このSSはネタバレを含みます。
必ず「インフィニット・デンドログラム」第13巻を読んだ後にお読みください。





 □■リアル・とある作家の書斎

 その日、〈Infinite Dendrogram〉において【光王】エフとして暗躍する作家は、リアルの仕事である執筆作業のためにログインしていなかった。
 創作の取材も兼ねて彼方此方――主に皇国――で事件を起こしてはそれを観察するエフだが、そうして集めた材料も作品に活かさなければ意味はない。
 メインで数年間書き続けている長編シリーズと派生作品、新作の執筆など、作家として作業量がそれなりにあるので、時折こうしてアウトプットに集中しなければならない。
 仮にそうした作業がなければ、〈Infinite Dendrogram〉での迷惑な事件はもう少しばかり増えていただろう。あるいは逆に、必要性がないために減っていたのか。
「……ふむ」
 ともあれ作業も一段落し、エフは自分で淹れたお茶を飲みながら、通販で届いた漫画の最新刊を読んでいた。
「……?」
 しかし卓上の携帯端末が振動し、ディスプレイには妹の名前が表示されている。
「…………」
 読んでいた漫画に栞を挟んで置き、携帯端末を手にとる。
 そして耳に当て……るのではなく卓上に置いたままスピーカーモードで起動した。
 予め、音量は小さめに設定する。
『もしもし兄さん! もしもし! 聞いて兄さん!』
 携帯端末から聞こえてきたのは、音を小さくしても話し声ほどに聞こえる妹の声だった。
「どうしました?」
『さっきデンドロでひどいことがあったの!』
 妹もエフ同様に……あるいは彼以上に〈Infinite Dendrogram〉では有名だ。
 むしろ【光王】であることは知られていても、『エフ』であることを知っているのは先日知り合ったレイ・スターリングを含めても数人程度。妹の方がよほど有名と言える。
 妹――そのアバターであるジーは、レジェンダリア有数の犯罪クラン〈アンダーグラウンド・サンクチュアリ〉……通称〈US〉のオーナーである。
 最初からオーナーだったわけではなく、仲間から祭り上げられた形だ。
 その理由について本人は『オタサーの姫みたいなものじゃない? 女の子少ないクランだったから』と言っていたが、エフは違うと見ている。
 ジーは一〇〇人に満たない〈超級〉の一人であり、超級職【魔王】シリーズの一角であり、クランの誰よりも強く、そして他の組織と張り合える大看板だ。
 だからこそ、メンバーも全力で担ぎ上げているのだろう。
 それもあって、ジーは普段とてもいい気分でデンドロを楽しんでいる。自分の王国を見せようと頻繁に兄であるエフを誘いもする。
 だが、メールではなくいきなり電話で何か言ってくるときは、不都合なことや不機嫌なことへの文句や口がメインになることも兄妹なのでよく知っている。予め通話の音量を下げたのは経験則ゆえだ。
「また〈YLNT倶楽部〉との抗争で何かありましたか?」
 レジェンダリア所属クラン第一位、〈YLNT倶楽部〉。
 トップの性癖とメンバーの性癖とクランの正式名称ゆえに国内外からドン引きされる集団ではあるが、国を荒らす犯罪クランとの抗争では第一線に立つ秩序寄りのクランである。
 実際、ジーの〈US〉とも幾度となく戦っている宿敵である(〝監獄〟に入っていないことから分かるように、ジーがデスペナルティになったことは一度もないが)。
 だが、クランのオーナーである【呪術王】LS・エルゴ・スムは、今レジェンダリアを離れている。カルディナに出回ったという〈UBM〉の珠を求めての遠征らしい。
 ゆえに、〈YLNT倶楽部〉の動きも沈静化していると聞いていたが……。
『今回はそっちじゃないのよ! ロリコンHENTAI野郎じゃないのよ!』
「?」
『さっきね! 先ほどね! 陰険緑モノクルとたたかったのよ! バトッたのよ!』
「……ふぅむ?」
 陰険緑モノクル、それは確かレジェンダリアの〈超級〉の一人を示す言葉のはずだ。
 【忘却王キング・オブ・オブリビオン】マイア・ソウティス。
 〈マスター〉相手ならただの状態異常使いだが、ティアンにとっては指折りに恐ろしい〈マスター〉だと聞いている。体制側であっても、犯罪者と同様に恐怖の対象だと。
 しかし、能力相性的にはエフの妹……【嫉妬魔王】ジーが負けることはないと思えた。
「負けたわけではないのですよね?」
『もちろんよ! 私があんなよく分からないのに負けるわけないじゃない! 勝てないわけないじゃない!』
「ではどうしたのです?」
『ばっちり勝ち誇ってたのよ! 勝ち誇りまくったのよ! 私!』
「敵を前に余裕を見せていると危ないですよ」
 実際、エフはそのために先日負けている。
 興味本位でレイ・スターリングと直に顔を合わせ、自らのバトルスタイルを崩した結果……エフ本人が倒されてしまった。
 その後の展開も想定して《混沌山羊カプリコン》などの切り札も使わなったことも敗因だろう。
 敗北は敗北で、稀有な体験ではあったが。
『……そうなの。そうなんだわ……。さっさと殺すべきだったわ。まさか……あんな恐ろしいことをしでかしてくるなんて……』
 しかし、勝ち誇っていたという妹は、打って変わって声を震わせている。
 何か恐ろしいことを思い出してしまったかのように。
「?」
『私ね、言ったのよ。言っちゃったのよ。「大したことなかったわね。さ、早くログアウトしてブルーフォカロルの続きを読まなきゃ」って……』
「…………」
 エフはひどく嫌な予感がしたが、妹との会話を切り上げるわけにもいかない。
『そしたら、あいつ、あいつ……ひどいことを言ったのよ』
 そして妹は声を震わせて……自分がされた非道を兄に告げた。

『「あ、本誌で最終回になりましたよね。最後は主人公が処刑されるエンドで」って?』
 ――ネタバレである。

『あの野郎! あのクソ野郎! 絶対許せないわ! 単行本派の私になんてことするのよ! もうエンディング怖くて気分重くて続き読めないじゃない! バッドエンド確定って希望ないじゃない?』
「…………」
 犯罪クランを率いている割に、漫画の展開には希望を持っているらしい。
(……まぁ、私も自分で書いている小説ではそうしていますが)
 エフは額に手を当て、重い溜め息を吐いた。
「兄さん! 私、今後はネタバレも大罪に入れるべきだと思うの! ロード・ネタバレだと思うの!」
 【嫉妬魔王ロード・インヴィディア】の発言がこれである。
 余程にネタバレがショックだったのか発言がしっちゃかめっちゃかになっている妹に対し、エフは平静を保ちながら言葉を返す。
「ネタバレが大罪ですか。既に入っていると思いますよ」
『え?』
「自分が知っていることを、知らぬ者や知りたくない者に振り撒いて悦に浸る。これは他者に優越する『傲慢』に当たるのではないでしょうか」
『……なるほど。なるほどだわ兄さん』
 兄の意見に、妹は電話越しにうんうんと頷いていた。
「ところで、一ついいですか?」
『なに?』
 エフは、栞を挟んで卓上に置いていた漫画本に視線を移した。
 表紙には……ブルーフォカロルというタイトルが記されている。
「その漫画、私も単行本派だったんですよ」
『ごめんね兄さん?』
 二人は〈Infinite Dendrogram〉内で暗躍する兄妹とは思えない日常を過ごしていた。

 To be continued

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