに怒りを向ける。
「然り。こんな者は、スカウトする、必要もない」
「殺し! 罪を被せ! 〝監獄〟へと送り込み! 口封じすべきでしょう!」
 罵声を吐きながら、その体を……服の内側から盛り上がらせる。
 男達は他の生物と人間を混ぜ合わせたような異形へと変じていく。
 姿は……それぞれに異なるが、等しく異形。

『ジョブと名は語らず。あざなピストリークス・イデア』
 エフと話していた男は、鋭い牙を持つ鮫頭の半魚人に。

『【命王キング・オブ・ライフ】、ロドン。サイノプスイモリ・イデア』
 最も背の高かった男が、全身に突起を持つ巨大な二足歩行の両生類に。

『【鏡王キング・オブ・ミラー】ジャンパ・ランヴォール! ポリプス・イデア』
 最も背の低い男が背中から四本の腕を生やし、手足合わせて八肢の軟体動物に。

 それぞれに変じ、誇るように異形をエフに見せつける。
 彼らの左手に、〈エンブリオ〉の紋章はない。
(全員がティアン。超級職が二人、いや鮫頭も……か)
 エフは三人の異形に気圧されることなく、冷静に敵の戦力を探る。
 だが、名乗った超級職はいずれも〈マスター〉の手に渡ったことがない超級職であり、詳細は分からない。
 《看破》も通らないため、鮫頭のジョブも不明。《天秤ライブラ》なら読み取れるだろうが、今それを出す余裕はない。
「……なるほど。噂には聞いていましたが、実在したのですね」
 だが、スキルで見えなくとも、知っていることもある。
改人イデア。〝改造人源エラーソース〟ラ・クリマの配下。〈超級エンブリオ〉イデアの分体を埋め込まれた兵隊達、でしたか」
 このカルディナにおいても、〈IF〉に属する戦力としていくつかの犯罪現場で目撃されている。三人の姿は、噂にあったものとはまるで違っていたが。
『然り。だが兵隊共と違い、我らは特別だ。超級職に至り、ラ・クリマ様の〈超級エンブリオ〉の加護受けし選ばれた改人なのだ』
『ゆえに、高々、準〈超級〉如き』
『相手になると思うなかれぇ!』
 恐るべき正体を晒し、異形の身体に漲る力を発露し、誇る三体の超級職素体改人。
 それぞれが、準〈超級〉……超級職の〈マスター〉を上回るだけの力量を感じさせる。
 そんな猛者達に対し、エフは……。
「――フフッ」

 それは、彼らしくない笑い方だった。
 人前に見せる穏やかな……爽やかさを見せかける微笑ではない。
 直接敵対した〈マスター〉……レイ・スターリングにも見せなかった昏い笑い。
 それは、聞かせても問題ない相手にだけ聞かせる声。
 〈マスター〉には決して聞かせられない音。
 これから死んで、そこで終わる・・・者にのみ向ける笑みだった。
『何が可笑しいッ!』
 エフの嗤いにピストリークスが怒気を漲らせて問う。
「興味深い未知が出てきた、面白さが半分」
 エフは指を一本立て、
「貴方達の台詞の、つまらなさが半分」
 それを、すぐに折り曲げる。
「研鑽を積んだ超級職だけならば、まだ様になるものを……」
 エフは片目に心からの蔑視を込めて、
「借り物を自信満々に見せびらかさないでいただきたい、半人前・・・
 なぜ彼らが嗤うに値する存在なのかを教えた。
 その力の半分はただの借り物に過ぎない。
 それを誇りすぎるから、半人前なのだ、と。
『その言、後悔するがいい……!』
 ククリナイフを取り出したピストリークスの言葉と共に、三体の改人が動く。
 ピストリークスのみが突撃、ポリプスはサイノクスの前に陣取り、サイノクスは不動。

「――《光環コロナ》」
 ――その全てを光が捉える。

 エフが初手で放ったのは【光王】の奥義――全方位光速焼却魔法《光環》。
 シータが攻撃範囲にいないと分かった時点で、奥義使用に躊躇いはない。
 会話の間に魔法の発動準備は整えられ、発動すれば全方位に逃げ場なし。
 三体の改人は光が過ぎ去る一瞬で焼き尽くされ――

 ――なかった・・・・

 光の中を、ピストリークスが突破してくる。
 レーザーを抜けてきた皮膚や鱗には、火傷一つない。
 逆手に構えたククリナイフを、エフの首目掛けて横薙ぎに振るう。
 カウンターとも言えるその一閃は、容易くエフの首を捉えた。

『――その首、貰った』
 ――エフの首が宙を舞う。

 ◇◆

 一瞬の決着。
『何?』
 だが、ピストリークスは戸惑う。
 首を斬ったはずの刃だが、手応えが軽い。
 直後、首を切られたはずのエフの姿が……幻のように消え去った。
 そうして、十数メテルも離れたところにエフが姿を現す。
 エフが消えた場所には……断ち切られたゾディアックが一基落ちていた。
『……猪口才な』
 ピストリークスは斬ったエフと今現れたエフが、立体映像・・・・だと悟る。
 光属性魔法の一種。幻術師系統のスキルと違って音や匂いはなく映像のみだが、咄嗟に相手の狙いを逸らす働きはできた。
 本人は光学迷彩で隠れているのだろう。
 《光環》の発動と並行して、それらを実行していたのだ。
 普通の光属性魔法職ならば奥義と同時に光学迷彩と立体映像を操ることは難しい。
 だが、エフは〈エンブリオ〉であるゾディアックを用いて、複数の光属性魔法を並行使用することができる。
 手数こそ、エフという〈マスター〉の強みである。
(だが、どうやって俺の不意打ちを……あれか)
 ピストリークスは頭上を見上げ、そこにも浮かぶゾディアックを見つける。
(資料にあったな)
 あれが目となって戦場を俯瞰し、ピストリークスの動きをエフに伝えていたのだ。
「!」
 ピストリークスがエフの動きを理解したとき、エフは次の手を打っていた。
 複数のゾディアックからピストリークス目掛けてレーザーが照射された。

 距離、あるいは光学迷彩で自分を隠し、戦場を俯瞰し、ゾディアックで攻撃する。
 それが【光王】エフの常套戦術スタイルである。
 かつてのレイ・スターリングとの戦いでは、その第一条件を自ら欠いていた。
 今回は呼び出されて姿を晒しはしたが、その上で彼のスタイルを貫いている。

『無駄だ』
 しかし……本来のスタイルのエフと相対し、ゾディアックのレーザーの集中砲火を受けても、ピストリークスには傷一つつかない。
『我々に、貴様の魔法は通じん』
 ピストリークスは嗤い、鮫の鼻先を巡らせる。
 まるで、猟犬が獲物を追うかの如く……。

 ◇◆

(……そういう仕組みか)
 エフは複数基のゾディアックによる光学迷彩で姿を隠しながら、戦場を俯瞰する。
 戦場を見渡すがゆえに、相手の手の内はすぐに理解できた。
 あの《光環》やレーザーの集中砲火を受けても、ピストリークスは無傷。
 後方にいたポリプスも、無傷。

 だが、――最後方のサイノクスだけが全身を見る影もなく焼かれていた。

 《光環》の照射に面した体の前半分だけでなく、背中までも満遍なく。
 それこそ、無傷の二人の分までも焼かれたかのように。
(仲間へのダメージ転嫁。……逆か。仲間のダメージを引き受けている。【命王】、《ライフリンク》……に近いスキルがあるな)
 《ライフリンク》はテイムモンスターの運用において、主に全幅の信頼を置くモンスターとHPを共有するスキルである。
 かつてのギデオンの事件では、皇国の【大教授】が悪用していた。
 【命王】であるサイノクスの用いたスキルもそれに近いものだが、仲間の受けたダメージを全て・・自分で引き受けている。
 その上で……。
『む、ムゥ……』
 サイノクスは生きている。
 焼け爛れた表皮が膨らみ、内側から有色の液体を垂れ流しながら破け、内側から真新しく傷のない皮膚が露わになる。
 グロテスクだが、その後のサイノクスには傷一つない。
 完治している。
(これが、改人たる由縁か)
 エフは理解する。
 改人とは、〈超級エンブリオ〉の力で人間とモンスターの素材を融合させたモノ。
 そしてサイノクスは仲間のダメージを引き受ける【命王】を素体に、再生能力の極めて高いモンスターを組み込んでいる。その結果がこれだ。
(巨体は一種のHP増設。その上でダメージを引き受け、高速自己再生でダメージを修復する。あるいは、皮下に大量の回復薬も仕込んでいるか)
 流れ出した液体は回復薬だとも、察した。
 自己再生と回復薬による高速再生だ。遠隔でもダメージを引き受けられる【命王】と合わせれば、壁役タンクとしての役割は完璧に近い。
「…………」
 試しに、サイノクスの脳や心臓と思しき部位へとゾディアックのレーザーを放つ。
 それらは体を焼き抉り、内臓にまで届くが……サイノクスは死なず、再生する。
(……主要臓器を動かし、隠しているのか? あるいは、内臓にカバーでも仕込んでいるのか。どちらにしても、狙って潰すのは難しい)
 一撃で消し飛ばすだけの火力があれば話は別だが、光属性の火力は対人や急所狙いならばともかく、膨大なHPを削るには向かない。エフではかなりの消耗を強いられる。
 尚且つ改人達はエフと対面すると分かっていたのだ。
 交戦する可能性を考え、壁役のサイノクスは予め光属性への耐性装備も身に着けているだろう。
(火力で押すのは、骨が折れる)
 エフはあまり長期戦に向いた〈マスター〉ではない。
 ゾディアックを動かすのは事前にチャージした光であり、夜間は再充填も難しい。
 また、光属性魔法自体のコストパフォーマンスが悪い。
 ゆえに、正攻法では先にリソースを使い切るのが自分だと分かっていた。
(【命王】が盾だからこそ、潰せばあとの二人にも攻撃が徹る)
 エフは三体の改人を倒す手順を考えて、

(とも……言えないか)
 ――血の滲む左肩を押さえた。

 それは改人からのカウンター。
 《光環》とほぼ同時に……エフに命中した攻撃だ。
 それを為したのは壁役のサイノクスでも、斬り込んできたピストリークスでもない。

 サイノクスの前で触腕を展開していたポリプスだ。
反射魔法・・・・……実物を見るのは初めてだ)

 反射魔法、それは数ある防御魔法の中でも特に協力で……扱いの難しいスキル。
 攻撃魔法において、エフが得手とする光属性は『照射速度は速いが発動までが遅い』、『消費が大きい』、『攻撃が直線』、『威力で火属性に劣る』という理由で使用者が少ない。
 同様に、反射魔法は防御魔法の中でも使い手が少ない。
 通常の防御魔法はレジスト、攻撃の威力の減衰・減算を目的とする。ダメージを完全にゼロとする魔法も少なくない。
 だが、反射魔法は……攻撃魔法を跳ね返す・・・・防御魔法である。
(上級職ですら、そういない。超級職もロストしていると思い込んでいたが……【鏡王】の名で気づくべきだった)
 攻撃魔法の多くは『魔力のエネルギーへの変換』・『拡散を防ぐ制御』・『攻撃の方向ベクトル』の三要素で構成される。
 防御魔法はこの内、『攻撃魔法のエネルギーを受け止める』ものや、『魔法を拡散して受け流す』ものが主流。
 前者は防御魔法に注いだ力が攻撃魔法を上回ればノーダメージ、後者は消耗を抑えつつ何割かを軽減できる。
 そして、反射魔法は三つ目の選択肢……『新たなベクトルを与え、攻撃魔法の向きを変える』ことを目的とする。
 理論上、魔法の進行方向を一八〇度変えることが出来れば、相手に跳ね返る。
 理論上は防御にして攻撃を兼ね備えた、究極の防御魔法と言えるだろう。
 だが、あくまでも理論上であり、幾つもの問題を抱えている。

 第一に、見極めの難しさ。反射魔法のスキルは対応する攻撃魔法の属性によって異なる。
 相手が使う魔法を見切って適した反射魔法を使わなければ、何も効果を発揮せずに直撃を受けることになる。

 第二に、調整の難しさ。相手が設定したベクトルを打ち消し、さらに望む方向に撃ち返す調整は経験して覚えるしかない。相当の回数をこなさなければ身につかないが、失敗は被弾という結果を生む。特に、広範囲魔法の反射は至難の業だ。

 第三に、タイミングの難しさ。その性質上、反射魔法の発動は攻撃魔法の発動から着弾までに済まさなければならない。しくじれば最低でも重傷という状況で、完璧にこなすことは精神を擦り減らす。長時間展開の消耗が激しいことも、即時使用の必要性を高めている。

 反射魔法は成功すれば魔法に対してこの上ないカウンターとなるが、これらの要素をしくじれば、ほぼ元のままのダメージが直撃する。
 それは練習時点でも同じことで、決闘施設の結界でも使わなければティアンは技術を身に着ける前に死ぬだろう。〈マスター〉でもデスペナルティを頻発する。
 最初からダメージを抑え込むことを目的とした他の防御魔法の方が遥かに習得しやすく、扱いやすい。
 それゆえ、反射魔法の利用者は多くない。光属性よりもさらに少ないだろう。
 だが、ポリプスはエフに対して、反射魔法を成功させたのだ。
 光速かつ使い手の少ない光属性。それも広範囲攻撃である《光環》へのカウンターを。
(正確なカウンターではない。肩に命中しているのが、良い証拠だ。あれは《光環》を跳ね返しはしたが、狙いはつけられなかったと見るべきだ。正確に狙えるのなら、脳か心臓に当てている。……その方が、【ブローチ】の発動で済んだか)
 エフは灼けて血の滲んだ肩を押さえながら思考をまとめる。光属性の超級職として、防御面でも多少の耐性があればこそ、ダメージは致命的ではない。
(こちらの魔法の発動に先んじて反射魔法を展開。反射した一部に、被弾した形か)
 属性は割れている。発動するスキルを絞っていたのならば、動作が視えた時点で展開するのはあまり難しくはない。
 ならば、そうして展開した反射魔法が跳ね返した光がたまたまエフに命中したのかといえば、そうではない。

ポリプスならば……そうなるな)
 ――ポリプスは二本の腕と四本の触腕、その全てで反射魔法を展開していた。

(蛸は触腕を動かすため、触腕の一本ごとに神経細胞が集中した小さな脳を持つ。〈Infinite Dendrogram〉の【クラーケン】などのモンスターも、それは変わらない。そうした生物としての仕組みを応用、サブ脳もスキル構築に利用し、全ての腕で反射魔法の壁を形成すれば反射の成功率は増す。元々が技術に秀でたティアンの超級職だったのならば、尚のこと)
 〈エンブリオ〉というプラス要素があるがために、ティアンと〈マスター〉の戦力を比べれば〈マスター〉が勝ることが多い。
 だが、ティアンの超級職はたった一つの命で超級職にまで上り詰め、研鑽した存在だ。
 技術的には、〈マスター〉を上回る者がほとんどである。
 まして、反射魔法で超級職に辿り着いた猛者だ。
 肉体の条件が揃えば、反射魔法の複数同時展開程度はやってのけると、エフは考えた。
(【命王】も、【鏡王】も、ジョブの強みを改人への改造でさらに増強している。借り物を誇る言動は認めがたいが、なるほど、自賛するだけのことはある性能だ)
 そしてもう一つ理解する。
(この二体は、最初からチームとして設計・・されている)
 【鏡王】ポリプスにつきまとう反射失敗のリスクだが、【命王】サイノクスがその失敗のダメージを肩代わりすれば……リスクは大幅に減る。
 逆に、サイノクスを短時間で焼き尽くせるだろう火力に特化した……例えば火属性魔法の使い手と相対するとき、それを反射できるポリプスの存在が重要になる。
 サイノクスとポリプスは、互いが互いの盾なのだ。
 では残る一人、ピストリークスの役割は?
(盾が二枚もあるならば、あとは……!)
 エフの思考が答えに至る寸前に、状況が動く。
 俯瞰する視界の中、ピストリークスが一直線にエフが隠れた地点へと向かっているのだ。
(血の臭いか)
 エフは相手が自分を見つけられた理由を、ポリプスのカウンターによって傷ついた肩から流れる血の臭いのせいだと判断する。
 ピストリークスはククリナイフを構えたまま、エフへと再度の突撃を敢行している。
(レーザーで迎撃したとしても、ダメージはサイノクスに飛ぶ。止まらない)
 距離が縮まり、ピストリークスがエフに到達せんとする。
 そして姿を消したままのエフに向けて、再びククリナイフが振るわれ……。

「――パイシーズ」
 ――上空から舞い降りた何かが、エフを空へと連れ去った。

 それは、エフの必殺召喚の内の一体、戴魚パイシーズ
 超音速飛行能力を持つこのモンスターは、この場に出向く前からエフに召喚されていた。
 その上で光学迷彩によって隠され、上空に待機していたのである。
 撤退、あるいは制空権の確保のために。
(二度攻撃を見たが、やはり速度は亜音速。超音速域ではない)
 エフはパイシーズの上でピストリークスを俯瞰しながら、相手の戦力を探る。
(超級職で超音速機動を使わないなら、AGI型の前衛超級職ではない。あえて使わないという線でもない。使えるなら、《光環》を抜けてきた最初の不意打ちで使っていたはずだ。加えて、既に二枚も壁役がいるのに耐久型とも思えない。ラ・クリマからチームとして組まされているなら、猶更だ)
 そこまで考えて、結論付ける。
(つまりは……単純な速度や耐久力とは違う部分に秀でた、特殊性の高い超級職である可能性が濃厚。そして恐らく……)
 エフは、肉眼とゾディアックの視界で確認する。

 ――どちらの視界からも、ピストリークスが消えていた・・・・・

 光学迷彩に対する、意趣返しとでも言うように。
(四人目がいないなら、部屋に忍び込んだのも鮫頭だ)
 ゾディアックをセンサー代わりに警戒していたエフの部屋に置手紙を残し、シータの誘拐を実行したのはピストリークスである、と悟った。
(であれば、恐らくは隠密行動に優れ、殴り合いは得意ではない系統の超級職。打たれ弱さをカバーするためのサイノクスか)
 隠れた術が改人として付与されたモンスターの機能ではなく、超級職だろうと当たりをつける。
 サイノクスの再生能力も、ポリプスのサブ脳と触腕も、イモリやタコの生物的特徴。
 だが、サメの中で隠れる力に秀でているのはごく一部であるし、それも深海限定だ。
 むしろ、サメは見つける力に秀でた生物である。
(……こちらを見つけた方法は臭い以外に、ロレンチーニ器官という線もありえる)
 鮫は嗅覚に優れ、頭部のロレンチーニ器官で生物の筋肉が発する微弱な電流を感知できる仕組みも持つ。
 クラーケンと同様、〈Infinite Dendrogram〉の鮫もそれらは持っていると……〈Wiki編纂部・グランバロア支部〉の調査書に書かれていた。
 ならば、ピストリークスは……ジョブ特性で隠れ、生物的機能で見つける改人なのだ。
 他の二体が攻撃を引き受けている間に、隙を突いて殺すためのアタッカー。
(用途を考えれば、こうして空に逃れただけで完封できると考えるのは危険。相手が防御に秀でているとはいえ、こちらまで守れば負ける。……賭けるか)
 エフはそう結論付けて、次の手を打つ。
「《天に描く物語ゾディアック死蠍スコーピオ》」
 言葉を紡ぎ、パイシーズに次ぐ二度目の必殺召喚を実行する。

 ――それと同時に、パイシーズの首が落ちた。

「!」
 エフの俯瞰視点でも前兆なく、空中に在ったパイシーズが殺された。
 頭を失ったパイシーズは、エフを乗せたまま光の塵へと変じる。
 パイシーズを構成していたゾディアックが、力を失くして地に落ちていくが……それはエフ諸共の落下だった。
「……そう来ますか」
 エフの視界の中、寸前までいた地点にはパイシーズの首と、

 ――空を飛ぶピストリークスの姿があった。

 隠れて姿を見失ったピストリークスが、唐突に空中へと出現。ククリナイフでパイシーズの首を落としたのだ。
 それ自体は、ピストリークスの能力を把握する材料となるものだったが……。
「ラ・クリマ……。昔の映画でも見ましたか?」
 エフ自身は『サメなら飛ばしても構わないと考えたのだろうか?』と、呆れ半分感心半分で呟いた。

 そんな彼を追撃するように、ピストリークスが天を駆ける。

 ◇◆

 ピストリークス・イデア。
 ベースとなったのは、伏兵系統超級職【潜伏王キング・オブ・ハイド】の座に就いていた名もなき殺し屋である。先代の【潜伏王】が皇国の内戦で死亡して間もなく、条件をクリアしていたために超級職を得た男だ。

 伏兵系統は『隠れる』ことがジョブ特性であり、隠密系統にも近い。
 違いは隠密系統が《看破》などをはじめとする対面での一対一の隠蔽能力に優れるのと対照的に、伏兵系統は広域の探知能力を無効化するスキルを備えている。
 また、隠密系統のように様々な攪乱用の忍術も持っておらず、物理的に隠れることに集中したスキル構成となっている。
 その超級職である【潜伏王】の奥義、《ハイド・アンド・シーク》は自身の身体を空間の裏に潜り込ませること。性質ゆえ空間系スキルに弱い点を除けば、隠密系統超級職【絶影】の《消ノ術》に極めて近い代物だ。
 だが、【潜伏王】のジョブ自体が【絶影】より隠れることに特化し、ステータス上昇もSPに偏っているため、奥義の効果時間が《消ノ術》よりも格段に長いという差異もある。

 ピストリークスは、強敵に対してはこのスキルの運用を前提としている。
 壁役二人が相手の攻撃を引き受けている間に倒せる程度ならば、それで済む。
 だが、距離を取る、隠れる、防御結界の内側に入るなどして凌ぐ相手を、確実に仕留めるのがピストリークスの役割だ。
 【潜伏王】の肉体に、サメ型モンスターの探知能力を付与。
 さらに飛行・水中行動用の装備や、【潜伏王】であるとバレないための隠蔽装備も内蔵。スキルの使用時間を伸ばすためのMP・SPブースターも埋め込む。
 そうして出来上がったのは、最恐の追跡者。
 距離を取ろうと隠れながら飛翔して近づき、隠れてもサメの機能が見破り、防御結界の内側に篭ろうと空間の裏を進む《ハイド・アンド・シーク》で突破する。
 強度END不足という欠点を抱えているが、それはサイノクスが補っている。
 彼の特性を封じる魔法の類もポリプスが跳ね返す。
 攻撃力も、魔法職を殺すのには十二分。
 そう、彼らは攻防において魔法職を殺すためのチームなのだ。
 ゆえに、エフの交渉と……必要であれば始末も任されてここに現れた。

 そして今、彼らの任は空中で身動きの取れないエフを仕留めることで達成される。

 ◇◆

「…………」
 空中に放り出されたエフは無言のまま、自分に向かってくるピストリークスにゾディアックの集中砲火を浴びせる。
 それは人間であれば何度も蒸発していて不思議ではない猛攻。
 だが、ダメージをサイノクスに転嫁できるピストリークスは傷一つつかない。
『無駄だ。貴様の攻撃は我々には通じん!』
 ゾディアックのレーザーは対人戦では強力な武器となるが、サイノクスを仕留めるには火力不足。
 それはこれまでに証明された通り。
 今も眼下ではサイノクスが傷ついているが、瞬時に肉が盛り上がり、自己再生を繰り返している。
『貴様と我々の相性は最悪ということだ! 観念するがいい!』
 サイノクスの傍ではポリプスもエフを煽っている。
「…………」
 それでもなぜか、エフ本人は涼しい顔をしていた。
 変わらず、迫るピストリークスにレーザーを打ち込み続ける。
 まるでそれしかやることがないとでも言うかのように、無駄な抵抗を続けている。
 しかしエフの抵抗をものともせず、ピストリークスは距離を詰めきり、
『死せよ!』
 右腕のククリナイフをエフの脳天に振り下ろした。

 ――その瞬間、レーザーの直撃を受けたピストリークスの右腕が弾け飛んだ。

 ククリナイフを握ったまま、右腕は明後日の方へと飛んでいく。
『なん、だとぉ……⁉』
 右腕を失くしたピストリークスに、エフが更なるレーザーを浴びせかける。
 レーザーが眉間を貫かんとし、代わりにピストリークスの【ブローチ】が砕ける。
『ッ!』
 ピストリークスは咄嗟に《ハイド・アンド・シーク》で空間の裏に潜る。
 一手の差で、続く集中砲火をやり過ごした。
 この判断が一瞬遅ければ、彼は蒸発していただろう。
 そして、空間潜行したままエフから距離を取り、浮上する。
『サイノクス! ダメージ転嫁は、《ノー・ペイン・ノー・ゲイン》はどうしたぁ!!』
 失った右腕を押さえながら、壁役としての務めを果たしていないサイノクスに叫ぶ。
 だが、自らの目に入った光景を見て、絶句した。

『ぴ、す……、ぽ、り……、た、しゅ、け……』
 ――サイノクスは不気味な肉塊に変貌していた。

『な、に……⁉』
 元より巨体であったが、今はそれよりも何倍も肉が膨れ上がっていた。
 その変化がどれほどの苦痛であるのか、今のサイノクスは【命王】の奥義を維持することもできなくなっている。
『バカな! サイノクスの再生能力で、なぜこのような……!?』
 サイノクスの傍では、仲間の変貌にポリプスが狼狽えている。

「――再生するから・・・・・・ですよ」
 それに答える声は、エフのもの。

 上空からの落下ダメージで【ブローチ】が砕けていたが、逆にそのお陰で大きな傷もなく砂漠に立っている。
 だが、その髪は砂にまみれていた。下が砂漠なので、『辛うじて死なない』程度のダメージにならないよう、ゾディアックで軌道修正して頭から落ちた結果だ。
『どういうことだ!』
 本来であれば、改人はここでエフに問わず、仕留めに動くべきだったかもしれない。
 だが、サイノクスの惨状と、自分達の戦術が破られた理由を知りたいという思いが……恐怖が先に立った。
「…………」
 エフは無言で髪を払いつつ、一点を指差す。
 エフが指差した先、サイノクスの傍には小さな蠍がいた。
 いや、『小さな』と言うのも語弊があるだろう。
 バスケットボール程度には大きな蠍だった。
 だが、今のサイノクス……こうなってしまう前のサイノクスと比べれば小さい。
 体の陰に隠れて、見えなくなる程度には。

 その蠍こそが《天に描く物語・死蠍》。
 超再生能力を持つサイノクスを滅ぼした召喚モンスターである。

「死蠍は、尾部から放射線・・・を照射します。レーザーとは違い、ダメージはありませんし、射程もさほど長くありません。ですが外部被曝による体内での化学変化の連鎖はDNAや細胞膜を変質させ、機能障害を起こします」
 彼の言葉の意味が、改人達には分からない。
 彼らの知識にはないものだったからだ。
「それでも健常な状態に戻す回復魔法を早期に施せば、重症化することもありません。しかし逆に、絶対にやってはいけない治療法があります」
 エフはサイノクスを指差す。
「生物機能による自己再生や、回復アイテムを用いた細胞増殖による補肉。これらは、この症状との相性が最悪です」
『ひゅ……ひゅ……』
 肉塊となったサイノクスは、呼吸もできなくなっていた。
「高速再生は放射線によって壊されたDNAに基づき、間違った情報で細胞を急増させるということ。傷を治そうとするほど症状は加速する」
 そのために、エフは空中でピストリークスにレーザーを撃ち続けたのだ。
 あれは無駄な足掻きではなく、サイノクスにダメージを転嫁させて高速再生を促すためのものだった。
「誤った細胞増殖を繰り返せば、最終的に」
 いつしか苦しそうな呼吸音もなくなって、

「――全身が癌化して死にます」
 エフの言葉と共にサイノクスは息絶えた。

 何が起きたかも、理解はできていなかっただろう。
「これが対再生能力特化生物用必殺召喚、《死蠍スコーピオ》です。相性・・が悪かったですね」
 先刻の言葉を返すように、エフは笑いかける。
 今しがた、改人達には想像もつかない手段で仲間を葬り去った男の言動だった。
『貴様ぁ!』
 怒号と共に、ポリプスがエフ目掛けて駆ける。
 ポリプスはジョブこそ魔法職だが、クラーケンの素材を取り込んで改造された改人である。その攻撃は純粋な魔法職であるエフの肉体を容易く引き千切るだけのパワーがある。
『…………』
 ピストリークスは再び潜行する。今の彼には身を護るものが……ダメージを肩代わりするサイノクスがいない。【ブローチ】もない。右腕も千切れている。
 レーザーの被弾は致命的であり、潜行して奇襲の機会を窺うのがベストだった。
 あるいは、『これがベスト』と自らに言い訳して退避したのか。
 結果、空間上でエフとポリプスは一対一の形となる。
「さて、折角なので、もう少し貴方達にとっての未知をお見せしましょうか」
 微笑と共に、エフは宣言する。
『ハッ! 貴様が如何なる力を使おうと、全て跳ね返して見せるわ!』
 ポリプスは【鏡王】としての矜持にかけて、【光王】であるエフに勝とうとしていた。
 彼我の距離を詰めながら、ポリプスはエフの手を読む。
(分かっているぞ! 貴様は、再び召喚を使う! 魔法を反射する私を破るために、物理アタッカーの召喚モンスターを呼ぶ算段なのだ!)
 エフ……【光王】についての戦闘は、皇国での活動の際にいくらか記録されている。
 主に遠隔からゾディアックでの干渉を行うが、時に獅子型や人型の召喚モンスターを用いての介入もあった。
 それらの情報を持ち合わせていたがゆえに、ポリプスは次の手を召喚……必殺スキルの使用だと読んだ。
(だが、問題はない! 私が、【鏡王】が跳ね返せるのは魔法だけではない!)
 反射魔法は魔法に干渉してのベクトル操作を得手とする。
 だが、超級職である【鏡王】の力は、その一段階上だ。
 奥義である《ミラー・フォース》は、魔法以外のエネルギーも跳ね返すことができる。
 それこそ、単純な体当たりでも運動エネルギーを反転させ、真逆の方向に跳ね飛ばせる。
 消耗は激しいが、対象を問わないエネルギー反射。
 如何なる必殺召喚を行おうと、来る方向さえ分かっていれば攻撃はエフに返るのだ。
(奴の必殺は複数基の〈エンブリオ〉が何らかの図形を描くという前兆がある! それを見逃さなければ、確実にタイミングを読める!)
 その情報は正しい。
 ゾディアックの必殺スキルは、フルチャージ状態のゾディアックを召喚対象毎に決められた個数捧げ、捧げられたゾディアックが星座の軌跡を象ることで発動する。
 ゆえに、必ず前兆がある。彼らの死角で光学迷彩に隠されながら発動した《死蠍》は見逃したが、同じ手は食わない。
 属性も攻撃の前兆も把握した状態。
 【鏡王】であるポリプスにとって、これほどにやりやすい相手はいない。
『未知とやら、見せられるものなら見せてもらおうか!』
(そのときが、貴様の最期だ!)
 勝利を確信して突撃するポリプス。
 だが、エフは浮かべた微笑を歪めることもなく……天を指差す。
 ブラフや惑わしと考え、ポリプスはそちらに視線を送らなかった。
 しかし直後、天の光・・・に気づいて空を見上げる。

 そこに、未知があった。

『…………ナ?』
 ポリプスが見上げたものは――満天の星空。
 砂漠の夜空の下に、もう一つ夜空がある。
 数十、数百、数千、数万……文字通り、星の数ほどの光が覆いのように彼を囲んでいた。
『ば、バカな……! 貴様の〈エンブリオ〉の総数は一〇〇基前後のはずでは……!』
 ポリプスはそれがゾディアックの輝きだと考え、そう口にする。
 彼の言葉の通り、エフのゾディアックの総数は一〇〇。この空の星にはまるで足りない。
 だが、エフは光の魔法使い。
 夜天であれば、ゾディアックと連携してプラネタリウムの真似事くらいはできる。
 それこそ、一人の少女に見せたように。
 そう、この星空はただのプラネタリウムだ。
 プラネタリウムであるがゆえに輝く星々が光の軌跡で繋がり、暗闇に星座を描き出す。

「《天に描く物語ゾディアック》――」
 ――《天に描く物語》の発動シークエンスと同様に、そして同時に。

『……ッ!?』
 木を隠すならば、森の中。
 星を隠すならば、満天の星空の中に。
 どれが必殺スキルの前兆であるか、ポリプスに読み取ることは不可能だ。
 それらの星座の形を、異なる星が天に描いた物語を……ポリプスは知らない。
 ゆえに、どれがゾディアックとして意味ある星座なのかも分かる訳がない。
 それが、エフの語る二つ目の未知。

「――《混沌山羊カプリコン》――」
 そして、三つ目の未知が来る。

 エフが誇る未知――ゾディアック最強の必殺召喚が。

 ◇◆

 黄道十二星座ゾディアック
 ギリシャをはじめとする国々で語られた、太陽の軌道にある星座達。
 かつての人々はそれらに物語を当て嵌め、名を与え、語り伝えた。
 エフの必殺スキルも、それらの影響が見て取れる。

 《盾蟹キャンサー》、蟹座は神話においてヘラクレスから友を守るために飛び出した蟹。
 ゆえに、壁役の召喚。

 《戴魚パイシーズ》、魚座は女神とその子を乗せて怪物テューポーンより逃げた魚。
 ゆえに、移動・逃走用の召喚。

 《死蠍スコーピオ》、蠍座は英雄オリオンを毒で殺した蠍。
 ゆえに、小さくとも巨大な生命を断つ召喚。

 では、混沌山羊カプリコンの基となった山羊座は如何なるものか。
 ギリシャ神話において、山羊座は魚座同様にテューポーンの逸話で描かれる。
 神々がテューポーンから逃げるために動物へと変じた。
 しかし、とある一柱の神は慌てていたため、上半身が山羊、下半身が魚という混沌とした姿に変身してしまう。
 その姿を面白がった大神により、星座に上げられたのだという。
 十二星座の神話の中でも、あまり格好のいいものではない。
 だが、エフは確信している。
 この混沌山羊こそがゾディアック最強の召喚であり、その根幹であると。
 なぜならば……。

 ◇◆

「――《双星ジェミニ×クロス溢瓶アクエリアス》」
 混沌山羊の能力は二種以上の必殺召喚を――融合させる・・・・・

 混沌山羊は単独では効果を発揮しない。混沌山羊の分のコストを余計に払った上で、他の必殺召喚を融合して新たな召喚を作り出すのだ。

 物語は、人の創造は、体験したものを自分の中で噛み砕き、再構成して作られる。
 エフ自身の信条であり、彼のパーソナルの根幹。
 そして、混沌山羊こそはその具現。複数の物語から、新たな物語を紡ぎ出すモノ。
 今回の召喚で混沌山羊が基としたのは、《双星》と《溢瓶》。
 レイとの戦いでも用いた双子座は、ゾディアックを除いて【光王】エフと同じ能力の分身を作る。
 水瓶座は水瓶を傾けるが如く、召喚に用いたゾディアックの内蔵エネルギーを一度に開放して広域拡散レーザーを放つ。
 光の分身と拡散。
 これらを組み合わせた結果、何が起きるか。

 答えは――数十人のエフによるポリプスの完全包囲。

『こ、れは……⁉ なんだ、これは⁉』
 ポリプスが動転する中、エフ本人は既に光学迷彩で消えていて、宙に浮いた数十人の分身が眼下のポリプスへと掌を向けている。
 彼らの掌に、光が灯る。
 単体で召喚する場合の《双星》は使用したゾディアックのエネルギーが尽きるまで戦闘可能であり、使い方次第では長時間の運用も可能。
 だが、《溢瓶》と混ざってこれだけの数を形成したことで、長時間の戦闘は不可能だ。
 一分ともたずに消えるだろう。

 ――長時間にする必要もなく、一分も掛からないだろうが。

「《グリント・パイル》」
「「――《グリント・パイル》」」
「「「「――――《グリント・パイル》」」」」
「「「「「「「「――――――《グリント・パイル》」」」」」」」」

 数十人が時間差で、全方位から上級職奥義魔法を放つ。
 それらの照準は当然……包囲の中心に置かれたポリプスに向けられていた。
『うぁ、うぉおおおおああああああ⁉』
 ポリプスは反射魔法を展開し、必死にレーザーを跳ね返さんとする。
 六本の腕が全面をカバーせんとうねり、反射魔法の盾を紡いでいく。
 限界を超えた連続行使でサブ脳と神経系が焼き切れそうになりながら、絶望的な光の雨を防ごうとする。
 だが、それだけ必死に抗っても、隙間から、反射魔法のエネルギー切れから、次々にポリプスにレーザーが突き刺さる。
 跳ね返しても、光で構成された分身はレーザーでは死なない。
 分身は削れぬまま、ポリプスの体が削がれていく。
 やがて、サブ脳が灼けついたのか、MPが切れたのか、彼は反射魔法を使えなくなり、

 ――殺到するレーザーで一片残さず蒸発した。

 ◇◆

 ポリプスが蒸発したとき、エネルギーを使い切った分身達も消えた。
 そうして、エフも姿を現す。
 光学迷彩に割く余力はなく、残るピストリークス相手には意味がないからだ。
 そう、ポリプスへの集中砲火の最中もピストリークスは潜行状態から浮上しなかった。
 光学迷彩を使おうとピストリークスには見えているはずで、エフも彼の奇襲を織り込んでいた。
 それがなかった理由は、二通り考えられる。
 一つ目は、想定外の大技を使用したエフに臆して奇襲の機会を逸した可能性。
 二つ目は、ポリプスの生存を諦め、ポリプスに対して力を使わせた上で消耗したエフを確実に仕留めることを選んだ可能性。
 エフは、二つ目だろうと判断した。
「さて、残るは貴方一人ですね」
 エフは、潜行したままのピストリークスに語りかける。
「私とゾディアックも、力を大分使ってしまいました」
 その言葉に嘘はない。
 サイノクスを倒すための《死蠍》と連射。
 ポリプスを倒すために使ったプラネタリウムと、必殺スキル三回分の《混沌山羊》。
 既に、《グリント・パイル》を放てるゾディアックは片手で数えられる程度しか残っていない。
 エフがピストリークスの狙いがエフの消耗待ちだと読んだのは、実際に彼が消耗しきっているからだ。
「あなたも、もう盾がない」
 だが、改人達の壁役であった二人……サイノクスとポリプスは死んだ。
 空中の攻防でピストリークスの【ブローチ】も砕けている。
 肉体的には改人達三人の中で最も耐久力に欠けるピストリークスでは、エフの魔法に耐えられない。
「だから、抜き撃ち勝負といきましょう」
 お互いに余力はなく、【ブローチ】もなく、相手の攻撃を食らえば死ぬ。
 だから、当てた方が勝ちという勝負にならざるを得ない。
 潜行からの奇襲が成功するか。
 光速のカウンターが成功するか。
 結果は、二つに一つ。
「…………」
 エフは周囲に四基のゾディアックを浮かべ、自身の掌でも魔法の発動準備をしている。
 この抜き撃ち勝負に関して、エフに策はない。
 あとは、自分の反応速度に賭けるだけだ。
 ピストリークスが空間から飛び出してくる瞬間に、レーザーを撃ち込む。
 そのワンアクションだけに集中する。

 そうして、砂漠の夜が静寂に満ちる。
 静寂を破る一瞬を、エフは待ち続け……。

『――【光王】‼』
 それは、エフの想定とは違う形で訪れた。

 エフから距離を離して、ピストリークスが何事かを叫ぶ。
「…………」
 上空のゾディアックから地上を俯瞰していたエフは、それに気づいていた。
 砂漠の中、エフから離れた一点。
 そこにある……二つの人影・・・・・

『〈エンブリオ〉を、消せ』
 今も眠り続けるシータと、その首筋にククリナイフを押しつけるピストリークス。

「…………はぁ」
 思わず、エフはため息をこぼす。『そうか、その手・・・を選ぶのか……』と冷めた……あるいは萎えた言葉がエフの心中で生じていた。
 ピストリークスが何をしているのかは、理解ができる。
 どちらが先に相手を仕留めるかという西部劇の如き抜き撃ちではなく、より確実かつ安全な勝利を選んだ。
 つまりは……人質・・をとったのだ。
 エフを誘き寄せるための人質を、エフに勝つための人質として流用した。
 眠る少女の喉に凶器を押し当てて、『抵抗すれば人質を殺す』と脅迫する。
 実に古典的かつ、エフの期待を外した戦術であった。
「自らを『選ばれた改人』だと自賛しておきながら、最後がこれとは……」
『黙れ』
「しかし、私を倒したところでどうします? 私のスカウトに失敗し、仲間の二人を失い、自分も右腕がない。これは貴方にとっては既に失敗しているのでは? 犯罪結社なのでしょう? 粛清されませんか?」
 煽っているのか、単純に疑問を覚えたのか、どちらともつかぬ声音でエフが問いかける。
『黙れ……! 我々は、私はまだ失敗などしていない! 貴様を葬り、王都襲撃を成功させれば、まだあの御方にもお許しいただける……!』
(……王都襲撃?)
『さあ! 早く〈エンブリオ〉を消せ! この娘の首が落ちる光景が見たいのか!』
 エフは聞き逃せぬ言葉に反応しかけたが、余裕を失くしたピストリークスの叫びによって『王都襲撃』という文言への思考を中断する。
「…………」
 さて、エフに人質が有効か有効でないかで言えば……今は有効だ。
 ここまで期待外れの相手に、シータを殺される方がエフにとっては面白くない。
「……ふぅ」
 エフは指を鳴らす。
 すると、彼の周囲に浮いていた四基のゾディアックと、上空に配された俯瞰視点用のゾディアックが彼の紋章に格納される。
 エフは片目を開き、自らの目でピストリークスとシータを見る。
『よし……!』
 そして、勝利を確信したピストリークスがシータの首筋からナイフを離し、

『…………? ……ぁ?』
 ――その胸部に大穴を空けた。

 ピストリークスの胸の中央に、縁が焼け焦げた穴ができているのだ。
 それは紛れもなく、《グリント・パイル》の貫通痕。
 だが、エフからの射線はシータの身体によって遮られ、ピストリークスの視界の中にゾディアックの気配はない。
 ……否。
『これ、は……?』
 彼が見たものは、シータの背中。
 少女のダボついた寝間着の背中にはいつの間にか穴が空いていて……。

 彼女の服の中・・・には、ゾディアックが一基だけ配されていた。
 零距離照射の《グリント・パイル》が、ピストリークスの胸部を蒸発させていた。

 それは初手も初手。
 シータの安否を確認したとき、彼女の寝間着の中にエフが仕込んでおいたものだ。
 もしも彼らが戦闘中にシータを人質にするという最もつまらない・・・・・・・展開を選んだとき、その目論見を崩すための仕込みである。
『く、ソ……!』
 心臓と胸筋を消し飛ばされても、ピストリークスはまだ動く。
 ククリナイフを掴んだ左腕を振り上げたのは、エフにせめて一太刀と投げるためか、あるいは人質を殺してエフの勝利に瑕疵をつけるためか。
 だが、どちらだとしてもそれは……叶わない。
 両目を開けたエフが、ピストリークスの眉間に向けて掌を向けていたから。

「――貴方が一番つまらなかった」
 ――放たれた最後のレーザーは、ピストリークスの頭部を消し飛ばした。

 それが、決着。
 三体の超級職素体改人は……【光王】エフによって全滅した。

 ◇◆

 □■カルディナ・二十六番オアシス村落

 その日の朝、シータは少し残念がっていた。
 沢山お話してくれた旅人さんがもうすぐ出発してしまうこともそうだが、朝起きたらなぜか寝間着の背中に穴が空いていたのだ。
 シータの母は『おさがりだし生地がもろくなってたのかしらね』と言っていたが、いつも来ていた寝間着が破れてしまったシータは悲しかった。
 悲しみと悲しみが重なって、幼い少女には窓の外の空まで灰色に見える。……カルディナの空は、今日も雲一つない快晴だったが。
「……よーし!」
 ただ、自分が言わなきゃいけないこともあると考え、気を取り直して身支度をする。

 シータが穴の開いた寝間着から着替えて一階に降りると、旅人……エフがチェックアウトするところだった。
「お世話になりました。こちらはチップです」
「多すぎますよ?」
「心地よい滞在でしたから」
 エフはそう言って多めのチップをシータの父に渡している。
 彼の内心では、『レーザーで撃ち抜いた服の弁償』も込みのチップである。
 実際、シータの父も『シータの服も破れてしまったし、これで新しい服でも買ってやるか』と考えているので思惑通りではある。

 ◇◆

 改人との戦闘終了後、エフはシータを宿屋のベッドに戻し、自分も部屋に戻った。
 また、改人達が持っていたアイテムボックスについても、残ったゾディアックで遠距離から破壊開封を行っている。
 幸いだったのは、改人達が砂漠での移動に使っていた小型の砂上船が手に入ったことだ。
 ゾディアックの光エネルギーが枯渇し、《戴魚》も戦闘で使ってしまったので、移動手段がなかったのである。
 これで何とか多少のプラン修正――二徹含む――で講和会議の見物が間に合いそうだと、エフは安堵した。
 また、改人達のアイテムボックスからは、開封時に破損してしまったが指令書らしきものも見つかっている。
 情報は断片的だったが講和会議と同じ日時のメモが見つかったため、先の『王都襲撃』という情報と合わせて何が起きるかは察しがついた。
 どちらを見物するかは迷うものの、居合わせる〈超級〉の数……そして因縁あるレイ・スターリングを考慮してエフは初志貫徹で講和会議に向かうことにした。
 どの道、あと二日では戦闘ができるほどゾディアックが回復はしないので、見物しかできないだろうが。
 そんな訳で、講和会議に間に合わせるためにエフは朝早くに宿をチェックアウトしたのである。

 ◇◆

「エフさん!」
 エフがチップも渡して宿を出ようとしたとき、背中から声を掛けられた。
 聞き覚えのある声の主はシータだ。
 自分の命が掛かった戦いがあったことなど知る由もなく、表情には恐怖の欠片もない。
「シータさん、お世話になりました。ベッド、寝心地良かったですよ」
「よかった!」
 彼女のベッドメイクについて褒めると、シータは嬉しそうに笑う。
 リップサービスではない。宿に戻ってから朝までほんの二、三時間だったがその間のエフは泥のように眠っていた。
 彼としても、今回の件はとても疲れていたのだ。
「…………」
 思えば、今回は随分と自分らしくない立ち回りをしていたとエフは思う。
 正確には、『自分らしくあろう』とした結果、『普段の自分がしない行動』をとらざるを得なかったというジレンマだが。
(攫われた子供を助けるために、犯罪者達と大立ち回り。それらは、彼の役割だろうに)
 エフがイメージしたのはやはりレイ・スターリングだ。彼の有名な逸話の一つが悪名高き〈ゴゥズメイズ山賊団〉の討伐であり、正にエフが考えていたような物語だ。
(とはいえ、多少は得るものもあったので、良しとしよう)
 エフがそんなことを考えていると、
「あのね! エフさん! 聞いてほしいことがあるの!」
 シータがそんな言葉を口にした。
「?」
 エフは彼女が何を言おうとしているか分からない。
 まさか、昨日の戦いのときに起きていたのだろうかと考えて……。

「わたしね! いつかね! エフさんみたいに、おはなしかくから!」

 全く想定していなかった言葉に、エフは両目を丸くして驚いた。
 それこそ、彼には珍しい表情だ。
「エフさんの聞かせてくれたおはなし、おもしろかったよ! さいごの、おほしさまのおはなしとか! すっごく、すっごくワクワクで、ドキドキしたの!」
「…………」
「だからね、わたしも、エフさんみたいにおはなしをかいて、みんなにワクワクしてもらいたいの!」
 エフは、自分の目で彼女の姿を見る。
 自分の語る物語をきっかけに、自分と同じ道……作家としての夢を語る少女の姿を。

 エフは昨日、シータと話しながら考えていた。
 自分の語る物語が少女の未来に影響を与え、何事かを為すならば……それもそれで面白い物語になるだろう、と。
 それでも、エフは彼女の物語を観測することはないと考えていた。
「いつか、エフさんのクニにもつたわるくらい、すごいおはなしをかくから! よんでね!
「……ええ。楽しみにしています」
 しかし彼女の夢が物語であるならば、いつかそれを目にする機会はあるかもしれない。
(これだから……未知は面白い)
 エフは、作り笑いではない微笑を浮かべる。
 シータの言葉は改人達との戦いなどより、余程に彼の心を弾ませた。

 ◇◆

 そうしてエフとシータは……異界の作家と未来の作家は別れた。
 異界の作家は『遠い未来の物語』を胸に、『近い未来の物語新たな事件』を目指し、王国への帰路につく。
 未来の作家は『遠い世界の物語』を胸に、『近い世界の物語日常』を過ごし、日々の中で物語を空想する。

 彼が彼女の物語を目にする機会があるかは、まだ誰も知らない……『未来の世界の物語』。

 Episode End


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