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フォーゴトン・レルム
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第4章:モンク

そは肉体、精神、霊魂の合一を欣求せんと己を律し、諸々の重荷から放たれし者。

 君は肉体という物質世界と、悟りを得た精神世界の境界に立つ者。そしてその二つの世界は君の中で出会い交わる。君こそはモンク、幾世代にもわたり伝えられた独自の闘法を修めし者だ。君は気を散らせる俗事から遠く離れ、隔絶した修道院で武芸の技を磨くことに人生を費やしているのかも知れない。もしくはその独自の闘法を、街で一番暗い奥の路地で学んだのかも知れない。陋巷で生き延びるための絶望的な闘いが、君の忍耐強さと狡猾さとを磨いたのだろう。さらにはその技を、太古の秘伝書や神妙不可思議な師父、はたまた君の心の中に隠されていた喪われし流派の記憶によって、運良く引き出せたのかも知れない。
 鍛えられた戦士ならば、力ずくの拳によって敵を降すことだろう。だが君はサイオニックの力、君自身が“気”と呼ぶ、身体の奥からわき出る力を拳に込めてそれを行なう。君はこのエネルギーによって、いかなる呪文や武器を振るう武勇の技にも劣らぬ攻撃を繰り出せる。そのうえ、この力は君の肉体的能力を拡大し、素早い移動、驚異的な跳躍、さらには飛行すら可能にするのだ。この章では君の能力、および戦場やその外での働きを拡張する新たな作製オプションを提供する。

  • モンクをプレイする:どのようにしてモンクを世界及びゲームの場にふさわしい存在とするか。および君のモンク・キャラクターに命を吹き込むさまざまなコツについて。
  • 新たな作成オプションおよびクラス特徴:“心鉄鍛魂の門派”は、武器を通して君の“気”を放ち、その武器を己の体と精神の一部、延長となす。君の手中にある時、ちっぽけなダガーはファイターのグレートソードに等しい破壊力を持ち、ただのクオータースタッフが破壊の旋風を巻き起こす装具となるのである。
  • 新たなパワー:君はサイオニックの力により、己の攻撃をさだめ、敵の防御を打ち砕く。この章で紹介する新たな技法は、心鉄鍛魂のモンクによる武器の修練をさらに発展させるものだ。しかし、戦いの最先端に立つすべてのモンクに対して、新たな選択肢を与えるものとなるだろう。
  • 新たな伝説の道:6種の新たな伝説の道が拓くのは、モンクのキャラクターの新たな成長の道であり、さまざまな秘伝の(そして剣呑きわまりない)戦闘方式である。


  • モンクをプレイする

     「捜し物は見つかったか、旅のお方?」
     人影がこれと言って特徴のない旅人二人に歩み寄る。図書館には彼ら以外には人は見あたらない。これ見よがしに黒く濃いあごひげを生やしたその熊のような男は、すきっ歯を剥き出して笑いかけてきた。“この地元の保安官に気をつけろ”、旅人二人は確かにその話を聞いていた。こうして彼に出くわす前にその調べ物を終えることができたなら!
    「うむ、ちょうどな」注意深く、レナリスは答えた。「アイウーン様の社はまさに知識の泉であるな」
    「だが、その泉もただじゃない」皮肉たっぷりに保安官は告げた。「よそ者からは税金を頂くことになってる」
    「そんな税金なんて、聞いてないぜ!」イネルダは異を唱える。
    「“今”、“俺が”、聞かせてやったろう?」
     保安官は外套の裾をはね除けて、ベルトに下げた剣を見せると、ちらりと視線をそちらに向ける。旅人二人がなんら武器を携えてないことは先刻承知。そう言いたげだった。レナリスは腰のポーチに手を伸ばし、銀貨を一つかみ取り出した。熊じみた保安官は二人を嘲笑いつつ、ぶらついて離れてゆく。
     イネルダはきっ、と睨み付けるが、レナリスは肩をすくめるばかりである。
    「ここで争いごとなどしようものなら、かけがえない書物を傷つけかねない。イネルダ、おぬしには日頃より言い聞かせていただろう。おぬしのその気性はまわりまわっておぬしの災いとなる。それに備えるには、ほんの少し己を律するということを――」
     その説教が先ほどの男の怒声に遮られた。程なく行ったところで彼は、寺院の司書を務める老司祭を怒鳴りつけていた。その無骨な手で、造りの脆い大きな本を握っており、腕を振り上げ今にもそれを投げ捨てるかのよう。
     瞬間、レナリスは自分が座っていた椅子の上から“消失”した。その直後、保安官の指先から、かの書物も同じように“消失”する。保安官の熊面はきょとんとしたままだった。その表情はレナリスの足が眼前に迫るまで変わらなかったし、その足が破城槌を思わせる力で叩きつけられた瞬間ですら、おそらく何もわからなかったに違いない。
     図書館に響いた打撃のこだまが消えるのを待ち、イネルダはにこりと笑うのだった。
    「御師様、己を律することの徳を先ほどまで仰っておられましたが」レナリスが卓に戻るのを待ち、彼はそう言った。
    「十二分に己を律して見せたであろうが」物静かにレナリスは告げた。「私はヤツが床にぶち当たった瞬間に、追い撃つ手を止めたのだぞ」


     君にとって、日々の生は霊的覚醒、すなわち肉体、精神、魂の究極合一へと向う、生涯をかけた旅路の一歩一歩なのである。君が日々専修と専心を追求し続けるなら、その長き旅路の果てに、本願を達し、安らかなる心を得て、さらなる理解に達することができる。君がその道を踏み行くにつれて、勘の鋭い仲間もまた自分自身をよく見つめることができるようになる。一方君の敵にとって、その毎日は、君の前に立ちはだかることがこの上ない愚行であると明らかにする日々となる。
     モンクとして、君は自分自身を完全なものとするすべを追い求めている。他の者たちは肉体と精神と魂とを分けて考えている。だが、君は“自分”こそが、分割することのない“自分”こそが究極の真理なのだと理解している。定命の存在としての弱さ、そして誤解ゆえに人は己を諸々の側面へと分割して理解しようとする。ひたすらなる鋼の如き修行によってのみ、君はこれらの己を分かつ偽りの障壁を打ち砕き、真の体・心・魂の統一の境地に至ることができるのだ。
     君の旅の最終目的、それは論ずるべき問題ではない。その目標までどれくらい自分が近づいているのか、己がそこへ前進しているのか、それとも遠ざかっているのか。何一つ君にとって定かなものはない。悟りへ向う君の霊的な道すじをどのように進んでゆくのか、それもまたさまざまなのである。君が修道門派を探し求めていたのは、以前の自分には備わっていなかった自制のすべを得るためだったのだろうか? それとも君はすでに戒を得て、ただ目的のみを探していたためだろうか? 君が我がものとした門派の技は、それらのみで完結した体系なのだろうか? それともまったきものへと至る数多き段階、その数歩にすぎないのだろうか?


    体、心、魂

     己を律した厳しい修行、それこそがモンクとしての生の根幹である。自己を律することできずして、自己を完成させることなどできようはずもない。己に対する統合的な理解、すなわち精神的、肉体的、霊的なる理解によって、君は自分自身のさまざまな側面をそれぞれに分かつ偽りの区切りを打ち壊すことができる。君は理解しているのだ。己の力が自分の意志から、身体の筋肉と血液から、そして魂の燦めきから生じると言うことを。君が目指すものは、己のすべてを一つの、区切りも継ぎ目もないまったき存在へと統合することだ。
     多くの修道門派が達した肉体的武勇は伝説的である。そのせいかモンクが深く霊的な面を持っているということは、その技ほどには知られていない。すべてのモンクが宗教的な要素を備えているわけではないが、モンクは皆、自分自身の本質というものについて鋭く洞察している。
     修道門派としての生活様式がモンクの精神面をはぐくみ、それがサイオニック的な発現にいたる。 君の力は君自身の内面より至る。決して外の源から至る力ではない。その力は少なからず、超越的な意志の力によるものなのである。信仰心篤い修道院は、敬虔な共同体の近くあるいは中に築かれているかも知れない。逆に、宗教的な儀式は最小限なものにとどめ、己が門派の教えはすべて太古の武芸の技・様式からもたらされるのだと宣言する門派もある。それが宗教的な訓練によるものだと示されていても、はたまた比類無き精神集中や神々からの授かりものなどとされていても、修道門派の技術と修練は最終的にサイオニックの力によるものである。


    門派と禁忌

     修道院での教えには、部外者からは無意味とも思える制限も含まれることがある。これらの“要求”は、信奉者たちが悟りに至るために精神的な備えを行なうのを助けたり、規律を維持したり、特定の信仰や教義、神格に敬意の念を保ち続けたりできるように考案されている。
     君の門派の教えや禁忌が――もし、あれば――どのようなものか決定するには、以下から選んでもよいし、あるいは以下を参考に独自のものをこしらえてもよい。

  • 君はある種の食物を口にしてはならない、または定められた時に定められた食物を口にせねばならない。
  • 君は君自身が持ち運べる以上の財産を保有してはならない。
  • 君は一日のうちのある特定の時間、もしくは一年のうちのある特定の日に、特定の聖歌、武術の“形かた”、もしくは儀式等を歌ったり実践したりしなければならない。
  • 君は特定の色、形式、生地の衣服を決して身につけてはならない(もしくは常に身につけていなければならない)。
  • 君は特定のクリーチャーを決して攻撃してはならない。門派によっては、自衛のためであればその限りではないとするものもある。
  • 君は自分の門派の教義の基礎的な部分について、まっとうな興味を示すあらゆる相手に教えなければならない。
  • 君は君自身が司祭であるかのように、ある特定の神に捧げる典礼の全てに最初から最後まで立ち会わねばならない。
  • 君は戦闘において決して先手を取ってはならない。
  • 君はある種の芸術(奏楽、絵画、書など)を稽古せねばならない、もしくはそれに決して触れてはならない。
  • 君は一日の特定の時間には口を効いてはならない。ただし君の沈黙のために誰かを傷つける可能性がある場合を除く。
  • 自らの属する門派の者が助力を求めたなら、目の前の目標達成を先送りにしてでもそれに応じなくてはならない。
  • これまでの生き方

     モンクとして修練を始めた者達の多くは、その人生にどこか物足りないものを感じていた者達である。君はこれまで自制と言うことを知らず、いつも怒ったり思いつきで行動してきたのかも知れない。伝統的な宗教習慣では満たすことのできない、精神的なむなしさに苛まれていたのかもしれない。これまでに君の人生には計画というものがなく、人生の意味や目標というものが欠けていたのかも知れない。君はこれまでいくつもの職業を転々としてきたが、それらの職業で第一人者となること、もしくは充足を得ることが叶わなかったのかもしれない。こうした不満のどれもが、君が修道院の門を叩くのに十分な理由となったのである。
     モンクの中には修道門への道を志す前に、サイオニックの力の片鱗を見せていたものもいる。君は散発的に知覚が鋭敏になったり、幻視を見たことがあったりしなかったろうか。感情が激したときに非凡な肉体能力を発揮したことがあったりしなかったろうか。また君は、アーデントやバトルマインドといった、それほど集中を必要としないサイオニック系クラスの初歩的なパワーを使った経験があるのかも知れない。成果に対し最初に君がどのように反応したかはさておき、君は自律と修練の中に安らぎを見いだしたのだ。この天賦の素質は、心を凝らし厳しい訓練を行なうとき、最も手応えを返す。そのことを君は発見したのである。君が本能的にモンクの道にたどり着いたのであれ、ほかの方法を試行錯誤したあとにこの道に至ったのであれ、君は修練を積むうちにその力の制御法を掴んだのだ。この修練により君は人生の意味を得た。また“足るを知るということ”を知り、そして、ある種の己の存在を確立し、いくらかの平穏を得たのである。
     君が自律と修行の道に引かれる、その要因にはさまざまなものがあり得る。君は修道院での鍛錬で得られる、身体的な力を求めているのかも知れない。求める理由は、敵に復讐を果たすためであったり、邪悪と戦うため、あるいは限界とされていることに挑むためなどだ。君は精神的および哲学的な調和も必須であると言うことは理解している。だが、それでも君の情熱は戦闘様式と、修練の結果を肉体的に発揮することの方にある。


    世界におけるモンク

     学者や賢者、宗教組織の指導者たちはモンクたちの心身一体的な修行について理解しているものの、多くの一般人はモンク達のことを、まずは宗教的な者達として見ている。一般の民はモンクの禁欲的な生活様式と精神的・霊的な思想は、厳格な宗教的熱心さによるものと考えているのである。この考えは、多くの修道門派が公然と宗教的な性質を持っていることでさらに補強される。
     一般人は君のことを、正式な教会組織の位階に属していると考えているし、聖印やそのほか宗教的な衣装を目に見えるように身につけているはずと思っているのである。もしも君の門派がそういった聖印などを持たない門派であったなら、君は疑いの眼差しで見られることだろう。その土地のもの達は、君がそれらの宗教的な装いをしていないのは、君がなにか邪なる、もしくは疎まれている神格に忠誠を誓っており、それを隠そうとしているからではないか、などと疑う可能性もある。
     君の門派が、悟りについて説いたり、世の誤解をただすということに重きを置いている場合、君はあることに直面する。君の説く肉体、精神、そして魂の三位一体というものは、人々を混乱させたり戸惑わせるだけなのだ。霊的な面に宗教的な要素を持たないモンク達は、寡黙な態度・物腰を取ることで、こうした社交的な困難を回避した。そうしたモンク達は語るよりもまず行動するのである。彼らが言葉を語るのは、寓話や法話によって示唆を与えることが必要とされるような状況に限られる。このやり方のせいで、多くの民は宗教的でないモンクというのはよくわからない存在であると見なすようになっている。


    今日のモンク

     初期の拡大期以降、修道門派の拡散具合は盛衰を繰り返している。比較的平穏で安定した時代においては、新たな門派が起こり、古くからの門派は拡大した。放浪するモンクたちが全土におり、悟りの模範として各所に広まっていった。修道院での修行に興味を持った入門志願者達は、望む学院におもむくため自由に旅ができたのである。
     一方、現代のような酷い暗闇の時代では、生きるために四苦八苦な他の民と同様、モンク達も要塞に立てこもっている。それでもなお、冒険するモンク達は隔絶した文明、その飛び地の間に広がる危険な荒野を横切り、そこに滞在した。だが、そのように旅をするモンク達は、時には数ヶ月、あるいは数年にわたって他のモンク達に出会うことがなかった。
     門派をそれぞれ問わず、確かにモンク達は世界に広まっていた。だが世界のどこにおいても彼らが目撃されることはなかった。すべての文明地域には修道門派は存在していた、しかしそれぞれの学院はたいてい僅かな人数――多くても数十人――を擁する程度であった。こうした物騒な時代に旅することは難しく、たとえ同門の規模の大きな支部の間であっても、交流は稀であった。
     ネラス帝国没落後すぐの数年間は、修道院へやってくる新たな信奉者の数は少なかった。しかし、サイオニック能力の才がより広まったここ数年は、そうした請願者の数が増加してきている。全世界のモンクの数は未だ少ないだろうが、そう長い間少ないままではないだろうと思われる。
     現時点での門徒の数が少ないということは、個々の修道院の影響が及ぶ範囲がごく限られているということを意味するわけではない。多くの修道門派や学院はけっして大きな共同体ではないが、その周辺地域に対しては学習の拠点、安定や安全の拠点として影響を及ぼしている。故郷を失ったものやその他の者達は、自分自身を向上させようとして、そしてかつて一度は文明が支配し、今や次第に危険さを増している土地から逃れようとして修道院の周りに集まってくるのである。


    新しい作成オプション

     心鉄鍛魂の門派は、『プレイヤーズ・ハンドブックIII』で導入された各門派に並ぶ、あらたな門派である。心鉄鍛魂のモンクは無手での闘いであっても、他のモンクに引けは取らない。しかし、彼らは武器の用法を己の技に組み込んでおり、その威力たるや目を見張るものがある。


    心鉄鍛魂(しんてつたんこん)

     心鉄鍛魂門派の基礎は、単純武器の使用にある。この門派は、遠い昔圧政に苦しむ農民達が、酷薄な統治者に軍用武器を使うことを禁じられたことに、その源流を発する。心鉄鍛魂を修める者達は、ごくありふれた道具の扱いに熟練しており、彼らの手の中で、それらは強力な兵器へと変貌するのだ。時を経て、修道院の闘士達はこれらの素朴な技法を洗練させ、そして一連の強力なサイオニックの技法へと組み込んでいったのである。
     心鉄鍛魂の信徒たちの多くはごく普通の家の出身だ。彼らはなんであれ自分が手にした武器、それを使って身を護る術を学んだのである。心鉄鍛魂の道場は、その地に広く認められた共同体の中に作られ、多くの場合平和的な神、あるいは平和を体現する哲学的概念を奉る寺院に併設した形で建てられている。


    新しいパワー

     この項で示すパワーの幾つかには、“心鉄鍛魂”という項目がある。これは、心鉄鍛魂の門派のモンクに与えられる追加効果である。しかし、そうしたパワーやそれ以外のパワーのいずれも、すべてのモンクにとって有用な選択肢になるだろう。


    新たな伝説の道

    アンシーン・ハンド
    Unseen Hand/無影凶手
     「俺は見えざる刃にして影に潜む刺客、そして貴様の始末をつけるもの


     人目をはばかり隠れる、謎めいたモンクの一族。彼らの生業は暗殺、諜報、そして破壊工作。彼らは傭兵であり、強大な力を持つもの、あるいは復讐心に燃えるものから依頼を受ける。無影凶手の一員は、その組織に死ぬまで縛られている。この一族の抱えている秘密はあまりに重大な機密事項であるため、いかなるものもこの一族から足抜けしたり、やめることはできないのだ。
     秘密を堅持すること、万事細心であること、これらが君の修練の根幹としてある。敵が君の目的についてそれと知らない限り、君は敵に対して有利でいられるのである。君はこうした偽装を、功妙な変装、影に隠れての潜伏行、誤情報を与えることなどで行なう。より高度な秘儀を会得することで、君は暗闇を操ったり、長距離を飛び越えたり、敵の心を貫き傷つけることがより容易となる。
     熟達の殺し屋ではあるが、君は他の戦士達とはそう異なるところはない。しかし、君は仲間達に君の戦術や技術を警戒させたり、正体を気取られないようにしなければならない。同時に、君は無影凶手の部族と良好な関係を保ち続け無ければならない。さもなくば君は、部族から追放され、報復もしくはもっとひどい目にあうことだろう。


    ソアリング・ブレード
    Soaring Blade/騰空飛剣
     「私の剣は単なる武器ではない。これは私の霊魂だ


     闘いは単なる肉体能力の競い合いではない。それは、突きに応じた受け、斬りこみに対する打ち返しが繰り広げる絢爛たる美である。真に剣を極めた者は、天翔る形と動きを加えることで、土にまみれた奮闘を、空中での演舞と為す。
     大地に縛られて戦う者達と君とを別つもの、それは君の為した、修練と精緻な剣技の融合なのである。君の修練、そしてサイオニックの力は君に信じられないほどの動きをもたらし、そして君の凝らした気が刃をますます鋭くさせる。


    タイガー・クロー・マスター
    Tiger Claw Master/虎爪拳の達人
     「オレは狩人。オマエは獲物


     虎爪拳は古く、誉れ高き流派である。この流派の修行者達は、他の流派から技術を自分たちの流派に組み込んできた。だが、この流派が常にその中心に置く特徴がある:虎爪の拳である。実践者はその指を掌にむけ、かぎ爪のように曲げて形を作る。鉄のような修練を経て、虎爪拳モンクの指は、引き裂いたりかきむしったりできる、堅いかぎ爪となるのである。
     虎爪拳の技を会得することで、君は力と頑強さを培う。そしてその打撃は敵をずたずたにするのである。君は目を瞠る速度で敵に飛びかかる。この技の神髄を得たなら、天上の虎の特徴をも帯びるようになる。つまり、橙色と白の虎縞をした毛皮が君の身体を覆うのだ。その手は爪を備えた前脚に、そして君の顔は虎の面影に置き換わる。目は深く美しい緑色の玉のよう、その口には鋭い歯がずらりと並ぶ、この時こそ君は虎爪流そのものの体現となる。


    バジリスクス・フューリィ・アデプト
    Basilisk’s Fury Adept/蛇王憤怒拳の達人
     「この眼を見よ。お主を待つ破滅、しかと見るが良い


     バジリスクはその狩りの技量と無慈悲な凝視の能力で名高い。そして、バジリスクのしなやかな動き、相手の動きを止めるという凝視の効果に発想を得たモンクの一団があった。彼らは、バジリスクの恐るべき名を反映した修法、蛇王憤怒拳を作り上げていったのである。
     蛇王憤怒拳の修練は、君の心を己の心中、そして周囲にある情動に対して開かせるものだ。この境地に達したことで、君は己の思考をほぼ虚ろにし、その両眼から他者の感覚を引き出すようになった。漆黒なる君の凝視をのぞき込んだ者は、希望を吸い取られてしまうのである。敵に残るのは、無感動、停滞、そして死のみだ。


    トランセンデント・パーフェクション
    Transcendent Perfection/瑕疵無き超人
     「私は、この不完全な器、それ以上の存在なのだよ


     トランセンデント・パーフェクションの神秘主義者達は次のように信じている。限りあるさだめの肉体は不完全な器であり、彼らがより高みへ到達するための障碍になっているのだと。彼らは肉体という限界を超越し、真なる潜在能力を得ようと努力しているのである。そして何よりも重要なのは、彼らは智慧と悟りを育まねばならぬ、他の者達が、調和的な存在となって肉体の超越を受け入れることを手助けせねばならぬと信じていることである。
     この超越への道に従い、師から与えられる公案を解くことで、君は物質的な限界を克服する術を学ぶ。君が難問を解くたび、その心はより大きな可能性へと拓かれてゆくのである。君が最初に学ぶことは、自身の言葉を整えることだ。それにより君は、良い振る舞いで他者へ与える印象を変化させたり、妨害されることなく動いたり、君の前に立ちはだかる相手を動けなくしたりする。また、触れることで君は、傷を塞いだり、不快な悪影響を克服する術を学ぶ。トランセンデント・パーフェクションの技を体得することにより、意識を高めて苦痛や絶望を超越し、君は敵の攻撃を無視することができるようになる。


    フォー・ウィンズ・マスター
    Four Winds Master/四方の風の大師
     「我は風のように強く、巡る四季のように絶え間なくそして変わることがない


     “四方の風”の信奉者は平和と平穏を求めて努力しており、そのために全力を尽くしている。しかし同時に彼らは、大いなる調和に至るためには時として、暴力が必要とされると言うことも、深く理解している。立ちはだかるものすべてを吹き払う大風のように、四方を統べる風のモンクたちは、圧倒的な力を担うのである。