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2021/04/05

軍隊はどのように指揮するのか――「用兵」とは何だろう? コミックで解説!

 

軍隊はどのように指揮するのか?

「用兵」とは何だろう? コミックで解説!

 

 「用兵」とは、兵を用いること、またその方法のこと――つまり軍隊の指揮を指す言葉だ。「用兵」という考え方の誕生、そして現代の戦争への影響について、コミックとテキストで解説する!

 

 

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用兵思想とは何か?

 

 この記事では、「用兵思想」という言葉を、兵の用い方に関する思想、すなわち戦争のやり方や軍隊の使い方に関するさまざまな概念の総称として使っている。

 人類が歴史上で初めて「用兵思想」と呼びうるものを産み出したのは、古代オリエント世界とされている。遅くとも紀元前26~25世紀頃、つまり現在より4600~4400年前には、メソポタミア(現在のイラクの一部)の都市国家ウルやラガシュでは、多数の歩兵が密集した「方陣」(四角い隊形のこと)を組んで戦っていたことが、発掘された粘土板に描かれた絵などから推測されている。

 この密集方陣こそ人類史上もっとも古い戦闘隊形の一つであり、のちにギリシア世界に受け継がれて「ファランクス」と呼ばれることになる。

 

エパミノンダスの「重点」の形成

 

 そのギリシア世界で、紀元前371年に起きた「レウクトラの戦い」では、エパミノンダス将軍(前420?~前362年)率いるテーバイ軍(を中核とするボイオティア同盟軍)が、記録に残っているものでは歴史上初めて、明確に戦力の「重点」を形成してスパルタ軍(を中心とするペロポネソス同盟軍)と戦った。

 

 「重点」の形成とは――たとえば前線に配備する兵力でいうと、全戦線に均等に兵力をばら撒くのではなく、重要でない場所は兵力を削り、重要な場所に兵力を集中させることをいう。現代の感覚では当たり前のことのようにも思えるが、当時としては画期的な考え方だったのであろう。

 もう少し具体的な例をあげると、仮に敵軍の兵力が5万人、自軍の兵力が6万人だったとしよう。ここで両軍が全戦線を5つの戦区に分けて均等に兵力を張り付けたとする。各戦区の兵力比は1対1.2になるので、どちらかの軍が一方的な大勝利を得ることはむずかしい。おそらく全戦区でほぼ互角の戦いになる可能性が高い。

 そこで、我が方はどれか1つの戦区に2万人の兵力を集中し、残りの4つの戦区にそれぞれ1万人の兵力を配置したとする。この4つの戦区の兵力比は1対1でまったくの互角だが、重点的に2万人を配備した戦区の兵力比は1対2で自軍が2倍の優位に立つことができる。これならば、1対1.2でほぼ互角の場合よりも勝利を得られる可能性が格段に高くなるはずだ(概念図参照)。そして、もしここを突破口にできれば、敵戦線の後方に回り込んで、他の戦区の敵部隊を背後から攻撃できるかもしれない。

 つまり、仮に兵力がほぼ互角であっても、「重点」を形成することによって大勝利の可能性も出てくるわけだ。これは、やはり画期的なことといえる。

 

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レウクトラの戦いにおける「重点」

 

 前述の「レウクトラの戦い」では、テーバイ軍とスパルタ軍の兵力比はおよそ1対1.7で、スパルタ軍が優位に立っていた。

 しかし、そのスパルタ軍の陣形は、縦12列程度の方陣を横一線に並べたもので、これといった「重点」が無いものだった。ただし、右翼には精強なスパルタ市民兵(重装歩兵部隊)を配置し、優れた機動力を生かしてテーバイ軍の側面に回り込むことを狙っていた。また、スパルタ重装歩兵部隊の移動を援護するため、その前面に騎兵部隊を展開させた。これがスパルタ軍の陣形上の工夫だ。

 一方でテーバイ軍の陣形は、左翼に「重点」を形成した。具体的には、主力の重装歩兵を縦に50列も並べるとともに、同性愛者で編成された精鋭部隊である「神聖隊」を配置。さらにその前面に騎兵部隊を展開させた。

 戦いが始まると、まずスパルタ重装歩兵部隊がテーバイ軍左翼の側面に回りこもうと移動を開始した。だが、テーバイ軍はスパルタ重装歩兵部隊を援護する騎兵部隊に自軍の騎兵部隊を突撃させると、そのままスパルタ重装歩兵の方陣まで押し込んで移動中の隊列を乱した。次いでテーバイ軍は、勇猛な神聖部隊の突撃によりスパルタ重装歩兵の側面への移動を阻止すると、主力部隊を前進させてテーバイ軍側面に回りこもうとしていたスパルタ重装歩兵部隊に対して斜めから突っ込んだ。対するスパルタ重装歩兵部隊も出端こそ挫かれたが、精鋭部隊の真価を発揮してテーバイ軍主力部隊の突撃を押し止めることに成功。以降しばらくの間、両軍は密集方陣隊形のまま押し合いを続けることとなった。

 

 このような密集方陣では、最前列の兵士が倒されたら、後ろの列から兵士が進み出て補充される。したがって、最後の1列の兵士が倒れた時、それを埋める兵士はおらず、隊列に穴があくことになる。したがって、同じような密集方陣でも、テーバイ軍の縦50列とスパルタ軍の縦12列では、隊列の耐久性に大差があった。

 やがてテーバイ軍左翼の分厚い方陣に押されたスパルタ軍右翼が崩壊。スパルタ王が倒れると、ほどなくしてスパルタ軍は崩壊状態となり、兵力比では劣勢だったテーバイ軍が勝利を得た。

 なお、部隊の配置や戦いの経過の詳細は、残された史料の断片的な記述の解釈違いなどによって諸説あるのだが、「重点」の形成という点については明確に記録が残っているのはレウクトラの戦いが初、というのが定説となっている。

 

断定のむずかしい「斜線陣」

 

 また、この「レウクトラの戦い」では、テーバイ軍のもう一つの勝因として「斜線陣」がよく挙げられる。この「斜線陣」とは、敵軍の部隊に対して自軍の部隊が斜線を描くよう斜めに配置し、重点を置いた主力部隊の突撃に続いて、斜め後方の予備部隊が敵部隊の側面に巻きつくようにして攻撃するというものだ。

 しかし、「レウクトラの戦い」では、前述のようにテーバイ軍の側面に回りこもうとしたスパルタ軍に対して、これを追いかけるようにテーバイ軍が移動したため、結果的に「斜線陣」のかたちになった、という説もあり、それが初めから意図されたものだったのか、そして実際にこれが大きな効果を発揮したのか、など簡単に断定できない部分がある。

 ただ、いずれにしても、前述の「重点」の形成という概念自体は、現代戦においてもいまだに有効だ。その意味で「レウクトラの戦い」は、まちがいなく用兵思想史上に残る戦いといえる。

 そして繰り返しになるが、この記事では、この「重点」の形成のような兵の用い方に関する思想、すなわち、戦争のやり方や軍隊の使い方に関するさまざまな概念の総称として「用兵思想」という言葉を使っているのだ。

 

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解説:田村尚也

(※WEB掲載にあたって編集部で文章を改編・再構成しています)

コミック:ヒライユキオ

 


 

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